17.シナリオなんてない
自らの血の海に横たわる少女の顔に、もはや苦悶の色はない。
せわしなかった呼吸が、だんだんと間遠になっていく。
うっすらと開いた唇は、もう俺の名を呼ばない。
硬く閉ざされた目は、もう俺を見ない。
「……黒田……」
それまで完全に忘れていた男の名が、ごく自然に口をついて出た。
「教えてくれ、俺が吉田の前に現れなければ、こんなことにはならなかったのか?
俺がしたことは、全てシナリオ通りだったのか?」
「いいえ、そうじゃありません」
答える声は、すぐ近くから聞こえてきた。
いつからそこにいたのだろう?
顔を上げると、見慣れた長身が目の前に立っていた。
一つに束ねた黒い髪。
黒いスーツ、黒い細身のネクタイ、黒い皮靴、黒い眼帯。
初めて会った時と少しも変わらぬ姿だが、片方だけの目が今は悲しげに伏せられている。
「シナリオなんてものはないんです。避けることのできない死だけがそこにある。ただ、私の経験から推測させて頂きますと、一番、可能性の高い展開は……」
黒田はそこで言葉を切り、少しの逡巡を見せた後、遠慮気味に口を開いた。
「あの人……麻賀雄介でしたっけ? 吉田比奈さんは、麻賀に別荘に連れ込まれ、抵抗した挙句に殺される。あの人、ちょっと異常みたいですから、死んだ後で乱暴されて、警察が踏み込んだ時には、ものすごく悲惨なことに……」
「もういい!」
俺は血に濡れた床にうずくまり、吉田の頬に手を伸ばした。
触れることができない。
だから、その身体が温かいのか、冷たいのかもわからない。
「吉田……生きているよな」
「ええ、まあ……」
力なくつぶやくと、曖昧に頷いた黒田は吉田の顔をちらりと見て、胸ポケットから懐中時計を取り出した。
「あと二分と十五秒、十四秒、十三秒……」
「ま、待て! 待てよ!」
いきなり始まったカウントダウン。
まさか、ゼロになるまで続けるつもりか!?
俺ははじかれたように立ち上がり、黒田の肩をわしづかみにした。
「頼む、お願いだ! 吉田を助けてくれ! 何でもする! 地獄に落とされても、ゴキブリに生まれ変わってもいい! 俺はもうどうなったってかまわないから、こいつだけは……」
眉間にシワを刻み込んだ黒田は、暗い表情で時計の文字盤を見つめている。
「そう言われても困ります。わかっていらっしゃるとは思いますけど、私は迷える魂の案内人に過ぎません。人の生き死にに関することは、管轄外とでも申しましょうか……」
言葉だけでなく、本当に困っていることは、その顔を見れば明らかだ。
「わかっている! でも、それでも吉田を助けたいんだ!」
懐中時計を手の中に握りこみ、黒田はそっとため息をついた。
「ああ、あなたを見ていると……」
続く言葉を飲み込んで、苦しげに目を閉じた。




