19.約束
「……柳瀬さん……」
低いのによく通る声が俺の名を呼んだ。
それがあんまり自然な感じだったから、俺もごく普通に相手に話しかけていた。
「ここ……どこ?」
「産業奨励館です」
「さんぎょーしょーれーかん?」
「原爆ドームと申し上げればわかりますか?」
原爆ドーム?
前方に目を凝らしてみたが、暗い空が広がっているだけで、見慣れた廃墟の姿はどこにも見えない。
それもそのはず、俺と黒田は産業奨励館の屋根のなれの果て、むき出しの鉄骨部分に二人並んで腰かけていた。
夜だということは確かだが、時間まではわからない。
ライトアップされたコンクリートの塊とそこから始まる一体は、聖なる静けさの中に沈み込んでいる。
「とても立派な建物だったのですよ。チェコの有名な建築家が設計したとかで、緑の丸屋根は広島のシンボル的な存在でした。もちろん今だって、広島のシンボルであることに、変わりはありませんが……」
自分で自分の言葉に傷ついたように、黒田は苦笑し、肩をすくめ、そしてそのまま黙り込んでしまった。
辛抱強く待ったけど、続く言葉はなかなか出てこない。
「見たの?」
「ええ、十二歳の時に一度だけ」
返って言葉は滑らかだった。
俺はそのことにホッとして、続く言葉を促すように身を乗り出した。
「私の話を聞いて下さるのですか?」
「聞くよ。聞かせてくれよ。今度はそっちが話をする番だ」
初めて会った時の黒田の言葉を、俺は今も覚えている。
<この世の中はギブ・アンド・テイク。そしてあなたは私よりも年下。私のものを訊ねる前に、まずはあなた自身について教えて頂かなくては>
黒田は約束を果たすためにここにいる。
何となく、そんな気がした。
「私の話を聞いて下さるのですか」なんて、とぼけたことを言いながらも、きっと始めからそのつもりなのだ。
「でも、その前に一つだけ教えてくれないか。あの後、吉田は……」
「会えますよ」
「会える?」
「ええ」
言葉の意味を問いただしたい衝動に駆られたが、俺は無言でうなずいた。
黒田は決して嘘をつかない。
黒田が会えると言えば、俺は必ず吉田に会える。
それがどんな形であったとしても、今はただ、それだけでいい。