16.それでも祈らずにはいられない
「吉田、俺から離れろ!」
間に合わないことは承知の上で、それでも絶叫せずにはいられなかった。
両手でナイフの柄の握りこんだ男の顔は狂気に歪み、血走った目は何も見ていない。
生身の身体なら、吉田を突き飛ばすこともできただろう。
いや、それ以前に、自分に向けられた刃をそのまま受け止めることができたのだ。
だが、まっすぐ前方に向けられた凶刃は、俺の身体をそのまま素通りして、背後の吉田に突き刺さった。
背後を顧みた俺は、声にならない悲鳴をあげた。
「あ」という形に小さく開いた唇から鮮血があふれ、ほっそりとした身体がぐらりと前方に傾いでいく。
傘を投げ出し、夢中で手を差し伸べたけど、無駄だった。
まるで糸の切れた操り人形のように、吉田は床にくずれおちた。
「こ、こんなはずでは……」
真っ青になった麻賀の顔よりもはるかに青い顔を苦痛に歪め、浅い呼吸をせわしなく繰り返しながらも、少女はうっすらと目を開けた。
血に濡れた唇が声を発することはなく、それでもその動きがゆっくりと俺の名を刻んでいく。
苦しげに上下する制服姿の胸元には、深々と刺さったナイフが刺さったままだ。
「私じゃない、私じゃないぞ! 柳瀬が悪いんだ! お前のせいだ!」
俺は吉田のそばを一歩も動いていないのに、麻賀は四方八方を睨みつけながら、俺を罵倒し続けている。
俺は泣きながら、傘を引き寄せた。
あふれる涙をこらえることは、もうできない。
「警察を呼んで来てくれ。もう、すぐそこまで来ているはずだ。応急手当をして、一番近い病院に運べば、吉田はきっと……」
気休めにすぎない言葉でも、口にせずにはいられなかった。
自分で警察を呼びに行くことも考えたが、俺はもう、吉田のそばを離れる気にはなれなかった。
麻賀は返事をしなかった。
いったん消えたまぼろしが再度現れたことがよほどショックだったのか、それとも警察が恐ろしいのか、強張った表情でじっとこちらを見つめたまま、呆けたように突っ立っている。
「さっさと行け! 吉田が死んだら、必ずお前をのろい殺してやる!」
激情に駆られた怒声にびくりと震えた男は、逃げるように表に走り出た。
実際に麻賀が警察を連れてくる可能性など、ほとんど皆無だということはわかっていた。
そして、吉田が助かる可能性も。
「吉田、死なないでくれ」
それでも祈らずにはいられない。
俺は絶叫して、床にぬかずいた。