7話 魔物
何の問題もなく街を一巡りしたヨシノ達は、適当な宿屋を探し始めた。シルヴェストはその性質上、区画ごとに職域を定めることが出来ない。綿密な計算により設計された、防御塔を主軸とする陣地に小さな町が建てられ、その点が際限なく接続されて線を、線が繋がり図形を描き出している。
町ごとに特色は存在するが、それぞれが町としての機能をある程度備えていなければならないのと同じで、区画ごとに宿屋、雑貨店、武器防具屋、魔道具屋、薬屋などが所狭しと並ぶ。面積が足りない為にどの店も5、6階建てだ。
都市機能を分担しない設計を非効率に感じるのは、魔物によって都市区画が木っ端みじんになった情景を知らぬ新参者か、忘れた阿呆くらいのものであろう。
幸いにも、同心円状に広がる街路は田舎者に優しく番号が振ってあり、いたる所に看板が立っているので、住所を聞けば探すことはそう難しいことではない。目的地はすぐ見つかった。
灰色のコンクリートの箱は故郷を思い起こさせるが、味気なさよりも6階建ての建物にしては壁が異常に厚い。壁というより土塁だ。
ベランダのようなものが張り出しているが、住人への気遣いは欠片も感じない。ファンタジーにどっぷり浸かった生活のお陰で偏った知識の多いヨシノは、日本の城に散見される防衛設備の石落としを連想した。
その隙間からいやに濃い色をした植物が枝葉をのぞかせ、カオスそのものの情景である。
「宿屋と言っていいんかねこれ。鉄球ぶつけても壊れそうにないんだけど。共産党員とかいそう」
「ごついのばかり。かわいいの希望」
「落ち込むなよ……上から見ると兎の絵とかになってるかもだぞ」
「兎。食欲優先」
「肉屋行けよもう」
一階は受付兼酒場になっており、本来整然と並べてあったはずのテーブルは固まって島になっていたり、部屋の角で談合の場になったりと忙しい。
太陽も真っ赤になって昇ろうとしている最中にも関わらず、酒をかっくらう人種も様々なダメ人間を乗り越えると、三人並んで歩けそうな階段に隣接してカウンターがでんと置かれている。
娘達が独楽鼠のように動き回る中で、営業の努力さえ放棄した仏頂面で女が座っていた。
「なんだい不景気な面をして、金の無い連中を泊める店じゃないよ、ここは」
「この世の中にはお前にだけは言われたく無いことがあるんだぜ。3人だ」
「中途半端だね。8人部屋が丁度3人分空いてるからそこに入んな」
「金は払うから貸切には出来ないか?」
女が眉を顰め、荒事を予感してか壁に掛けたピッケルを取り立ち上がる。カツンと硬質な音が喧騒を切り裂く。女の右足は鋼の棒であった。
ざわめきが一段低くなり、客達は興味のなさそうなふりをしながらも、器用にこちらへ意識を向けてくる。
「あんたみたいな無頼気取りの馬鹿野郎には不足してないもんでね、貸切禁止の法度が出てんのさ。どうしてもってんなら偉くなるか墓場に行くこった。あるいは一番上に泊まるかだね」
「上は空いているのか」
「大抵空いているね。泊まるなら一人頭4銅貨だよ」
「安いな。12枚か」
袋から鈍い輝きの貨幣を出し並べる。女は一瞬固まった後、金を握ってカウンターの下へ入れた。
「言っとくが上に水道は無し、昇降機なんてのも当然無し、何があっても自己責任、調度品を壊したり盗んだりすれば外術師共にばら売りするからね」
「分かった」
説明を聞くと、手短に部屋の場所を尋ね、義務は終わったとばかりに上へ上がる。足早ではないが、動く歩道を歩くような加速で、女に詰問させる時を与えなかった。
「ようアンセラス。俺と結婚する気になったかい?」
「私が出会い頭に死ねと言って死ぬんなら考えんこともないね」
「おお!俺が死してなお愛を誓ってくれるのかい!?やはり俺達は運命で結ばれべっ」
カウンターに来た途端に女、アンセラスを口説き始め、すぐさま撃墜された男、ルーカスは並みの冒険者では到底脳髄を守り切れない衝撃にもめげず、顔をキリッと整えて、本題を切り出した。
「妙な奴だ。いや妙じゃない奴なんてこの街でついぞ見かけたことはないがね。しかし見慣れない格好だ。このシルヴェストで似たような装備を見たこともないなんて相当なもんだぞ。よっぽどのど田舎出身だな」
「あんたに言われるとはあのワイバーン野郎、世をはかなんで死ぬんじゃないかね」
「おお!俺の言葉がそれほどまで人の心を震わすならば、魂から叫ぼう。アァンセラァァス!愛していべしっ」
歌劇の主人公ばりのいい声でポーズを決めて腹から声を出すが、偏屈な女主人の心
はオルフラム砦の城壁よりもなお固く。
義足を支点にして、腰の入った蹴りが袈裟懸けにルーカスの延髄を打った。ダメージの蓄積もあったのだろう、カウンターに顔から突っ込み、力の抜けた腕がだらりと下がる。
「あの……これ死んだんじゃ……」
「しぶとさだけでうちの看板になったヒュドラ擬きだよ。ほっときゃ生き返るさ。一番高い酒出しときな」
店員の恐る恐るの問いにおざなりに答えつつ、先ほどの客について考える。
知り合いは少なくとも10年以上はこの街にいると太鼓判を押す、古参株のアンセラスにさえ推察を拒む材質の装束。子供、それも華奢な女の子に皺の濃いゴブリンが連れ。
珍しいが警戒には価しないはずであった。彼女にとっては異常こそが日常である。鱗のある客や半透明で後ろが透けて見える店員、ちょっと腐っている金貸しと付き合うには鈍感さも才能になる。
だがあの男はそれらとも毛色が違った。外見はむしろ地味、彫りの浅い仮面のような顔。目だけがひたすら重苦しく輝く。
良くも悪くも生命力に有り余った冒険者のものでも、流され続けて終着駅までたどり着き、希望をすり減らした奴隷の目でもない。
己が道を求む聖職者の目に似ていると思いついた時、甲高い鐘の音が壁を震わした。
部屋に入ると、テスカはジグザグに移動しながら魔術によって室内の異物を探し、ヨシノは床に這いつくばったり壁を軽く叩いたりして物理的なアプローチを試みる。
八畳程の剥き出しの床に簡素な二段ベッドが4つと、窓代わりのベランダがあるだけのいたってシンプルな部屋だと確認すると、今度は入口にトラップを仕掛け始めた。
「あぬ……なぜご自分の部屋にそんようなものを……」
「何言ってんだお前、部屋を自分好みに改装するのは常識だろ?あとは脱出用の魔法陣と爆破用の錬金炸薬だな。配置は覚えとけよ」
「へぇ」
「ヨシノ。敵」
「どこだ」
テスカの警告を受けてゆらりと立ち上がる。周りを見回したりはしない。テスカの索敵を完全に信頼しての自然体である。
「上500。落下中。予想ダメージ量5%以下」
「迎撃する」
腕を背中に、腰を落として天井を睨む。いささか滑稽な様であるが、視界の右上に表示した半透明の地図の赤い光点、鐘の声に紛れた風切り音をヨシノは捉えていた。
ヒュウと口笛のようにも聞こえた音が豪と唸りをあげると同時、ヨシノは跳躍に並行して石剣を抜き放つ。
天井に蜘蛛の巣状のひびが走り、風船のように膨らむと、次の瞬間爆ぜた。
落ちて来たものは蛇の胴体に蜥蜴の頭、口は鰐に似てナイフのような牙が並び、足には猛禽のカギ爪を持っていた。そして腕にはコウモリの翼膜。
「ワイバーンか!」
ヨシノが叫ぶが、それには確認以上の意味はなかっただろう。石剣はコンクリートをぶち破った怪物の頭骨を割り、脳にまで達していた。
部屋は無茶苦茶になったが、床は天井より頑丈だったようで、四メートルを超える巨獣を見事に受け止めていた。
轟音と振動は階下にまで伝わったのか、多数の階段を駆け上がる気配がある。
先ほどの女主人の悪態が真っ先に届き始める。壁ごしにも後悔の念が分かる痛ましい叫びである。
「畜生!早速落ちるとはあの野郎、よっぽど日ごろの行いが悪かったか!こんなことなら……」
安っぽい木戸が雷に打たれたような悲鳴をあげ、ピッケルを持ったアンセラスが低い姿勢で滑走してきた。
「有り金全部ぼったくっとくんだった!」
「さっきぶりだな。その言い方だと生きていた場合割引はあるのか?」
「ない!」
「反射でそれか。大した女だ」
「ところであんた……。そんなとこに貼りついて、今日からそこで暮らすのかい?」
天井に空いた穴の縁に指をかけて地面と平行のままヨシノは答えた。
「そうするのも悪かないが、俺は風通しのいい場所が嫌いでね。あとそこで埋もれているゴブリンを掘り起こしてやってくれ」
アンセラスが横を向くと、足だけを出したゴブリンが瓦礫に突き刺さっていた。
「上は閉鎖だ」
「だろうな」
日光が燦々と降り注ぐ部屋で、ワイバーンに腰掛けアンセラスとヨシノが話し合う。
「幸いほぼ完全なワイバーンの死骸が手に入ったし、3日もすりゃ直るだろ。その間はさっき言った8人部屋に泊まりな。代金はまけとくよ」
「なんか自然な感じでお前の物になっているんだが、そういうものなのか?」
「落ち物全般は建物の所有者のもんさ。そうでもなけりゃ、あっという間に破産しちまう」
「なるほど」
「分かったらさっさと行きな。仕事だよ」
「仕事?こいつで終わりじゃないのか?」
「迷いワイバーンの一匹や二匹で鐘を鳴らしてたら暴動が起きるよ。表を見な、魔物だよ」
死体を足場にバク転で天井を飛び越え、捻りを加えつつ外を観察する。落下して座りなおしたヨシノは釈然としない表情をしていた。
「あれが魔物ってことでいいのか?」
「あれ以外にどの魔物がいるんだい。とっとと行きな」
「まああれがお前の言う魔物なら、確かにあれ以外に魔物はいないだろうがね」
今度はテスカと共に天井の穴から外に飛び出したヨシノが見たものは、あらゆる意味で形容し難い存在だった。
大きさは五階の建築物と同程度。ぶよぶよした皮とも甲殻ともつかぬ外皮、色は黒っぽいと言えなくも無いが、角度によってはどの色とも言える薄汚い玉虫色。
そして最も異常なのがその形である。直方体、円錐、三角柱。その他大きさも形状もばらばらの幾何学的立体を好き放題にくっつけた趣味の悪い積み木細工のような外観が、体を組み換えつつ蠢いている。原理は皆目見当もつかないが、触手とも翼ともつかない器官を高速で運動させて宙に浮かんでいた。
飛び交う魔術が直撃すると一部が千切れるが、痛痒を感じた様子はない(感覚があればの話だが)。
代わりに構成部品は常に零れ落ちて、地に落ちるまでに輝いたり砕けたり、これまた千差万別の変化を見せる。
衝撃には弱いようだが、物凄い力を秘めているようで、建物の壁に触れるや否や押しつぶし、人に触れると果実を絞る要領で鎧ごと圧縮する。
「出来の悪いレトロゲーの敵みたいだな」
「レトロゲー?」
「お前のご先祖様の兄弟あたりの存在だな。ポリゴン黎明期だから半世紀以上前か。おっと」
高い場所に立てば当然目立つ。魔物も出る杭を打つ知能はあるのか触手を伸ばしてきた。
触手といっても大小の立体が絡まり合っている、鋭角と鈍角の塊だ。高層建築を単体で支えうるローマンコンクリートが粗い鋸で切った合板のように削れる。
半身でかわすと、拳を球状の黒光りする異常な立体に当て、詠唱。
「壊解灰」
簡易詠唱と多重化で破裂、術式解除灰化を同時発動。
触手が崩れ、先端が宙に放られるが、途中で不自然に静止し、テスカに襲いかかる。
テスカがはたき落として踏みつけるが、皹が入るに止まる。
「結構頑丈。量以外問題なし」
「それにしてもデカいな。砕いても敵が増えると。なるほど厄介だ。」
言っている間にも次々触手が繰り出される。流石に神器を使わねば危ういかと思った時、瓦礫の欠片が触手の一本を打ち、ほぼ同時に緑の影が跳ねた。
「グアガ!」
体重の1/3はある柄まで金属のピッケルを易々と持ち上げ、千切れた触手を砕いていく。当たれば真っ二つの攻撃を的の小ささを生かし器用にかわす。
熟練の動きで10m弱の触手を砕き尽くしてヨシノの横に立った。
「それはどうした」
「いやど(宿)の主人に」
これ俺がレンタル料払うのかなとどうでもいい考えに浸りつつ、石手裏剣で牽制し、体術で砕き、魔術で粉砕する。
時間がたつ内に四方から冒険者が蟻のように群がりだし、塔からの支援砲火で小さくなった魔物を消滅させた。