リボンの似合う子猫
その駅に着く前に、私はイヤホンを耳から外した。電車のアナウンスがかかる。体にGがかかる。ブレーキがゆるゆるとかかる。半ば伏せた目を窓の外に向けるタイミングもいつもと同じ、一連の流れに組み込まれている。
プラットホームに立つ彼女の姿も立ち位置もいつもと同じ。私とそっくり同じ制服、唯一違うのは胸元で緩めたリボン。私はその代わりにネクタイを締めている。そのリボンも赤いマフラーに隠れて今は見えない。
「ひな、おはよ」
「おはよう」
おうむ返しに挨拶を返すと、幸せそうに笑った彼女は私の隣に座った。鞄を足元に置き私の手に片手を滑り込ませる。こっそり指を絡ませるのもいつもと同じ。マフラーに口元を埋めて眠そうに目を細めた表情は、首に赤いリボンを結んだ子猫みたいだ。リボンの似合う、子猫。
高校2年の冬。彼氏いない歴=年齢。
けれど私には目下、恋人という意味での「彼女」がいる。
教室に入るといくつもの挨拶が彼女を出迎えた。私に向けられたものではないから聞き流して席に着く。彼女は早くも女子の集団に溶け込んでいた。私には似つかわしくないほど、女子高生。みんなリボンだ。ネクタイなのは私くらいしかいない。
予鈴が鳴る。教科書とノートを揃え誰を待つこともなく立ち上がる。一時間目は物理室で授業だ。
学校ではさほど一緒にいるわけでもない。彼女には友達がたくさんいる。私は集団行動が苦手だ。ただそれだけのこと。私と彼女は本当は住む世界が違う。居場所が違う。階層が違う。スクールカーストの厳然とした区切りは私たちの間にくっきりと引かれている。
背後からお喋りが追いかけてくる。その中に混じった一人の声を耳が拾ってしまうのは私のポジションのせいだろうか、それとも単に彼女の声がよく通るのか。
本当ならあまり関わることなく終わっていたのだと思う。彼女は私のような単なる地味なクラスメイトを卒業すればすぐに忘れただろうし、私も彼女を華やかな階層の一人と見て目を逸らし続けただろう。
本鈴、駆け込む数人、起立、礼。素っ気ない木の箱そのものの椅子に浅く腰かけて机に腕を乗せる。教室の机と素材の違うそれは制服越しにも冷たい。出欠確認の点呼は五十音順に、物理室の端から迫ってくる。
「佐倉陽菜乃」
「はい」
呟く返事は目立って低い。自分の耳で聞いてさえそう思うのだから、周りにはもう数段低く聞こえるのだろう。ひなの、なんて可愛らしい名前の響きには似合わない。それは声に限った話ではないけれど。
「花園りん」
「はい」
視界の端でピンクの膝掛けをスカートにかぶせた彼女が返事をする。無意識に目を向けると彼女はちらりと振り返り、小さく笑った。束の間視線が絡みまたほどける。それを感じて黒板へ顔を向ける。物理室は教室に比べて寒い。膝掛けがあれば少しは違うか。
前の席からプリントを受け取り、1枚取って後ろに回す。印刷された公式と同じ文字列が黒板に殴り書きされる。
きっと放課後まで彼女とまともに話す機会はないだろう。けれどまあ、大したことじゃない。どうせ人目がなくなったらとびついてくるから、あの子猫は。
それはそこそこ幸せで、これくらいが私には丁度いい。今日もきっと、そんな日。