5話 荒野
灰色の砂利混じりの灰色の土でできた灰色の川辺を灰色の地平を臨み灰色の空を仰いで歩く。
灰灰灰、視界の悉くが灰色である。
「灰、灰、灰がゲシュタルト崩壊起こしそうだぞ畜生。空まで曇ってきた。気が滅入る」
「はい灰灰haiはいハイhighhaiはい…」
「テスカ、バグってるバグってる」
「灰ハイはっ!…私の論理思考回路に直接攻撃を加えるフィールド。脅威」
「なんだその悪意溢れる土地は。論理思考回路って黎明期のグーグル先生のひねり出した造語かよ。だいぶいかれてきてるぞ」
「失礼な、私はそれは非常に洗練された愛のバグではなかったと思います(失礼な、私は非常に洗練されたAIであり、バグとは無縁です。)」
「日本語でおk」
念話すら使わず、延々とくだらない話を続ける2人であるが、それも無理からぬほどに、なにも無い土地だった。
「この大地が球体の星であることは間違いなさそうだな。惑星かどうかは知らんが」
「地平線がくっきり見える」
マルドゥスは州都まで馬で5日といったが、その間には徹底してなにもない。山谷森林湖丘陵、その他地形が一切合切ない。灰色の、凹凸さえ見えない荒れ地が、淡々と広がるだけである。
変化が確認できる地形といえば、とうとうと流れるレム川のみであり、その沿岸に、これまた灰色がかった植生が点々と貼りついている。
これほどつまらない光景は、富士山の噴火の影響で灰色になった空の下、畑を耕していたヨシノをして、初めてと認めざるをえなかった。
古今東西の歴史家や詩人が、その知能と才能の限りを尽くしても「灰色の大地がとにかく広がっている」としか形容できなかった、帝国で最高に魅力のない土地だ。
強壮を誇る戦士も、叡智を極めた魔術師も、ひたすらな無味乾燥の前にはなすすべもない。
万が一道標の川を見失った場合、飢えや渇きで倒れるより早く、あまりになにも無い為に狂い死にする。
魔物と並び、東部辺境の発展を阻害する双璧であるが、結局誰も名前を付ける気が起きなかったので、ただ荒野と呼ばれる。
川が有るからには、野獣も生息はしているが、無視されるどころか退屈しのぎにもう少し増えてくれないかと願われていてる。
この大地では、退屈が人を殺す天敵なのだ。
「おお!あの藪にゴブリンがいるぞ!」
「2日ぶりの動物!感激!」
「ゴブリンという生物なのかは不明だが、どことなくゴブリンっぽいな」
「待ち伏せしてる。ゴブリンっぽい」
「ギャッ!ギャッ!」
「襲って来たぞ!」
「反撃!」
妙なテンションで叫びながら、懐から抜いた笹穂形の石器を投擲する。ゴブリンの一匹に当たると、無色透明の陽炎じみた炎が噴出し、一瞬で消えた。灰と塩が地面に撒かれ、砂に混じって痕跡も消え去った。
邪神系統魔術『ソドムの光の矢』本来は光線を打ち出すが、石に呪文を刻むことでMPを消費せずに発動出来る。
ただの石では3回の発動で砕ける上に、石を成形し、文字を刻む作業から、作成にそこそこ時間を取られるが、コスパと材料の入手の容易さからヨシノは常備していた。
「ギー!ギー!」
「逃げた」
「そりゃあまあ逃げるだろ」
「空しい」
「…干し肉くらい投げてやるか」
2日ぶりに出会った動物がこれではあんまりだろう。妙なテンションの反動で、こちらも空しくなったヨシノは、針の穴を通すコントロールで干し肉をゴブリン達の前に投げる。
あまりマナーのいい行為ではない。だが戦闘以外では普通の高校生のメンタルであるヨシノにとって、戦いにもならない光景はむしろ精神に微妙なダメージを与えた。
「えらい喜んでるな」
「哀れ」
「なんか話し合ってるぞ」
「一匹来る」
4匹に減ったゴブリンの群れの中から、体格のいい一匹が進み出た。いいと言ってもやせ細った体から、他より骨太な骨格が突き出ているだけのことだ。ヨシノの張り手一発で全身が砕けてしまうだろう。
丁寧に話そうとして、逆に訛りが目立っている。それでも案外しっかりとした言葉遣いで話し始めたのは、『万能言語』の力だけでなく、この個体の知能の高さも表しているのだろう。
「あ、ありがたうございます旦那様。こんなわてらにお情けをくだする方がおられようとは」
「いや、別にいいが」
「この上厚かまひいこととは存じますが、どうかわてを連れて行ってはくれませぬか。」
「後ろのはどうするんだ?」
「あれらはもうだめで。旅に耐えられめへぬ」
この荒野において、ゴブリンの脅威は群れないイナゴよりは上である。
先述の通り、荒野はその茫漠たる地平こそが防壁になるが、その猛威は野獣や亜人にも平等に降り注ぐ。
ゴブリンの厄介な点は、繁殖力の高さに起因する数の多さとしぶとさ、その数を生かすことができる知能である。一部の部族においては、鉄の武装を軍団の兵士に行き渡らせ、帝国にさえ警戒されるほどの勢力になっている。
だが、こと荒野にあっては知恵を使おうにも資源がない。数を増やそうにも養う食料がない。
つまり沼地の馬、砂浜の虎である。生存戦略が通用しないのだ。更に、そんな悪条件にあるということは、当然追いやられたのであり、各個の実力もお察しである。
はっきり言って子供でも勝てる。
そのため普段は草の根、虫、魚などを食べているのだが、一家が病気で動けなくなったりすれば、人間の持つ栄養価の高い食料や医薬品を狙って、盗みや強盗を試み、ほぼ確実に返り討ちにあったりする。
ヨシノの診察するところでは、残った全員が、典型的な栄養失調と感染症の合併症であり、助かる見込みはない。連れて行っても3日と保たないだろう。ヨシノの持つポーション類は、人類種用と自分用だけである。
目の前のゴブリンは雑用くらいには使えるようだし、助けておいてその後ほうっておくのも寝覚めが悪い。一匹ならば邪魔ということもない。
たまには人助けならぬ小鬼助けも悪くないと結論づけたヨシノは、あっさり同道を許可した。
残ったゴブリン達は、自分らを見捨てた仲間に、心からの感謝を述べた。
荒野に立つ灌木が3人を見送った。彼らはその場で野垂れ死にでもするのであろう。足手まといになるよりは、壮健な血族の踏み台になる。それが彼らの文化である。
その利他の精神と、苦しむだけと分かってなお自殺を考えない、人と獣の中間のごとき死生観は、哀れでもあり、理想的な生き方とも感じられた。
自らをガグアと名乗ったゴブリンは、博識であり、語りも巧かった。
不毛そのものに映る荒野にしぶとく根付く生命。森林に隣接しながら草の一つも芽吹かない、灰色の世界にまつわる怪しげな噂話は、退屈に殺されそうになっていた2人の興味を存分に掻き立てた。
「…とそなような訳で、この灰の砂が悪いのか、樹海の木が栄養を吸い取っているのか、まだ結論は出ていなのでございます」
「興味津々」
「見た目はつまらん灰色の砂なんだがな。だが森の木が周囲の養分を吸い取っているというのも不自然だ。範囲が広すぎる」
「ええ、ですので地下になにかがあると考えた人が、荒野を穴だらけにぢたことがあったそうです。砂だけがやまずみになったそうですが」
「学者ってもんは偉いな。同じ穴掘りなら温泉でも狙いたいがね。ところで荒野にも砂嵐はあるのか?」
「は?いえ、そんような激しい気象はここ700年無いはず…あっ!」
肌が濃い緑色の上に、土汚れで顔色の変化は窺えないが、その表情は恐怖で凍りついている。
ヨシノが指摘した、砂嵐のような微小な粒子の塊は、見る間に膨れあがり、近づくにつれ神経に触る甲高い音を撒き散らした。
細部が露わになるにつれ、テスカのの顔がげんなりとしていった。
「虫。面倒。」
「蚊か、ありゃあ」
どこに潜んでいたのか、親指の爪ほどもある大型の蚊である。渇いた黒い霧が、耐え難いまでになった羽音を発しながら巻き上がった。
「お気をつけて!荒野蚊です!追いつかれば血の一滴まて食らいちゅくされます!」
過酷な環境下に置かれた生物は、時に驚くべき進化を遂げる。荒野蚊は、レム川の岸に卵を産み、孵化した幼虫は、土に潜って蛹になる。そのまま何年も獲物がやってくるのを待ち、獲物が通る直前に一斉に脱皮し、その体液を吸い尽くした後、再び卵を産む。
脱皮するまでに発見するのは困難であり、駆除するにも数が多すぎる。逃げる内に川から遠ざかれば、戻る術は強運を頼りに進むだけである。
蛹が通行人に気づくかどうかは完全に運であり、荒野から樹海に行く旅で、20人に1人が遭難する理由の1つである。
だが、青年と少女は、不快感を隠そうともせず、かといって微塵の恐れも抱いていない。
虫は苦手だが邪魔ならば叩き潰す。それだけだと言わんばかりである。
「微妙に緊張感が薄れる噛み方だな。しかし脅威ではある。精神衛生的に」
「というわけで、テスカ、いい感じに殺っちゃって」
「がってん」
「承知は略すなよ」
ほんのり桜色に染まった手のひらを返し、息を吹きかけると、黒魔術系統魔術『煉獄の吐息』が発動する。人肌のそよ風から高炉の熱風に変じた吐息が、黒い霧を蹂躙し、それで片付いた。
虫の塊であるからには、ただの熱風では取りこぼしも存在するだろう。だが、煉獄の焦熱は生命を食らうことに貪欲であり、無数の羽虫を、蜜を舐めとるように焼き尽くした。
「完了」
「やっぱ飛んでる虫には火が一番だな。行くか」
呆気にとられる小鬼を置いて、このつまらない地をさっさと踏破せんと、2人は早足に歩き出した。
この世界に来てから、ヨシノの身体能力はプレイヤーキャラクターのそれと同等になっていた。その影響は疲労感にも及び、剣を振り回して駆けずり回っても息が乱れない。歩くだけならば100年でも可能だろう。
しかし、出来るからといってやりたいと思える訳もない。休憩は必要だ。
『神器物語』の生活スキルは、リアルに近い。基本の家事や工作は、スキルなしでも成功するが、極めるには気が遠くなる程の反復練習が必要になる。
スキル習得に制限は無いが、時間の関係から、カンストさせられるのは1つか2つ。職人として生活スキル習得に血道をあげても、派生スキルまでカンストさせて、鍛治や建築といった1分野のエキスパートになるまでが、現実的な限界である。
料理も時間は短縮されるが、材料を切り、調味料を計って煮たり焼いたりする過程は同じである。
計り間違いや煮すぎ、生煮えがあると作成失敗で、上手く失敗すると毒物が生成される。
ここまでリアルになったのは、VRゲームが流行し始めた際、子供の教育に悪いとの説に反論する為に、自然や家事に親しむといった要素を付け加えた、いつものパターンがあったためである。
ぶっちゃけ面倒との声が多かったが、今回はそれに助けられた。
鍋に野菜と水を放り込み、柔らかくなるまで火にかける。干し肉を加えて出汁をとれば完成だ。
外見からでき具合を判断するシステムだったので、少々大味だが、食べられる程度には仕上がった。
「とっとと食え」
「へ、へぇ。よりすいのですか?わてのようなものと食事を囲んで」
「皿洗い。君の仕事。早く食べる」
2人ともガグアを働かせる気は満々であったが、ヨシノはこの小鬼を信用せず、テスカは効率を考えて、目の届く場所から動かさなかった。
それでもガグアにとっては望外の待遇である。実利主義ではあるが、悪人でないのはこれまでの行動から察せられた。
(同士を喪ったのは無念だが、実力と言い、気質と言い、あるいはここで出会ったのは幸運なのかもしれん。荒野に埋もれる運命だと思っていたが、これなら故国への帰還も叶うやも)
ガグアは運命に微かな希望を感じた。
「で、不寝番はどうする」
「ヨシノ体力有る。10:0」
「不平等以前に分担になってねーだろが。こう、3時間くらいやっても計算上問題なくね?」
「世の中計算だけで計れない。そんなことより肉追加」
「電脳知性の言うことじゃねえな…。あと野菜も採れや。ビタミン不足で死ぬぞ。せっかくの頂きもんだし」
「電脳差別いくない。そんなことより肉追加」
「聞けよ」
(大丈夫なんだろうか)
運命は、現世に住まう存在には預かり知らぬ次元で織りなされていると実感しながら、ガグアはちょっと早まったかと不安になった。
夜は期待も不安も呑み込んで、レム川の水のごとく、静かに更けていった。
地形
● 荒野
灰。あと川が一本流れている。正確には樹
海から数十本の源流が流れ、シルヴェストの
手前あたりで集合する。
川のそばに開拓村がいくつもある。発展し
ている場所もあるが、ほとんどは魔物や野獣
の襲撃に対するカナリアの役である。
川沿いには独自の生態系が構築されている
。