大和撫子はムカつく女
「……やっと巻いたか」
将太は疲弊していた。ホワイトチョコレートに入居が決まったことを親に伝えて許可を取り、満を持して一人暮らし開始となったところで事件が起きたのだった。
なんと姉妹が将太という労働力を失わないために妨害工作を企て始めたのであった。そして死闘の末に彼は何とかホワイトチョコレートまで来ることが出来たのだった。
……実際は単純に駄々をこねられたので無視して家を出たら後をつけられたというだけなのだが。
「……ここで、俺の新生活が始まるのか」
将太は気を取り直して改めてホワイトチョコレートを見上げた。マンションの名前はなんともスイートな感じだが、外観はしっかりとマンションしていた。というか、そこいらのマンションなど比較にならないほどの巨大さであった。
「風子さんに挨拶しないとな~」
将太は自動ドアの方まで歩いて行った。
すると、ドアがスッと開いて長身のフードを被ったイケメンがポケットに手を入れながら歩いてくるのが見えた。
「……こ、こんにちは! 今日もいい天気ですね!」
「……俺に構うな」
テンパっていつもなら絶対に言わないことを将太は口走った。
そして、長身のイケメンはそんな将太には目もくれずに横を通り過ぎていった。しかもその瞬間、ぴしゃりと冷たい言葉まで浴びせられる始末だった。
しかし、少し歩いたところでイケメンは少し立ち止まるとちょっとだけ将太の方を向いて何かを呟いた。
そして何事もなかったかのように去って行った。
「よろしくって、言ったのか? ツンデレさんかな?」
聞き取りづらかったものの、しっかりとそう言っていたのはよく分かった。将太は少しだけこの新生活に自信を持つことが出来た。
「よし、たのもう!」
マンションにはいるとは思えないほど威勢よく将太は力強くマンションに足を踏み入れた。するとロビーで新聞を読んでいた風子は目だけをこちらに向けて興味なさそうに足で自分の目の前の机を叩いた。
「ここに鍵あるから、適当に持ってって~」
「……気合を入れた俺がバカみたいだな」
肩を落とした将太は机の上に置いてある鍵を手に入れた。
鍵と言ってもそれは今どきのマンションらしくカードキーであった。ハイテクである。
「部屋は二階、荷物とかは自分でやるかこちらに手配して。運ばせるから」
「うっす!」
「あ~と、ここ君を含めて八人しか住んでいないから挨拶しとくんだぞ~」
マジかと将太は思った。
あのでかい外観で、このバカでかいロビーがあり、明らかにもっとたくさん住めそうなのにである。
しかし前に話した時彼女の趣味で作られたみたいなことを言っていたのを思い出してなんとなく納得した。仲のいい人しか住んでいないのかもしれないと。
が、すると自分はどうなるんだと将太は首を傾げる。
「まあ考えていても始まらない。今はこの幸せを噛みしめよう」
そう、ちまちまとしたどうでもいいことなど今は良い。将太にとって今この瞬間、あの憎き姉妹たちから解放されたという気持ちよさの方が大切だった。
最高の気分だった。今日は間違いなく、ここ数年で一番の日となった。
将太はルンルン気分で自分の部屋に向かった。
当然エレベーターは完備、通路にまで空調が利いている。これだけでもここが最高の環境であると言えるのではないだろうか? と将太は胸を躍らせる。
と、その時彼は隣の扉に表札が掛かっていることに気がついた。そう言えば挨拶をしておけと言われていたなと思い出し、奥にある自分の部屋に行く前に住ませておくことにした。
「っていうか、008号室なのに滅茶苦茶距離あるんですけど。一部屋広すぎ」
一体内装はどうなっているのやらと思いつつ、将太はまず一部屋目のドアをノックした。
すると足音が聞こえ、ドアが開いた。
そして将太は思わず息を呑んだ。
「どちらさま? と、聞くのは意地悪ね。新入りさん」
「あ、はい。初めまして。わたくし光根将太と言います」
思わず敬語になってしまった。が、仕方がない。なぜならば目の前の人はとんでもなく美人であったからだ。しかも、絶滅したかと思われた和風美人、着物がグッとな大和撫子であった。
「見とれられても困るわ。どうせあれでしょ? いつも通り私を称賛する言葉でも考えているのでしょう? 平民の考えることなんてたかが知れているわね」
胸のドキドキははるか彼方に消えてなくなった。
そのあまりにも高圧的な態度に将太は頬を引きつらせた。
「い、いきなりご挨拶だなあんた……。確かにあんたに見とれたし、称賛しようとも考えたさ! でもいいじゃん! 褒められるなら別に!」
「慣れてしまっているの。ごめんなさいね」
「腹立つ~!」
しかし、よく見てみると大和撫子は自分の反応を見て楽しんでいるようだと将太は感じた。その証拠に将太が腹立つと言った瞬間、彼女はくすりと笑ったのだ。それが嘲笑なのか、それとも単純に面白かっただけなのか……。
「で、あんたは? 名前、ないとは言わせないぞ」
「平民風情が随分と偉そうな口を利くのね。でもいいわ。その強気な態度に免じて教えてあげます。私は桜間時子、呼ぶときは好きに呼びなさい」
桜間時子はそう言うと見下すようで、それでいて親愛の情がこもったような複雑な視線を将太に向けた。
将太はめんどくさい人だなと思いつつも悪い人ではないだろうと胸をなでおろした。もしもこの人も姉妹たちみたいなじゃじゃ馬であったらまた引っ越しをしているところであった。
「分かった。桜間」
「呼ぶときは好きに呼びなさい」
「……桜間さん」
「呼ぶときは、好きに呼びなさい」
「……桜間様」
「呼ぶときは、好きに、呼びなさいね?」
「……と、時子さん」
キレそうなのと恥ずかしい感情をグッと堪えて将太は時子の名前を呼んだ。すると時子は「まあ、及第点ね」と呟いた。
好きには呼ばせてくれないらしい。
やっぱりムカつく面倒な奴だと将太は彼女を再認識した。