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八球目、部屋と野球と俺

 イヴハストゥールという地で、この異世界に存在するプロ野球チームの一つに入ることを条件に甦りを果たしてから、すでに40日程度の時間が過ぎていた。

 12ある球団チームの一つ、昇陰しょういんコープスに所属することになった俺は、球団宿舎の自室でげんなりとしていた。

 部屋に用意されていた、小さなテーブルの上に突っ伏した俺の向かいに一人と一匹。分厚い辞書のような本を手に持つ監督のジィさんと、その肩の上で伸び縮みを繰り返すスライムのナカルがいる。

 

「なぁジィさん、今日の勉強はここまでにしてくれ。流石にもう限界だ。」

「なんだね、まだ覚えることはたくさんあるのだよ。」


 ジィさんが呆れ、ナカルがしきりにショータさんガンバレと励ましてくれている。

 しかし、勉強があまり得意でない脳のキャパシティーは限界を迎え、身体はこれ以上を拒絶するかのように両の掌を頭の上で合わせていた……。

 



 時間は甦ったときまで遡る。


 手厚い歓迎を受けた俺は、身体の感覚が戻るまでの時間を少し要しはしたが、すぐに棺の中から這い出すことができていた。魂の戻った身体にはユニフォームではなく、純白の死装束が着せられていた。

 目覚めたときもそうだったが、不思議と俺を見守るアンデッド達や立ち上がるのに補助してくれたスケルトンに、嫌悪感や恐怖心といったものは全く芽生えなかった。むしろ、数年来の友人といった気さえした。


 ゾンビやスケルトンを始めとするアンデッド、何人かの亜人、そしてスライム。それらが集う中、名前と感謝の礼をジィさんを経由して彼らに伝える。その一言一言を、彼らは真剣な顔つきで頷き、それを好意的に受け入れてくれた。

 中には飛び跳ねて喜びを表現し、仲間に小突かれるやつもいた。ばつが悪そうに頭を掻いていたがその顔には笑いがあった。

 穏やかな雰囲気の中、個人個人の挨拶と歓迎の言葉を受けた。その多くが言葉をかけてきた後、俺に抱きついてきていた。今思い出すと、死装束の俺とアンデッドが熱い抱擁を交わす、とてもシュールな光景だったに違いない。

 

 ただ、困ったことに彼らの言っている言葉が俺にはさっぱり分からなかった。そのうちに何人かは、ナカルのようなたどたどしさの残る日本語で会話してくれたが、ほとんどは聞いたことのない言語で話しかけられ、その都度ジィさんやナカルを経由しなければならなかった。


 一通りの挨拶を済ました後、呼ばれてジィさんの前に立った。ありがたいことに起き上がってからずっとこのスケルトン、名前はオノウと言ったかな、彼に支えてもらっていた。

 ジィさんは相変わらず好々爺とした表情で、契約金だよと小さい革袋を懐から探り出し、俺の手を取りその上に乗せた。袋はジィさんの肌で温められていて、提示されていた少ない金額の中に、今ここにいる皆の暖かさが詰まっている感じがした。

 このときにはもうすでに、心にも頭にも体の全てにおいて、この醜くも心情溢れる仲間達を俺は受け入れていた。

 

 ジィさんから手渡された袋を宝物のように死装束の中にしまうと、俺は改めてこの監督によろしくと破顔してみせる。

 皺だらけの顔をさらに皺寄せて、俺の肩を軽く数度叩くジィさんは、まるで子か孫かの成長を喜ぶ親のそれに似ていた。

 暫くぽんぽんと叩き、最後に手をそのまま乗せながら、


「これから暫く、お前にはこの世界のことや言葉を覚えてもらうよ。なぁに心配はいらない、この私がみっちりと教えてあげるからね。動けない分、時間はたっぷりとあることだしね。」


 優しい口調ではあったが抑揚がまるでなかった。この世界で生きていくには当たり前のことを言われてるのではあったが、奥に得体のしれない恐怖を感じ取り、俺はかすかに身震いするのであった。


 そして40日過ぎたのがさっきの姿である。




 昼夜を問わず俺の脳に扱きを入れたジィさんは、先程から拝み倒すさまを見て呆れていたが、やむなく休憩しよう、と本を閉じ部屋を出ていく。暫くすると、盆に人数分の飲み物が入った木椀を乗せて持ってきてくれた。

 そのあいだ突っ伏していた俺は、じゃれつくナカルに髪の毛を触られたり手の甲をくすぐられたりと、いいようにおもちゃにされている。彼女は缶詰生活の俺の元に現れては、休憩の合間にちょっかいを出してきたり、余裕のある時は日本語での会話を楽しんでいる。

 そのおかげなのか最近では彼女の日本語もスムーズになり、日常会話において不満のないレベルになっていた。

 

 頭をどかすようジィさんに言われ、ズリズリと身をよじりながら引っ込め、ゆっくりと持ち上げる。その上にナカルが飛び乗ってきた。少し重い…。

 相変わらず仲が良いようだねと和みながらジィさんはテーブルの上に盆を置いた。

 椅子に座りなおし、木椀の中身を一口啜すすったジィさんは、


「さて、ついでだから少し先の話をしようかね。ナカルはもう知っていることだろうけど」


 と手に持った木椀を盆の上に戻した。

 

「キャンプ、…のことですか?」


 ナカルが確認するかのように問う。

 俺はジィさんにならって飲み物を口にした。

 休憩の度、何度か口にしたことのあるこの飲み物はワホ茶といって、この地域一帯で良く飲まれるものらしい。少し苦みの効いたほうじ茶の様な味がする。


「ああそうだよ、ショータも知っているとは思うが一応はね。一言で言ってしまえば日本野球のキャンプ、そのものさ」


「そのものってことは、こっちでも同じような練習をするのか?」


 ふと、バッツのイビタが言っていたことを思い出した。

 そういえば、いつの間にかジィさんの俺への呼び方が”お前”から”ショータ”に変わっている。


「チームによって差異はあるだろうけど、概ねはね。」


「ふーん、そんなものなのか」


 なんとなく流れで納得した俺は、再度ワホ茶を口にしたが、最後の一言に引っ掛かりを覚えた。いやな予感がする。


「概ね?具体的に日本のキャンプとどう違うんだ?」


「コープス《うち》で言えば、食糧と荷物を持って歩いていくことかね。一部の選手は自足しないと動けないからね。」


「……しょ、食糧?歩いて、…自足する…?」


「まぁお金なんてほとんどないからね。仕方がない。」


 予感は的中した。


 ジィさんの現実的な一言の前に、テレビの中で見た日本のプロ野球の、華やかなキャンプ風景が一気に瓦解していく。

 呆然とした脳裏に描かれたのは、石のまな板に載せられた食材をバットで叩き、グローブを鍋掴みにしているユニフォーム姿の俺…。即座に否定する。

 違う!違うよキャンプっていうのは…。こう和気あいあいとキャッチボールして親密を図ったり、ランニングで一緒に汗を流して団結したり、特別打撃練習とかで強化を図るとかそういったもののはずだ。決してサバイバル的な意味のキャンプじゃない!

 

 キャンプの在り方について、この世界にツッコミを入れつつ苦悩する俺を見ながら、ジィさんがまだ残っていたワホ茶の最後を喉に通した。


「これで話はおしまいだよ。出発は5日後だからそれまでに準備しておくといい。」


 と一言。

 がっくりとこうべを垂れる俺に無常にも言い添える。


「さぁさぁ休憩も、もう終わりだよ。ナカルも早く飲んでしまわないかね。片づけられないじゃないか。」


 木椀を盆に戻して立ち上がるジィさん、キャンプ違いとさらに継続される勉強にうなだれる俺。

 ナカルは、なぜ俺がそうなっているのか分からないといった感じで。

 体の一部を椀の中に突っ込み、ポンプのようにワホ茶を飲み干していった……。





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