15.運命のカウントダウン
「やめろ! やめるんだ!」
男に向かって叫んだのか、圧倒的な体力差のある相手に押さえ込まれ、床の上にくずれながらもナイフをつかんだ少女に向かって叫んだのか、自分でもわからない。
次の瞬間、「うわっ」という叫び声とともに、男は床にしゃがみこんだ。
頬に押し当てた手のひらの間から、じわりと鮮血がにじみ出る。
「どうして人が殺せるの? 人を傷つけることは、こんなにも辛いことなのに」
よろめき立ち上がった吉田の手からナイフが離れた。
絶妙のバランスで床に突き刺さるそれを視界の端におさめながら、俺は咄嗟に身をすべらせ、吉田をかばうようにして男と対峙した。
「柳瀬、お前がいけないんだ!」
頬から血をしたたらせながら絶叫する男の顔には、ありありと狂気が浮かんでいる。
「お前が列車にひき殺される一部始終を私はホームで見届けたはずなのに、お前さえいなければ、全てがうまくいったはずなのに、なぜ、お前はここにいる!?」
麻賀の家は裕福な資産家で、麻賀は箱根駅伝で走ったこともある優秀なアスリートで、学校では父兄からも生徒からも慕われて、それなのに、どうしてこんなにも歪んでいるのだろう?
(俺はこんな男のために……)
差しっぱなしの傘がやけに重く感じられた。
だが、感傷に浸ってはいられない。
俺は気を取り直し、いつも吉田がそうするように、相手の目をまっすぐ見つめた。
「ここにいるのは吉田を守りたいからだ。俺をホームから突き落としたように、お前は吉田を殺すかも知れない。自分のものにならなければ、足を引きちぎってでも思い通りにするかも知れない。そう思うと不安でたまらないんだ」
背後に佇む吉田が嗚咽をこらえるようにして泣いている。
遠くにパトカーのサイレン音を聞きながら、俺は祈るような気持ちで言葉を紡いだ。
「吉田はお前のものじゃない。もちろん、俺のものではない。吉田の全ては吉田のものだ。だからもう、自由にしてやってくれ」
すっと目を逸らした麻賀が、肩を竦めて苦笑した。
「俺は吉田を殺したりはしない。傷つけるつもりも、もちろんない」
俺は息を吐き出した。
パトカーのサイレン音がだんだんと近づいてくる。
あと少しでここに到着するに違いない。
(俺にできることは、もう何もない)
傘を閉じる前に別れの言葉を告げようと、背後の吉田に向き直った俺は、耳朶を打つ男の声にぎょっとした。
「だから、柳瀬、お前は安心して消えてくれ」
振り返った視界の中で、床に刺さった果物ナイフを男が無造作に引き抜いた。
危険が去ったと思った瞬間にも、運命のカウンドダウンは続いていたのだ。