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掌編小説

作者: 斎藤康介

 友人が会社を退職した。

 退職後に酒を飲んだ際、理由を訊ねたら「髭を伸ばしたくなった」とのことだった。


「髭?」


「そう髭」と言いながら友人の鼻の下と顎を右手で触った。そこには、確かに前にはなかった髭があった。彫りの深い顔立ちをしているため、髭はとても自然で良く似合っていた。


「マジで?」


「マジ。ほら俺って営業だったろ。身だしなみを気にしないといけなかったから、髭は剃っててさ。けどある日、テレビを見てたら急に髭が伸ばしたくなってな。これは会社を辞めようと思って、次の日、上司に退職の話をした」


「それで会社には『髭を伸ばしたいから会社を辞めます』って言ったのか?」


「まさか。流石にそこまで阿呆じゃない。会社にはちゃんと別の理由を言ったよ」


「別の理由?」


「ああ、他にキャリアを積みたくなりましたってな」


「キャリアね……、便利な言葉だ」


「まったくな」


 その後、私も転職を考えているが、なかなか踏ん切りがつかないことを話すと、友人は笑いながら言った。


「俺が言えた義理じゃないが、後悔だけはするなよ。もし会社に遠慮があって辞めれないのなら、こう思えばいい『自分の代わりならどこにでもいる』と」


 その後も二人で飲み続けて店を出た。私は明日も仕事があるため帰宅することにしたが、友人は別の店に顔を出す予定らしく、「じゃあな」と言って夜の街に消えていった。私は友人の背中を見送り、そして通りに出てタクシーを停めた。アルコールのせいか、退職の相談ができたためか、幾分心が軽くなった気がした。運転手に行き先を告げ、ふと(・・)バックミラーに映った自分と目が合った。ミラーに映った顔は朝見たときと同じく貧相な顔だった。顎に手をやると、少し伸びた髭がざらりと触れた。髭には伸ばして似合うものと似合わないものがある。自分が伸ばしても友人のように洒落たものにはならないだろうと思った。


「キャリアね……」


 25歳、独身。いまの自分に守るべきもの、後悔することもない。寧ろ、何もないと言っていい。


「髭か……」


 独り言を呟く私を不審に思ったのか運転手がミラー越しに見てきた。鬱陶しかったが、私は笑顔をつくり運転手に向けた。

 タクシーは繁華街を抜けていく。きらびやかなネオンが遠くなっていく中、私は上司に告げる退職理由(いいわけ)を考えながら目を瞑った。

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