九球目、キャンプへいこう
連休の寝る前の時間つぶしにしてもらえれば…(汗
聞き慣れない音と文字、頭が熱を発しながら悲鳴を上げる日々、ジィさんによる地獄の講義が中断してから、二日が過ぎていた。
俺達は今、昇陰コープスの前期キャンプ地へ向け、滞在期間中の物資を背負いながら汗だくの体を引きずって黙々と歩いている。
一昨日の陽が少し沈みかけた頃、俺を含むコープス選手団一同は宿舎前にうそうそと集合し、ジィさんの号令の下キャンプ地へ向て出発した。
黙々と歩き、休憩だと言われたら星空の下で腰を下ろしてパサパサの乾物と水を腹に流し込む。今日はここまでと言われたら、朝陽が目を刺す明るさの中道端で横になって眠る。
チーム内比率の多くがアンデッドである為、行動は全て夜に行われていて、移動初日から夕方に起き、朝方に眠るという昼夜逆転の生活を俺は余儀なくされていた。
出発の声の後、歩き始めるとすぐに陽が沈み、夜目に慣れてない俺や一部の亜人がカンテラに明りを点けて歩く。
前に後ろにアンデッド達がカンテラに照らされ、おどろおどろしく列を成すその姿はさながら、百鬼夜行と呼ばれるにふさわしい光景だった。
「ふへぇ、まだ着かないのかよ…」
疲労からくる汗を拭い、連なる亡者の列を見やりながら俺は一人ぼやく。
「ショータさん、ガンバレ、あともう少し」
40余日を過ぎ、ぼさぼさに伸びきった俺の頭の上で、スライムのナカルがぼやく度に応援のエールを送ている。
ここ数日というもの、鳥の巣のような有様になった頭の上で寛ぐのが彼女の日課となっている。思い出すに、たぶんあの休憩のときからだ。
キャンプの話を聞いた翌日には、すでに頭の上に乗っていた記憶がある、あのあたりから気に入り始めたのだろう。
講義の間も、準備しなくていいのかとジィさんに言われ慌てて動き出したときも、宿舎の仲間に教えられて金貨を握りしめながら、近くのなんでも屋に物資を買いに走りこんだときも、常にナカルは頭の上にいた。
体を拭くときと用を足すときには離れてくれてはいたが、一日のうち大体は俺の上にいる。
寝る時にも乗られるんじゃないかとは思ったが、どうやら異性と就寝するのは宿舎の禁止事項であるらしく、このときだけはナカルの重みから解放されていた。
名残惜しそうにおやすみなさいと去っていく彼女は、なんだか仲間はずれにされたようにとぼとぼと帰って行った。
俺の住む宿舎を出て正面の建物に…。そう、向いの建物は女性用の宿舎であった。
全く意識していなかったけど、一応女なんだよなこいつ。
「ナカル、お前はそこで遊んでないで少しは歩いたらどうなんだ。いい加減重いんだが?」
「ワタシ、足遅いから遅れる。それにほとんどの荷物、オノウに持って貰って、言うことじゃない」
「おまえなぁ…」
額に手を当て頭をかくんと下げた。そもそも、その荷物の大半はナカル、お前の食いものがほとんどだというのに…。
わたわたと慌てるナカルを頭に感じながら、俺は歩調を合わせ横を歩く骨人間に目をやった。
『なんか、すまんなオノウ。後で何か礼をさせてもらうよ』
『気にしなっていい。ナカルん荷はいつものこんさ、ショータの荷が増えたとこんで苦にゃせん』
隣りで二人分の大きな荷袋を背負ったスケルトンのオノウが、訛りのある声でカタカタ笑った。
ちなみにオノウと話すときはイヴハストゥールの言葉だ。彼は日本語が全く話せない。
講義の後、魂の抜けかけている俺を無理やり引っ張って、宿舎食堂に連れて行ってくれたりとなにかと世話を焼いてくれている。同じピッチャーとして仲良くしていきたいと語る彼は、骨にしておくにはもったいない気のいいチームメイトだ。
もちろん他の仲間も、時々講義の様子を見に来てくれたり、話し相手になってくれたりといいやつらばかりだが、率先して絡んでくるのはオノウで、いつの間にか親友とも言える間柄になっていた。
ジィさんの講義のおかげなのか彼の存在なのか、今ではそれなりにこっちの言葉で会話を楽しんでいる。
『ナカルにもだけど。オノウ、コープスのキャンプって毎回こんななのか?』
『前期ん毎回こんざもんさ。向いとこん先ん去年と同じとこんみたいさ』
『お金ないですからね。レックスみたいに裕福なら、飛龍でも使っていい所に楽にいけるのでしょうけど…はぁ』
イヴハストゥール語で嘆くのはナカル、大人しめの口調が本来の彼女の言葉なのだろう。そのやんわりとした言葉が、俺に異性を感じさせる。
逆にオノウの言葉は訛りが強くてたまに聞き取りにくい。元は男と言っていたが、全身骨で判別できないからどうでもいい。同じ宿舎なのだから同性と見るしかない。
『それを言うならジィさんだってそうだろ、死霊術で骨の馬呼び出して荷車引かせてるんだぜ。』
『でも昨日に比べて空気が湿っぽいですし、…この道は見覚えがあります。そろそろ着くのではないでしょうか』
『あんとこん木には確かに見覚えがあんさ。良う葉ん繁うんとこ木、過ぎんさすぐさ』
『…………それじゃ、もうすぐだな』
前言撤回、かなり聞き取りにくい。
訳して言うと、「あの木には見覚えがある、葉の良く繁っているあの木を過ぎればすぐだ」というところか。
オノウの言葉が瞬時に分かったら”イヴハストゥール訛り検定一級”に合格できるかもしれない。あるのかどうか知らないけどさ。
夜目の効かない俺は、すぐという言葉を信じ黙々と歩き続けた。体は重く、疲れがにじみ出てきている。
頭の上の一匹と隣りの一体はもう何回も来ているのだろう。観光ガイドみたいに色々と話しかけてきていた。何が楽しいのだろうかナカルのテンションが少し高い。
体力の消費を少しでも減らしたい俺は、歩きながらはいはいと生返事を繰り返していたが、それが気に障ったのかいつの間にかナカルが黙りこんでしまった。
仕方なく、夜目が効かないんだよと言うと代わりにオノウが謝ってくれた。
そこから皆黙って歩くようになった。足の裏からくる痛みを感じながら暫くすると、薄っすらとオノウが言った木らしき陰が見えてきた。
もうすぐだ、全身に喝を入れ直し足を動かす。運動によって作り出された乳酸が腿や脹脛を固くしている。もう休ませてくれと訴える。もう少しだあの木を超えたら…。
空が青と茜の階調を絵描く頃、俺達はようやくキャンプ地へ到着した。
俺を始め亜人系。つまりは生きている者たちが、ようやっとという思いで座りこむ。アンデッド達はそのほとんどが普通に立って何かしら話をしていたりする。
そうなんだ、オノウの言ったすぐっていうのはアンデッド基準でのすぐだったんだ。
結局、その”すぐ”の言葉に騙された俺は、気を入れ直してからたっぷりと夜が白むまで歩く羽目になった。
まだかまだかと悲鳴を上げていた足は力尽き、荷袋を背当てにして座る俺の目の前に投げだされている。もうこれ以上動けと言われても、今日は足が言うことを聞いてくれないだろう。
ぼーっと眺める空は澄み、一面荒野そのものだった景色が緑の絨毯に置き換えられている。
それが、キャンプ地に着いたんだと俺に実感させてくれていた。
『今日はこのまま休憩にするよ。明日はこの時間から練習を始めるから充分休むといいかね。』
遠くでジィさんが到着と、一日の休息を皆に伝える声が聞こえた。
背当てにしている荷物を持っていてくれたオノウの姿は近くになかった。披露困憊で動かないでいる俺をみて不憫に思ってくれたらしい。少し先で仲間のアンデッドと何か話しているみたいで、ときたまこちらに顔を向けて様子を見ている。表情は掴めないが、どうやら心配してくれているようだ。
そして、俺は頭の上でずっと黙りこんでいるスライムに声をかける。
「なぁ、ナカルさっきは悪かったよ。お前のこと蔑ろにしてたわけじゃないからさ、暗くて全く見えなかったんだ。謝るからさ。」
少し無視しすぎたかなと、後ろめたさもあり遠慮がちの謝罪を口にする。
反応を示さない彼女に何度となく俺は謝った。それでも彼女は口を開こうとはしない。
いいかげん機嫌を直さない彼女にイラついて語気を強める。
「ナカル、おまえなぁっ!」
『んー、もう食べれませんよぅ。…おなかいっぱいです…」
「………、寝てるのかよ…マジか」
行き場のないイラつきを草原の中に溶かしため息を吐いた俺は、全身の力が抜け横になることもできずにそのまま目を閉じた。