3話 世界
森を出て、橋も架かっていない川を、膝まで水に浸かりながら渡ると、パンケーキにも似た、僅かに凹凸のある、環状の空堀と柵に囲まれた村が見えてきた。
堀は、同年代の平均身長を5cm程上回るヨシノが、手を伸ばしても届かないだろうと見積もる深さである。柵も、森から切り出して来たのであろう一抱えはある丸太を、先端部を鋭く尖らせ、二重に配置してある。
更に、燃焼防止のため、表面に粘土質の土が塗り込んてあり、火矢や火炎魔術まで警戒している事が分かる。
こちらの獣を見たことは無いが、熊や虎などの猛獣がいるにしても、些か過剰な防備である。
こんな僻地に、軍隊を送る物好きもいるとは思えない事から、やはりゲームのようなモンスターが存在するのだろう。
ヨシノはそこまで考えた後、この世界についての考察を始めた。
まず、今までいたゲームの中というのは有り得ない。
ハードの性能をからして、ここまでのリアリティを出すのは不可能だ。
ではゲーム中に寝落ちして夢を見ているか、突如発狂して、妄想の中にでもいるのだろうか。だが意識ははっきりしているし、夢のような脈絡のない場面転換もなかった。森の中で違和感を覚えた一瞬で、急に眠ったり妄想にとらわれるというのも不自然である。
何より、既に背中にしまってある、己の愛剣『テスカトリエ』ーーテスカの存在が夢の可能性を否定した。
山賊を切って動揺していた己を、瞬時に冷静にさせたあの言葉は、完全に予想外であった。予想外だからこそ冷静になれたのである。
AIがいくら進歩しても、人間と同じには成れない。否、単なる猿真似では無く、進化するからこそ人から離れるのだ。肉体を持たず、それゆえに人間的な欲望も恐怖もないAIは、人間とは思考様式が違う。
そこに不満はないし、そういうものだ。
その思考様式を、人間である己が、夢でも再現出来るとは思えなかった。
となると、残りは最も非現実的なものとなる。だが、それだけは否定出来る明確な理由がなかった。
村の外周には、3つの櫓があり、その内、入口に近い櫓にキアラが声を掛けると、分厚い角材で作られた扉が、いかにも重そうな軋みをあげて開いた。
「随分と厳重だな。この辺の村はこれが普通なのか?」
「東部辺境の村は、魔物の害が酷いので、大抵このような形になりますね。ですが、ここほど防備の堅い村は、東部広しと言えども数えるほどしか有りません!」
キアラの誇らしげな顔は、村長であるという父と無関係では無いだろう。
「そういえば、その花は何に使うんだ?」
森から出る際に、根から掘り起こして採って来た花であるが、これのために窮地に陥ったとのことで、ヨシノは少し興味を持った。
「あっ、これですか?この花の球根の部分がとっても美味しいんですよ。ですが何故か森の中でないと育たないので珍しいんです!」
「ああ、なるほど。」
キアラ・クラウディア16歳。未だ色気より食い気であった。
見るからに異邦人といった姿の男が、人口100名ほどの村に来れば、目立つことは必然というものである。
村中からの視線を浴びていると、村の中央にある家屋から、筋骨隆々の壮年の男性が慌てた様子で出てきた。
「あっ、父さん!」
どうやらこの男がキアラの父らしい。ヨシノが一目見て、剣闘士を思い浮かべるほどに鍛え上げられた男だった。
顎髭を剃り、口髭と髪を刈り込んでいるのは、組み打ちを想定しているためだろう。
走りながらも体幹を揺らすことなく近づいた男は、娘の頭に拳骨を落とした。
「いきなりなにするのよ!」
「こっちの台詞だ馬鹿娘!勝手に村を出たと思ったら妙な男を連れて来やがって、誰だこいつは!」
また拳骨を落とす。
「山賊に襲われていた所を助けてくれた騎士様よっ!」
「そいつを早く言えいっ!」
もう一度拳骨を落とした。
「3回は非道いっ。」
「騎士様、私この村の村長を務めております、ルキウス・クラウディオス・マルドゥスと申します。家の馬鹿娘がご迷惑をおかけして、まことに申し訳ございません。」
「これはご丁寧に、私はヨシノと申すものです。村まで案内していただきましたし、山賊も我が剣を侮辱したため切り捨てたまでのこと。お気になさらず。」
武器や採ってきた花で手が一杯のため、頭を抑える事も出来ない娘を尻目に、父親はヨシノの言葉に興味を示した。
「ほう…。剣ですか。娘の命の恩人に対して、厚かましい事ではありますが、見せていただいてもよろしいですかな?」
「ええ、村の中によそ者を入れるなら当然でしょう。構いませんとも。ただ侮辱したら殺す。」
その言葉に、ヨシノ以外の全員が凍りついた。
15で東部辺境軍団の兵士となり、腕っ節のみで100士長まで上り詰めたマルドゥスでさえも、震えを抑えることが出来なかった。
殺気をぶつけられた訳ではない。殺気が無かったのだ。
ついでのように付け加えられ、殺気も害意も無い言葉であるにも係わらず、冗談には聞こえなかった。さりとて、相手が下位の人間だからと高圧的に出ている様子もない。
火の神カラバンの、焔の顔を前にしても、同じ事を言うのだろうと感じさせる、鉛より重く、砂金より純粋な意思があった。
いち早く我に返ったマルドゥスは、無論そのような無礼は行わないと誓い、ヨシノの剣と、その他の武器を見分し、そのまま客人を家に招いた。
ルキウス村は、堀と柵に囲まれている地形の関係上、耕作地が限られる。そのため、食料の殆どを森からの採集に頼っていた。
「そのような訳で、食事は肉と少しの黒パンといった貧しいものでして、お口に合えばよろしいのですが。」
「肉はなかなかのもの、粗食に慣れた身としては贅沢なほどです。」
「分かりますか。あの森は大山脈の影響か、異常に木々の生育が速いもので、獲物も肥えています。魔物が溢れる厄介な土地ですが、計り知れない恵みももたらすのです。」
出された料理を印を切った後、手早く片付ける様子は、仏頂面のままではあるが、どことなく満足そうに見える。
凶作の年は、味気ない合成食品で冬を越すこともあるヨシノにとっては、調理されて出てきただけで十分である。
大きめの鶏のような動物の腹に、香草を詰めて焼いたものを平らげ、山羊の乳の先ほど採った花の球根を入れたシチューに手を伸ばしたヨシノに、マルドゥスは切り出した。
「ヨシノ様」
「山賊についての相談ですか?」
「お…お見通しでしたか。」
「こんな男と話し合う事など1つしかないでしょう。」
「なるほど。こちらも同じようなものです。では単刀直入に言います。山賊の討伐に手を貸して頂きたい。無論報酬は出します。」
マルドゥスの依頼は予想通りだった。どうも10日程前に、中央から流れてきた荒くれ者共が、この村を襲ったようだ。人数は約200で、夜陰に乗じて攻めて来たらしい。
だが、相手が荒くれ者共であるならば、ルキウス村の面々は、辺境の地で試され、淘汰され続けた生粋の戦士である。
物見が姿を確認するや否や、鐘の音と共に飛び出し、矢を浴びせて10人程を打ち倒した。
しかし、敵もさるもの、正攻法では落とせぬと見て、森に隠れ、持久戦を挑んできたのだ。
ルキウス村は、生活の基盤を森に頼っている。森に入れなければ、狩りで食料を得る事も出来なければ、現金の収入源である林業も不可能になる。
かといって、こちらから攻めるにしても、相手には数の有利がある。何より森の中で戦えば、血の匂いに惹かれた魔物を呼び込む事に繋がる。そうなれば戦士は全滅、村はそのまま崩壊することもあり得るのだ。
「騎士団か何かに討伐を依頼出来ないのですか?」
「勿論、敵がこの村を一息に潰せる手勢を持つなら、州都より軍が派遣されるでしょう。ですが、此度の敵は村で対応出来る程度、その都度軍を差し向けていては、本来の務めを果たせません。」
東部辺境は厳しい土地である。栄えていた村が魔物の群れによって、一夜にして滅ぶこともあり得るのだ。その中で、余裕のある村が多少困窮した所で、助ける者などいない。自分で解決するしか無いのだ。
このまま我慢比べをすれば、村が勝つだろう。だが、時間を掛け過ぎれば、冬を越せない者が出るかも知れない。
ヨシノとしては、この村を助ける理由は無い。助けなくともどうにかなるだろう。恩を売っても得る物は少ない。
だが助ける理由は無くとも、倒す理由は有るのではないか。ここで逃げても追うものは無い。だがそれは『ヨシノ』の行動ではないのだ。
己の剣を嘲弄する者全てに喧嘩を売り、幾度と無く倒れながらも、必ずその行為を後悔させ、そのあまりに頑なな精神と、異形の剣からギルドに入る事すら出来なかった『神器物語』屈指の奇人。
そうでなければ、10歳でゲームを始めたしたガキが、トッププレイヤーになど成れなかった。その生き方を捨ててしまえば、己はただの高校生に過ぎない。
剣であるが故にヨシノでいられるのだ。
「…一度剣を振り上げたならば、敵の頭を砕くまで振り下ろすべきだな。」
「おおっ!それでは」
「その依頼、受けさせて頂きます。報酬は半年分の衣食住を含めた生活費。それとこの周辺の地理を教えて頂きたい。」
「その程度の事ならば幾らでも請け負いましょう。」
「では作戦が決まるまで休みますので、隣の部屋を貸りても?」
「勿論ですとも。粗末ながら寝台もございますので、どうぞごゆっくり。」
寝室に向かったヨシノと入れ替わるようにして、村の男集が客間に集まった。誰もが砂を噛んだような微妙な表情をしている。降ってわいた幸運を、喜ぶべきか警戒するべきか掴みかねていた。
村長を信頼し、ヨシノと名乗る旅人と戦うならば話は早い。だが、村の存亡を賭けた戦いにしては、決断が軽過ぎると誰もが表情で語っていた。
「村長さんよ、あの騎士様休むと言っていたが、だれも付けないでいいのか?」
ここでの付けるとは、つまりはそういった歓迎方法である。
「いや、ああいうことは最も簡単な歓迎だが、男を最も簡単に油断させる方法でもある。料理どころか、皿や匙まで検分していた御仁だ。警戒するだけだろう。」
印を切る様を、祈りのように見せていたが、それにしては動きに無駄が無かった。恐らく魔術であろう。素材が分からない大量の装備といい、得体の知れない男であった。
「そんな奴を信用していいのか?」
「人間としては分からんよ。初対面の者を一目で計れるほどの見る目は無い。だが戦士として、一目見れば分かることもある。」
依頼を受けてすぐに寝室に向かったのは、人数の差と、森という地形から考えて、行うのは夜襲であると当たりをつけたためだろう。
夜襲ならば、作戦は地理に詳しいこちら任せ、切り札は英気を養うべきだ。仮に彼に不利な作戦を立てても、その時は逃げてしまえば良い。それに夜襲において必要なのは、敵が体勢を立て直す前に決着を付けるスピードであり、そこから考えても切り札には楽をさせるのが基本だ。
そこまで考えてやっているならば、状況判断も含めて一流と言える。
だが、マルドゥスをして彼に賭けさせたのは、彼が決断した際に漏らした言葉であった。
『一度剣を振り上げたならば、敵の頭を砕くまで振り下ろすべきだな。』
あの男に村を助けるなどという考えは欠片も無かった。
ただ己の信ずる教えを守らんとする意思を宿したあの目、鈍く輝きながらあらゆる光を遮るあの瞳は、炎の中に打ち上げられ、戦場で朽ち果てる剣そのものであった。
自分が最後の最後に頼ったその輝きを、マルドゥスは信じた。
村の総会は、翌日の夜明け前に夜襲をかける事を決定した。
ヨシノがソロだった理由は、本人の性格と、剣を作るのに必要な素材が、激レアな上に自分以外探す人がいないので、ギルドに入るメリットが少なかったからです。