(4)裏の世界に生まれた男
鬱に入り込んで、全然書けない。
お待たせして申し訳ないです。
あー……他の作品の方が、読者は多いんですけどね。
スライムというのは奇妙な生き物だ。
小説の中では魔法生物とされることの多いその生き物。しかし、この森のスライムは、きちんと臓物を備えた歴とした生き物だった。
森の中を彷徨いて、特に拘り無く目に付いた物を食しているかの様なその生き物。
動きが遅い故に、大抵は植物を取り込んで内蔵を緑色に染めているが、偶に動物を補食した際にはその緑が鮮やかな赤に変わる。
それでいて内臓の他の粘体は、常に汚れ無き無色透明だ。
スライムの食事は、その粘体で相手を包むところから始まる。
――が、包み込んだらそこで終わる。
包み込んで、そのまま見る間に元の大きさに戻ってしまう。
まるでそれが、中身など入っていない風船ででもあるかの様に、本の一瞬で形を失って、気が付けば内蔵の色の違いばかりがその名残だ。
森の中で、何度もそんなスライムの食事風景を目にしてきた。
だから、いざそれが我が身に降り掛かったその時も、悟りにも似た心持ちで、一瞬で苦しみを終わらせてくれるだろうその瞬間を、心待ちにもしていたのだ。
だが、その時が来ない。
じっと閉じていた目を開けてみれば、全身を覆うスライムが先刻から体を収縮させて、どうにも我が身を取り込もうとしていた様だ。
その度に、確かに皮膚は融けて肉は露わになり、柔らかな腹にも穴が開いたと思えば嫌らしく果実に擬態していた赤い生き物が零れ落ちたりしている。
痛みは無い。
鮮度を保つ為か、他の理由か、麻痺をしている感覚でも無く、体を融かされている事実だけがまるで感じ取れない。
喰い荒らされた腹の痛みすら既に無く、見た目は半分消化された死体以外の何者でも無いのに、目を閉じれば五体満足で何も損なわれていない様にしか思えない感触だ。
ずっと口も粘体で覆われている為に、息すら出来ていないというのに……。
死に懸けているのに苦しくないなんて何を言っているのか分からないって?
……我もそうだ。そう思う。
だがそれも、少し時間が過ぎてみれば解決した。
奮闘するスライム君が、状況を動かしたのだ。
何とか我を喰らおうとしてか、身悶えるスライムが、我が体を抱え込んだまま、ゴロリと横に転がっていく。
我は、転がっていく我が体とスライムを、最初にスライムに呑み込まれた場所に取り残されながら、ただ見送ったのだ。
何の事はない。
既に我は死んでいたのだ。
どのタイミングで死んだのかは分からないが、スライムの作用で苦痛を麻痺させられている間に、窒息でもしていたのかも知れない。
そうでなければ、食い散らかされた腹や、溶かされた肌からの出血で、失血死していたのかも知れない。
どれと言われても納得できる。寧ろ、死んでいなかったと言われた方が理解不能だ。
しかし、見送るスライムの姿は、否、辺りに広がる光景も含めて、それは納得の外に在る有様だった。
――暗闇の中に在りながら、不思議と明確に分かるその姿。
転がり去る、スライムだった筈のそれの姿は、緑の内臓をその身に納めた透明のゲル状生物……等ではなく、殻の外れた蝸牛の様な、一種異様な風体をしていた。
今はその体の中に、死んだ我が肉体も見えない。
本の一瞬、我が肉体と目が合った様な気がしたことがそもそも幻だったというのか、今はもう森の木々すら見えない暗闇の中、所々に蠢く何者かの姿しか周りにはいない。
しかし、一瞬でも見えたのなら、我が死体の目を通じて見ていただけとは言えないだろうと意識を集中しようとしたとき、それが起きた。
転がり退いた、スライムだった筈の蝸牛もどき。その膨らんだ背中の瘤に、勢いよく血肉色の流動体が注ぎ込まれて膨らんでいく。
直ぐにそれが、元々我が肉体だった物だと直感した。
半透明の体の中で、何処とも知れない場所から噴き出してくる血肉の噴水?
数多のファンタジーや怪奇物、幻想小説の類いを読み漁っていれば、とっくりと考えずともそれと知れる。つまり、今まで我が知覚していたのは“表”の世界で、今我が見ているのは“裏”に当たるのだと。
今一度我が身を見下ろしてみれば、そこには確と素っ裸の我が肉体が見えている。
表の体は、今も目の前の蝸牛もどきの瘤の中で、血肉溜まりとなって蠢いているというのに……。
それに、先から蝸牛もどきに近づいてみようかと足を動かしてみても、丸で空中で藻掻いているかの様に力が入らず、欠片も前へ進めない。
じたばたと藻掻いている内に、ふらふらと宙を飛んできた丸い玉の様な物を見て、思わず掴んでみれば、それは確かに掌の中に掴み取れた。
ならば、触ることが出来るのは、確かなことなのだ。
掴み取った丸い玉は、ブンブンと細かな振動を掌に伝えながら、我が手から逃れようと軽い力を伝えてくる。
ならばこれは、きっと表側の、虫か何かな生き物の、臓物の一つなのだろうと理解する。
歩行と捕食器官のみを表に出したスライムの、裏側には蝸牛もどきな消化器官。
宙を飛ぶ虫か何かにも、きっと何かの力を持っている謎の球体。
思えば、森の生き物は余りにも理不尽な強者揃いだった。
カメレオンよりも完璧な光学迷彩を施す蛇もどき。
追尾する投網で我を捕らえた巨大な食獣植物。
只の兎に見える小動物さえ、窮地に陥れば謎の衝撃波を浴びせてくる。
そして目の前で我が肉体を貪る蝸牛もどき……否、スライムの異次元胃袋。
動かぬ燭台樹でさえ、木に登ろうとする不届き者には、火炎の玉で迎撃する。
何というファンタジー! 素晴らしき理不尽!
しかしその謎も今や解けた。奴らは裏側に、秘密器官を備えていたのだ。
では、我は?
我の裏側には何がある?
昂奮に震える手で顔を撫でれば、確かにそこにある我が顔の形。足を踏み出すことは出来なくても、感覚はきちんと備わっているらしいその感動。
辺りに見えるのは、丸で豆腐やマシュマロの様に頼りなさげな柔物の中で、比類無き力強さを持つこの肉体。
思えばスライムが我を取り込めなかったのも、裏側にあったこの体が蝸牛もどきの瘤を潰す様に邪魔していたのではないだろうか。
表では弱者なれど、裏では強者。
裏側が齎す力の使い方を覚えれば、きっと表でもそれなりの場所に行ける筈だ。
別に俺様最強とかTUEEEEとか我は無敵なりとかしたい訳ではない。
しかし、いい加減、殺されリフレインなネバーエンディングには飽いたのだ。
今、我に備わる力は少ないが、これは明日へと続く力だ。
表の我が肉体は、文字通り死と隣り合わせの中で鍛えてきた体だ。この世界に冒険者がいるのか、そもそも人がいるのかも分からないが、駆け出しの冒険者は脱却する程度には鍛えられている筈だ。
裏の肉体は、それこそ未知数。可能性の塊だ。これから鍛えていく中で、きっと我が切り札になるに違いない。
そして、おそらく裏側に肉体があることによる恩恵。あるいは呪いかも知れないが。
我が死んでも蘇っている理由は、この裏側の肉体の他には考えられない。
抑圧による後遺症。それは臆病に他ならなかったが、今の我に抑え付けるものは無い。
死すらも終わりでないならば、何を恐れることが有ろうか。
今の我は何処までもいける。思うが儘に彷徨える。
冒険だ!
冒険だ!!
冒険だ!!!
思えば幼き我には確りと冒険心という物が宿っていた。
本の三歳程度の年齢で、迎えが来ないからと数キロは先の家までスイミングスクールから独りで帰ろうとしたのは、あれは確かに冒険の始まりだった。
ああ、冒険だ。
我が冒険はここから始まるのだ。
宇宙が最後のフロンティアなら、異世界は新たな冒険の地だ。
梢から漏れる木漏れ日。吹き抜ける風の匂い。夕闇を彩る未知なる生き物の声。
六つ眼の黒鬼とは出会ったが、この世界に人はいるのだろうか。
不思議なこの森を、冒険者が闊歩しているのだろうか。
それともここは怪物たちの世界で、全ての大地は強者による弱肉強食の世界なのだろうか。
嗚呼、そうとなれば、我はそこに這い上がれるのだろうか!
冒険だ。
素晴らしきかな、冒険の日々が始まるのだ。
しかし、今は休息の時。
復活の時までは、暫し我も骨を休めよう。
何者にも侵されることのない裏側の世界。
すぐそこに在る未来を想い、我は口元に笑みを浮かべ目を閉じた。
主人公の境遇が洒落にならなくノンフィクション入り込んでる罠。
今の会社辛すぎて辞めたいけど、野垂れ死ぬ未来しか思い浮かばないよ……
自分だけの図書館を手に入れて、本に埋もれて気が狂って死んでしまえばいいなんて、そんな未来を理想にしていたりしたけれど、欠片も手が届きそうにないよ。ぐっすん。




