26.傷つけたいわけじゃない
「子供かと問われれば、子供だとお答えするしかありませんが……」
そう口にした途端、痛みをこらえるように眉を寄せた少女の顔を見て、急いでその場に膝をついた。
「で、でも! 我が子だなんて申し上げたのは暴言でした。どう考えたって十八歳の私に十四歳の子供がいるというのは、お、おかしいですよね?」
少女は無言のままだった。
ほんの少しでもいいから、笑って欲しい。
心の底から願ったが、辛抱強く待ってみても、そんな気配は全く皆無だった。
さっきはせっかく笑顔を見せてくれたのに……。
傷つけたいわけじゃない。
少女の幸せを少しでも曇らせることのないように、それだけを考え続けているだけなのに。
自分で自分を殴りたい気分だ。
一校合格が決まって以来、百合はずっとふさぎこんでいた。
使用人に引きずられるようにして習い事に行く以外は、ずっと部屋にこもりきりだった。
そして自分は、明日にはここを出て行かなければならない。
ひとたび屋敷を離れてしまえば、顔を見たい、話がしたいと思っても、ノコノコ会いに来ることは許されない。
互いが互いをどう思っていても、百合は許婚のいる良家の令嬢で、自分はしがない書生に過ぎないのだ。
「どうしたら機嫌をなおして下さるのですか? あなたがそんな顔をなさっていると、私は本当に困ってしまいます」
情けないのは承知の上で訴えると、心の動きを映すかのように、長いまつげがかすかに震えた。
「では……わがままを申し上げてもよろしいですか?」
ようやく耳にすることのできた声は、消え入るような小さな呟きだった。
でも、百合の言葉なら、一言一句聞き漏らすことはない。
「もちろんです」
心の中で胸を撫で下ろしながら笑顔でうなずくと、ワンピース姿の美少女はすっと両手を伸ばしてきた。
「さらって下さい」
「は?」
「私をここからさらって下さい」
「…………」
呆然と相手を見つめたまま、金縛りにあったように動けなくなった。
いつからこんな表情をするようになったのだろう。
人形のように美しい容姿はそのままなのに、自分の知っている百合ではない気がした。
「十四歳の子供を相手に発情するなんて、やっぱ、ロリコンじゃないか」
そう指摘した途端、黒田は大げさに仰け反った。
「は、発情!? ど、どうしてそうなるんです? しつこいようですが、当時の私は十八歳……正確には十七歳と十一ヶ月で……」
「ね、ちょっと聞いていい?」
ひょいと右手を上げると、黒田は青ざめながらも、「どうぞ」と言った。
「十八で高校に入学するなんて、おかしくない?」
「全然、おかしくありません。今とは学校制度が違うのですよ。詳しく説明するとややこしいので、一番シンプルなパターンで申し上げれば、小学校は六年制で同じですけど、中学校が五年間ありまして、高校が三年、大学が四年、医学部や薬学部の場合はさらに二年……」
「何だ、それ? 今より二年も長いじゃないか!」
思い切り顔をしかめると、黒田は肩をすくめてみせた。
「ええ、まあ……でも、大学に進む人なんて、ほんの一握りどころか、一つまみぐらいですし、長いと言っても、飛び級とか、繰上げ卒業とか色々ありまして……」
「で、百合さんと、かけおちでもしたの?」
じろりとこちらを流し見た黒田は、はあっと派手なため息をついた。
「全くいまどきの人は、どうしてそうコロコロと話題を変えるんですかね。会話というものは言葉のキャッチボールなんです。もう少し相手に対する気配りを……」
「まあまあ、今度から気をつけるからさ。それより……」
笑顔で先を促した俺だが、続く展開は半ば予想した通りだった。