8話 変人
「それで?ん?あんたが新しい同居人?いやー!よろしくよろしく俺ルーカス!」
初対面とは思えない馴れ馴れしい態度で肩を叩く金髪の男、ルーカスは非常に機嫌が良かった。
特に理由は無いが、とにかく機嫌が良かったのである。機嫌が良かったので、隣で重苦しい目をした魔術師風の初対面の男がいても気にならない。むしろ喜んで話しかけていた。
「ヨシノだ」
「テスカ。」
「グアガでげぜえます」
自己紹介というより、ただ名前を発音しただけにも思えるが、こちらも不満があるわけではない。
ヨシノが嫌うのは無駄な時間を取られることだけで、同じ部屋に住むなら仲良くする必要があるのは分かっている。話を早くしてくれるのなら何でも構わなかった。
テスカはもともと話し好きだ。簡潔な発言を自分に課しているだけである。
「そちら。紹介すべき」
テスカに水を向けられ、栗毛の少年が口を開く。
「あ、えっと、ハミルトン・ピッツバーグです。少し魔術をかじっています。あと、剣は嗜む程度に……」
「ミルト。その自信のない態度、止めろって言ったでしょ。舐められて困るのはあんただけじゃないんだからね」
「あ、ご、ごめんなさい」
つりぎみの目の片方を、無骨な眼帯で隠した少女は、一層眉間にしわを寄せるが、諦めたように頭を振る。細く光沢を持つ金髪と整った容姿、耳の形状からエルフとわかる。
「ジェーンよ。弓と短剣を使うわ」
じろりと音がしそうな目つきで、少女らしい高い声を出来るだけ低くして凄んでみる。
その矛先にいるヨシノは勿論怯みも怒りもしない。
「素っ気ないねジェーン。もっと親しげにいかないともったいないよ?あ、私はアネーシャ・ワンプ。見ての通り獣人。棍が得物だね」
女にしては高い上背に三角の耳が載っている。顔は完全に人間のものだが、うなじにまで広がる青みがかった灰色の毛は狼の印象を抱かせた。
「アンブロジウス・バラトー。修道戦士」
白い法衣に身を包み、フードを目深にかぶった体格のいい男である。座高だけでテスカの身長より高い。戦士より暗殺者の肩書きが似合う風体だ。
怪しいを通り越して見るからに犯人だなと思う、みすぼらしいローブをまとったヨシノだった。
「そして俺!ルーカス・ヴァレンタイン!つまり俺!」
「3回言わないと覚えてもらえない名前だと思っているんなら謙遜が過ぎるぞ」
「うるさいわよ。息の根を止めなさい」
「黙れ」
「おお!1回喋っただけで3つの答えが返る!俺って奴は人気者にしては耳が足りないようだ!」
心臓に毛が生えているどころか、鎖帷子でもまとっているかのような厚顔ぶりで大笑する。このパーティーでリーダーを務め得る資質の大部分はここにあった。
「ところで、グアガさんはお二人の従者のようだけれど、ヨシノさんとテスカちゃんの関係は?」
アネーシャが失礼にならない範囲で探りを入れる。
「相棒だ」
「主人」
和やかに進んでいた会話に微妙な沈黙が流れた。
主人とはどういう意味か?通常の思考を辿るならゴブリンと同じく配下か奴隷なのだろうが、ヨシノの言い方からすると違うようだ。
ではそういう関係なのかと考えると……、有り得ない訳ではない。布に隠れて顔は見えないが、見た目や声から推察すれば一緒になれないことはないだろう。
ただ、かなり、いや、とてつもなくギリギリだ。結婚などといった制度は文化の違いから形骸化しているにしても、初潮を迎えていない女の子を娶るのはどの文明圏でも珍しい。
これは神器と神器使いの関係を知らないための誤解だが、さりとて初対面の集団に神器を見せて「これがこいつ」などと説明するのも危険だ。
信じるかどうかは彼らしだいだし、この世界では珍しいであろう武器を見せて厄介事を呼び込むのも面白くない。
結局のところ誤解は誤解を生み、ジェーンあたりは早速潰したニキビを見るような眼差しを向ける。
これでは信頼関係もクソもないが、そこで迷わず発言する勇者がいた。
「主人ってことはつまり?所謂幼な妻?歳を超えた愛ってか!いや羨ましい。部屋でよろしくやられたら俺悲しみで枕を濡らしちゃうかも」
「違う」
「少なくとも男女の関係ではないし、お前は一度舌を噛み切ったほうがいいな」
我が身を犠牲に誤解を解いたルーカスは、針のむしろにも負けることなく、どこか満足そうであった。
「そんでここに来てすぐってことは、まだどの派閥にも所属してないんだろ?」
「派閥?職業組合のことか?」
「あー、そっからね。ま、ちょっと長くなるけど聞いてくれや」
シルヴェストは帝国においても有数の都市であり、当然人口も多い。
多種族の入り乱れた寄せ集めの集団には寄りどころが必要になり、結果として派閥が出来る。
派閥とはいえ、所詮は烏合の衆だ。よっぽどの少数種族か秘密結社でなければ繋がりは薄く、掛け持ち出来るものすらある。
職業組合、いわゆるギルドは人の出入りが激しいため、派閥が囲い込んで保護している。
ルーカスらが所属しているのは主流派と呼ばれる一派で、その名の通り一番数が多い。種族も普人族が中心だが、種族の違いが参加の障害にはならない。
保守的、自由、穏健な、この狭苦しい街で自然発生した集団だ。大きいだけあって、多少の揉め事は所属するだけで回避出来る。
「つまり今の厄介事も、うちの派閥に所属すればたちまち解決!どーだい入りたくなってきただろう」
「うるせえ!今取り込み中なんだよ見てわかんねえのか!」
話の間に乗り込んできた男達の一人が怒鳴った。
「ん?俺がそんなことを見てわからない奴に見えるんか?それとも怒鳴っただけではいそうですかと引っ込むとでも?どっちにしろ喧嘩売ってることに間違いは無えなあ」
ニヤニヤと口を歪めるが、目から笑みが消えた。他の面々も姿勢をわざとらしく変える。
リーダー格らしい男が少し怯みながらも言い返す。
「お、おいいいのか?俺達ガイウス一派のもんだぜ。主流派が事を起こしちゃまずいだろうが」
分かりやすい他力本願にルーカスはせせら笑う。事を起こしてまずいのはガイウス一派も同じだ。
犯罪者を積極的に入れたり、麻薬の流通に関わったりとろくな噂を聞かないが、それだって街が求めるから黙認されているだけなのだ。
管理出来ない闇を許容するほどこの街は広くないし、何より余裕がなかった。チンピラの10人20人死んだ所で抗争など起こせるはずもない。代わりだけは掃いて捨てるほどいる。
三下であっても風向きが悪くなるのを肌で感じたのか、男達はさっさと要件を済まそうとヨシノに食ってかかった。
「おらてめぇ!うちのもんがずいぶんと世話になったみたいだな」
「先ほどの話、前向きに検討させて貰おう。魔法具を取り扱う店に行きたいのだが、場所を知っているか?」
「ちょっと声かけただけで骨折るとか頭足りねえのか!?耳かっぽじって常識って奴を補充しなけりゃなあ!」
「南北道10層街に乞食がわんさかいるから、そいつらを何人か経由すれば案内してくれるはずだ。あとお土産よろしくぅ!」
「ガキの方もやってくれたってな。この街で小さいからって許されんのは生け簀の魚と煙突掃除の小僧っ子だけなんだよ!」
「感謝する。土産は考えておこう」
「聞けよ!」
複数人で喚いている声の理解を放棄して、己の成すべきをなす。極められたスルースキルは知性ある人間を不出来なAIに変えうるのだ。
あまりに完璧に流したために、店から出る寸前まで止められなかった。
つまり後ろから追われる形になり、慌てて伸ばした指先がテスカのフードに触れた。
毛羽立った布に手入れの足りない爪が絡まり、汚らしい頭巾の中から深い光沢の髪が流れ落ちる。
少女が振り返った。
光。光と形容するよりないが、一般のそれとは隔絶した色彩が瞬いた。意識をガラスの爪で引っ掻く奇天烈かつ混沌としたスペクトルの光線が、混ざり合うこともなしに突き進む。
本来光の受信機であるはずの水晶体が、自ら輝き、虹彩を染めて、瞳の輪郭を曖昧にする。
その瞳の魔力に吸い寄せられた男達の視線は極光の奥底に落下し、結果が認識に変わることもなく、魂まで削ってもそれを理解出来なかった。
その時間があと数分続けば、魂魄を削りきられた死体が5つ6つ転がることになったであろう。
だが慈悲深い神は、どうしようもない屑共にさえ救いの手を差し伸べた。
必要以上の運動量が付いていたが。
人が吹き飛ぶ場面は珍しくはない。魔物の襲撃は勿論、人間どうしの戦いでも、魔術や大型の武器を用いれば人を打ち上げるなど雑作もない。
だが拳で人を錐揉み飛行させるとなれば簡単ではない。
絶妙な捻りを加えたまま墜落した男を持ち上げ、むしろ穏やかな口調で話始めた。
「うちのテスカに手を出したことは、少なくとも万死に値するが、後ろを見せた俺にも非はある。よってお前達は半殺しで良しとしよう。これは絶大なる譲歩であることを覚えておけ」
「て、てめぇ!こんなことしてただで済むと」
「そう、それだ。そっちもただで済ますとは思っていないし、俺もただで済ますつもりはない。お前達のボスはどこだ?」
「そんなもん聞いてなんにるってんだ!」
「殴り込む」
その言葉が意識に浸透するまで数秒の間があった。冗談か?もの狂いか?否、戯れで口に出来ることではない。立ち振る舞いはあくまで理性に支配されている。
ではこの男、シルヴェストにおいて屈指の派閥の長に殴り込みをかける行為に、何らかの論理を見いだしたというのか?
「おいおまえいや、落ち着け。なにも殴り込むって」
「貴様らの行為は無礼千万だが、万々が一にも過失であるかもしれん。だが貴様らのボスに我が相棒を害する気が億兆分の一でもあったなら、俺はそいつを殺らねばならない」
真摯な眼差しで語る姿は物分かりのよろしくない童に語り聞かせる教師にも似て、血なまぐさい理論を振りかざす狂気は感じない。
それが余計に恐怖を掻き立てる。こいつはエールを注いだらつまみを取りに行く自然さで鉄火場に潜るのだ。死ぬも殺すも当たり前という顔をして。
ただならぬ雰囲気を振り切ったのは、やはりというかルーカスであった。この男の肝の太さはローマ数字で表すと紙一枚埋まりかねない。
「おいおいおーい、そんな怖いこと言うなって。こんなんのケツもつお偉いさんなんていると思うか?尻選びたい放題なんだぜ俺だったらそれこそズッキュンバッキュンのお姉ちゃんを選り取り見取りのアハンウフンの」
「それもそうだな、行くぞテスカ」
「オーライ」
「お土産よろしくねー!」
いっそ賞賛されていい蛮勇で危機を回避した酒場に弛緩した空気が流れる。
その油断を突くかのようにヨシノがドアから顔を出した。
「そういえば話せる程度では半殺しとは言えないな。追加だ」
後には精緻な技術で死なない限りの暴虐が降り注いだ、人とランチョンミートの中間の物体が数個捨て置かれていた。