舞い戻る季節
「大好きだから・・・大好きなうちに別れたい。またいつか好きだよって言い合いたいから。」
そういって彼は私に背を向けて、私の前から去って行った。暖かい日差しと、冷たい風に包まれた季節のことだった。桜前線が現れる前にやってくる私の失恋前線は、あれから数年の年月を重ねたというのに未だにやってくる。期待に胸を躍らせる学生や緊張で潰されそうな新社会人なんかを見ては、その素直な心を羨ましく思いながらも、早くこの季節が過ぎ去ることを願うしかないのだ。
自分のディスクにあるPCにデータを打ち込みながら、先程同僚から渡された一枚の企画書を横目で確認する。そもそもこの季節を嫌でも意識せざる負えないのには、この企画書が関係するのだ。入社当初は新入社員ということもあり、同僚達と企画を練り下見をし場所取り、上司たちの相手と忙しかったため、意識していてもあの頃の記憶を思い起こす暇などなく過ぎていったのだけど、数年前から新たに新入社員が入り、私達の下にも後輩が出来たのでその企画作成は業務からはずれた。つまり、あの頃の思い出に浸れる時間ができてしまったということ。そして今年も否応なしに強制参加のこの企画は、日本にそろそろくる桜前線を知らせるとともに、私の失恋前線がきたことを知らせるのだ。後輩達が暇のない時間を使い作り上げた苦肉の企画書を、まるで赤点を取ったテストをそっとカバンに隠すように、静かに素早くディスクの引き出しにそっとしまった。
「すいません。坂木先輩。」
数日後、入社から私の下に就いていた代々木華恋が申し訳なさそうに声をかけてきた。
「んー?どうしたのー?なんかあった?」
作業していた手を休め、いつも通り振り返った私に彼女は少し眉を下げて呟いた。
「先輩・・来月予定のお花見の企画書なんですけど・・・。あの。なんか不備ありましたか?」
企画書を先延ばしにしたあの後から、上手いことスケジュールに追われていた私はこの時まで企画書も失恋前線もすっかり忘れていた。代々木は仕事でトラブルが起こって私の所に来たわけではなく、普段企画書などはすぐにチェックする私が、参加の有無を返事せずそのままだった為自分たちの企画になにか不手際があったのかと不安になっていたのだろう。
「あー・・ごめん。早紀にもらった時ちょうど仕事立て込んでてさ、目は通したんだけどそのまま引き出しにしまって忘れちゃってた。」
同僚の藤井早紀を悪者にしてごまかし、ごめんごめんと苦笑いを浮かべながら急いで引き出しから例の企画書を取り出すと、参加に丸をつけ簡易の判を押し代々木に渡した。安心していつもの笑顔を見せ自分のディスクに戻っていく代々木を見送りながらそっと溜息をつくと、いつのまに居たのか隣のディスクに戻っていた藤井が声をかけてきた。
「相変わらずこの時期には弱いですねー。」
先程のごまかしを聞いていたのだろう、いつもの冗談に嫌味が込められている。
「この時期はダメっすねー。先輩コレ食べますか?」
学生時代からずっと一緒にいる藤井に素直な愚痴をこぼし、先程の嫌味に謝罪の意味を込めて引き出しから取り出した小袋のお菓子を差し出すと、ラッキーなんて呟きながら素早く奪っていった。
「あれから何年だっけ・・。もう・・。」
「5年。」
藤井の言葉に被せるように呟きながら、またPCに打ち込みを再開した。
「もう5年かー。早いねー。」
なんでもないことのように呟きながら背もたれにがっつりもたれ小袋のお菓子をボリボリ食べだした。
「自分であげといていうのもなんだけどさ・・休憩時間でもないのにオフィスでお菓子ってどうよ。」
「・・近々飲みに行くかー」
まったくかみ合わない会話もいつものこと。PC横に常備しているカレンダーの今週の金曜を指で指せば、了解という声だけが返ってきてそれを合図に会話は途切れた。