ロシア娘の憂鬱
「どったの? 何か用があるの?」
「用、というほど大層なものではないのですが……。実は今私、暇を持て余しておりまして、それで暇つぶしになりそうなものをわざわざ庶民から拝借しに来たのです! ありがたく思いなさい! さい!」
言っていることは偉そうなのに、焦りと羞恥を感じさせる声色のオリガに将太は目を点にした。
初対面の人にいきなり物を借りに来る非常識さが霞むほどにオリガの表情は面白いと将太は感じていた。
「……いいですけど、俺漫画とゲームしか持っていないっすよ。世界の名作小説とか読んだこともないっすよ。多分趣味合わないっすよ。帰った方がいいっすよ」
「なんで投げやりなの!? ねえお願い! 高圧的な態度取ったのは謝るからその、あなたの言った漫画とゲームを少し見物させて!」
オリガは急にすがるように将太に詰め寄った。一体何が彼女をそこまで必死にさせるのか……。
「……どうぞ。入ってもいいっすよ」
「本当!? ありがとう~……なんて、思ってないんだからね!」
「はいはいツンデレ乙」
狙ったようなツンデレ態度をスルーして将太は部屋の奥にオリガを案内した。
そして部屋の奥に通されたオリガは先ほどまで将太の呼んでいた漫画に視線が釘付けになった。
「……この漫画って、確か今期アニメ化する奴?」
「そうだね。よく知ってるね。そして今の発言で君が一体どんなタイプの人間か予想付いたわ」
固いイメージの強かったオリガ・ミハイロフという女性は、かなりサブカルチャーに毒された人であるようだった。
(なるほどな……、確かにこのマンション、アニメ好きそうな奴いないな)
ある意味で幸作と同じタイプの人間なのだとオリガを理解したところで、オリガがじっと見つめていることに気が付いた。
「その、第一巻持っているかしら?」
「そりゃあ持っているけど……、買えば? 別に高い代物じゃないですよ」
「……」
「店に行きづらいなら通販でも……」
そう言いかけたところで将太はふと、現代人にはあまりすることのない質問をしたくなった。
「……あの、もしかしてインターネットって何? ってタイプの人?」
「……ぅん」
か細い声でオリガは確かに肯定した。真っ赤な顔で確かに彼女は頷いた。私はパソコンが、いや、インターネットが使えないと。そしてそれは同時にあらゆる電子機器が苦手であるという可能性も生み出した。
「まあそれはいいや。仕方がない。で、それなら店に行けばいいじゃん」
「お金って、持ったことなくて……」
「は?」
「買い物は執事に任せているから……」
「……じゃあその執事に頼めば、いいのでは?」
オリガは首を横に振った。それはもう、千切れんばかりに。
「無理よ! 恥ずかしくてそんなことできないわ! 私は家で、いつもクールに振る舞ってきたの! オペラ鑑賞が趣味で、休日は読書をして、まるでお姫様のように過ごしていた人が急に、エッチな表紙の本を買ってこいなんて言い始めたら驚くでしょ!」
「驚くな。確かに。でも大丈夫、きっと受け入れてくれるよ」
「受け入れられたらむしろ辛いわ! 仕舞にはお父様も話を合わせるために同じ作品を見始めたら、心臓が破れて口から飛び出すわ!」
「それは、確かにえぐいな……。オリガの親はお前に甘いんだな」
「甘すぎて、それが逆に刃になって私の心を刺激するの……」
オリガは遠い目をしていた。
なるほど、と将太はオリガの主張をおおよそ把握した。つまりは親にばれないようにアニメを楽しみたいという事らしい。そして、頼れる仲間はこのマンションにはいないので仕方がなく詳しそうな将太を頼ったという事なのだろう。
「……分かった。お前の主張はよく分かった」
「ほんと? 私がアニメのために日本語を勉強してわざわざアメリカの学校の誘いも断って日本に留学したくらいアニメを大好きだって伝わった?」
「本気過ぎる~! ……まあ、それなりには。だがそれならばなおさらこの漫画は貸せないな」
オリガは顔を真っ青にした。そんなにショックか! とツッコミを入れたくなったが将太は次の話があるので我慢した。
「何? お金? それとも……、もしかして誠意が足りない? なら脱ぐわ。そして好きにしなさい! それなら満足でしょう!?」
「落ち着け。取り敢えず服に掛けた手を離せ。そう言う事ではなくだな……、漫画を借りるたびに俺の部屋に来られても困る。……だから」
将太がこのマンションホワイトチョコレートに来て、最初にやることがなし崩し的に決まってしまった。彼としては明日の休日を有意義に過ごしたいところであったが、ここまで情熱を持った人物を見捨てては置けなかった。
「お前に、ゆるりと買い物のやり方を教えてやる! 明日の朝八時にマンション前で待ち合わせだ! お金の使い方も教えてやるから、多めにお札を持ってこいよ」
「え? つまりその……、漫画は貸さないから自分で買えってこと? やり方は教えるから……」
「そう言う事。いいか? 明日の朝八時だぞ。遅れたらその日はパスだ」
「わ、分かったわ! ありがとう、あなたいい人ね!」
休日を潰す甲斐があったかなと将太は笑顔のオリガを見て感じるのだった。




