20.追憶
大正十年五月十七日。
それが黒田圭吾の生まれた日だという。
西暦に直せば1921年。
八十年近くも昔のことだ。
「生まれた頃の日本がどうだったかなんて、私だって知りませんよ」
大正時代のことはあっさりとスルーして、黒田の話はいきなり昭和から始まった。
「生まれ育った村は吉和村と言いましてね。両親を早くに亡くした私は親戚筋を転々と……まあ、わかりやすく申し上げれば、やっかいもののごく潰しだったわけでして……」
「全然わかりやすくないんだけど」
いきなり話の腰を折られ、黒田は嫌そうにこちらを流し見た。
「ゴクツブシって何?」
真顔でそう訊ねた途端、今度は世界の終わりのような顔をして、「はあ」と大げさにため息をついた。
「わからない言葉は、後できちんと調べておいて下さい」
「辞書もないのに、どうやって調べるんだ?」
英語教師のようなセリフをサラリと口にした青年は、できの悪い生徒の呟きを完全にスルーして、話を先に進めてしまった。
「取り柄と言えば勉強ができることぐらい。そんなものは貧しい山村では何の役にも立たないわけですが、私のことを気にかけて下さった先生の口ききで、幸運にも学問の道が開けたのです」
(学問の道? 一体、どんな道なんだよ?)
心の中のつっこみが聞こえたようで、黒田はばつが悪そうに、コホンと軽く咳払いをした。
「おかしいと思われるかも知れませんが、旧制高等学校に進学した人間は、当時、学歴貴族なんてもてはやされましてね。身寄りのない少年だって、いくらでも出世できたんです」
「へえ? つまりは出世したかったってこと?」
「いえ……ええ、まあ……」
黒田は急に口ごもり、「色々と事情があるのですよ」と逃げを打った。
その歯切れの悪さに怪訝なものを感じながらも、俺はそれ以上、追求しなかった。
昭和七年。
十二歳の黒田圭吾は、小学校の校長に付き添われ、東京行きの急行列車に乗るために、生まれて初めて広島の街に足を踏み入れた。
産業奨励館のある猿楽町は大小の商家が軒を並べる繁華街。
時間合わせのために奨励館の南に広がる洋風庭園を散策し、噴水にかかる小さな虹を眺めた後、市内電車で広島駅に向かった。




