02:斬殺残殺/名誉の為に
いかれていた。
笑顔で叫ぶ切り裂き太郎は、刃物を上げて笑い続ける。
見るからに、フォールディングナイフだった。刀身の短いナイフには、傷がたくさんあることが、遠くから見ても分かった。
「光栄だ……、実に光栄だ。若者からも名前を覚えられているなんて、最高に気持ちが良い。実に気分が良い。有難う、 少年」
切り裂き太郎は言った。
馬鹿馬鹿しい。
「……にしても。何とも余裕な表情だね、君は。――人殺しを目の前にしても、その焦りのない顔つきはわざとか? それとも、 自然とそんな顔をしているのか?」
ナイフを突き出して、切り裂き太郎は俺に言った。
「さあな。生まれつきこんな顔だ」
「その死人のような目がか? 猫背気味の身体もプラスされているし、間違いなく死体と思われていてもおかしくないだろう。い や、あえて言うならバンビかな?」
バンビ?
ゾンビだろ。
「ゾンビだ。そうゾンビだ。……君はそんな事で良いのか? 人生が楽しくなくなるぞ。これは経験者の忠告だ。脳に刻んでい た方が良い」
「人殺しのアンタに言われても、どうとも思わないのは何故かな? あ、そうか。人殺しだからか。――人殺しの言う事は、間 違いだからな」
あえて、挑戦的に。
喧嘩を売るように。
「……最近のティーンズは、怖いもの知らずなのかな? いや、それとも――ただの馬鹿かな?」
一歩。そしてまた一歩。切り裂き太郎は俺に近づく。
というか、いい加減この状況を誰か発見しろ。
そんなこんなで、俺も一歩一歩後ずさりをする。
「口で言っても、身体は本音を吐いているようだな。後ずさり――、恐れている証拠だ」
切り裂き太郎は、ナイフを揺らして俺に言う。
段々と下がっていくうちに、住宅の塀に突き当たる。
おいおい。
逃げ場無し……かよ。
「光栄に思え、少年。この切り裂き太郎に殺されるのだから」
一歩。更に一歩。とうとう――切り裂き太郎は俺の寸前に来る。
傷だらけのナイフが、俺の顔面に辿り着く。
「……人間というのは、死ぬ寸前になってからこそ、その本性を表すものだよ。死にたくない、なんて戯言を吐くのがワンパタ ーンさ」
ここで俺の考えなのだが。
下校中に突然殺人鬼と出くわして、馴れ馴れしく会話しては、顔面寸前に刃物を突き出される。といった状況を、普通だと ――日常だと思う人間は挙手を頼みたい。
挙手してる人間など、いるわけがないだろう。
でも――、そんな日常を過ごす人間は、少なくとも一人は実在している。
俺は――、更に挑戦的に。
「なあ、一つ良いか?」
「何だ、遺言か? 構わんよ。切り裂かれた君の死体を君の家族に見せながら、君の最後の言葉を届けてあげよう」
切り裂き太郎はそう言いながら、俺の目の先に、銀色に光るナイフを持っていく。
全くもう。
内心で考えていた言葉を、俺は口に出した。
「どうして人殺しっていうのは――お喋りなんだろうか?」
「はい?」
その呆れた面を殴りたいものだが、俺はあえてそれをしなかった。
直後。
がら空きの切り裂き太郎の腹部に膝キックを浴びせると、詰まった悲鳴を上げる切り裂き太郎がよろけている間に、右手に 持っていたフォールディングナイフを奪うと、そのまま電柱の裏にダッシュした。
逃げ場確保。
獲物確保。
殺人鬼との距離確保。
圧倒的有利だ。
これでもう、殺される事はなくなった。あとは通報すればそれでお終いなのだが、生憎携帯電話という高価なものを持ってい ない高校生がここにいる。
わずかな距離の間で、沈黙は数十秒生まれた。
やけに緊迫感のある数十秒の中で、蹲る切り裂き太郎は、ようやく地面に立った。
余裕の、表情で。
「……少年、君は軍人か?」
「だったら素直にアンタを殺してるさ」
「なら違うのか。……だが、聊か疑問を持ってしまう。その運動神経といい、殺人者相手の余裕の構え。……人殺しを相手 に熟練しているのか?」
その問いに、あえて内心で答えておこう。
イエス、と。
「世界中にはいろんな人間がいるだろ? 少なくともその世界の中の俺は、切り裂き太郎との戦闘に関しては有利だった、と いう話だ」
「つまらない事をほざかないで欲しい。……切り裂き太郎だぞ? 世に恐れられたあの切り裂き太郎だぞ!? 普通なら怯え、 殺されるのが当たり前なのにも拘らず……、君はそうではない」
左手で腹を押さえながら、それでも笑みを浮かべ――てはなく、怒りの表情、つまりは睨んだ目で俺を見ている切り裂き太 郎。
「……少年、どうやら私は無性に興奮してきたぞ……!」
笑顔になる。
切り裂き太郎の笑顔が、震える。
「……君を切り裂けば、私の欲求も一瞬にして満たされそうだ」
そして。
ダークスーツの内側から――もう一つのナイフを取り出した。
「なっ……!?」
サバイバルナイフだった。
黒いナイフ。傷一つ無く、綺麗な漆黒。
漆黒と漆黒が重なっているためか、妙な雰囲気がそこから流れていた。
いや、これは単なる――切り裂き太郎という人間のオーラか? いや、前言撤回だ。人間じゃない。――殺人鬼だ。
「この世には殺されて良い人間とそうでない人間がいる。殺されて良い人間の具体例としては――腐った人間、汚れた人間 、そして――君のような人間」
ナイフを、俺に向かって差す切り裂き太郎。
「殺されてはならない人間というものは、厳密に言えば存在しないだろう。あえて言うなら、目的のない人間だ」
サバイバルナイフが、威嚇を示す。
「君みたいな人間は、殺されるべき存在なんだよ、少年。その態度、その強さ。まるで私の新たな欲求を満たすための素材 にしか思えないではないか、ええ? そう思わないか、少年」
「自分で言うのもなんだけども、確かに俺は殺されて良い人間なのかもな。現に今こうして、俺はアンタと出会ってるし」
電柱の裏で、俺はナイフを握る。
これじゃまるで、切り裂き太郎とその弟子。的な構図だ。
「そうだと自覚しておきながら生きている人間なんて、君ぐらいのものだろうね。君は本当に不思議だな。私に出会っても何ら 怖がる事は無く、むしろ反抗するまでに至ったのだから。……馬鹿、と言うべきかな? 私に――歯向かうなんて」
サバイバルナイフを持った手が下ろされると、切り裂き太郎は笑みを消して、俺に向かって言った。
「今度こそ……死す……!!」
その瞬間、切り裂き太郎は走り出した。
サバイバルナイフという危ない物を振り回しながら、電柱の陰に隠れている俺に向かって走り出した。
勿論、対策はある。
相手がサバイバルナイフを出してきたところで、もうこれは逃げるしかないと決意したのだから。
俺は――逃げた。
全速力で。
五〇メートルを六秒台で駆け抜ける速さで。
電柱の裏には、車がギリギリ通れないぐらいの道が直進している。素直に真っ直ぐ走れば、そこから先がどうなのかは分か らないが、とりあえず切り裂き太郎との距離を広げて、余裕が出来たら公衆電話なんかを探して通報しようと考えている。何 故か、俺の財布にはテレホンカードがある。何て都合が良い。
ということで、脚力フルパワー発動。中学時代は陸上部だった俺にとって、短距離は得意である。切り裂き太郎との追い かけっこも、難なくクリアだろう。そう思って、この道をひたすら走る。
両側が住宅の塀になっており、塀を越えればそこはもう人の家。
だから。
こんな状況に誰も気づかないここ周辺の住民達を、いつか殴りたい気持ちが三割ある。
とにかく全速力。
声も出さずに、荒い息で走り、走り。
「……!!」
走りまくって走りまくり。そうして五〇メートル以上は走ったと思うと、俺はふと――後ろを振り向く。
「最近の若者は足が速いだな!」
と、叫びながら。
切り裂き太郎は、俺の後方五〇メートルほどの位置にいた。
ただ、それだけなら良かっただろう。
まさか――、サバイバルナイフを投げてくるとは思わなかったのだが。
「だからと言って何の問題もないのだが――ッ!!」
そう言いながら、切り裂き太郎はサバイバルナイフを投げるような姿勢に入る。
あ? 何の構えだ?
そんな疑問を抱く暇なんて無かった。
奴は。
切り裂き太郎は――、
「ふんッ――ッ!!」
黒きサバイバルナイフを、俺に向かって投げた。
もうそれは、剛速球を投げるピッチャーのようなフォームで、更に投げられたナイフは光の速さと思われるぐらいのスピードで。
シュンッ! という効果音を思わせるほどに。
「ぅわっ!?」
俺は、向かってきたサバイバルナイフを避けようと瞬時に考えるが、時間がない。
だから――、俺はわざと、こけた。
「――ッつ!」
わざと転んだために、それほどのダメージを負ったが、ナイフ一本が背中に刺さるよりかはマシだったろう。
瞬時に後ろを振り向いては、すぐそこに追いついていた切り裂き太郎を見て、俺は低姿勢からのダッシュを始めた。
スタートダッシュで、それなりにギリギリの距離を持った俺は、そのまま全速力で向こうに走ろうと必死に努力――しようとした 。
しようとしたのだ。
だけども。
最悪は起こった。
「……おいおい」
俺は、ゆっくりと足を止める。
その行動に問題はない。
何せ目の前に、広がる壁が、そう言っているからだ。
つまりは――、行き止まり。
「はは! こういう展開も本当にあるのか。ちょっとばかり感動した」
瞬時に後ろを振り向けば、先程投げたサバイバルナイフを拾おうとしていた切り裂き太郎が見えた。距離間は縮んでいく。
塀と塀と馬鹿でかい塀と殺人鬼に囲まれた空間の中で、俺の心臓は太鼓のように鳴っている。緊張というよりも、恐怖とい うべき鼓動が鳴っていた。
「……」
「……自分の運命に憎むべし、だよ。結局、君は私に殺される運命だった――ということかな」
拾ったサバイバルナイフを、右手で握る切り裂き太郎。
その笑みは――前よりも更に笑っていた。
笑顔に笑顔を足して、更に笑顔を足したかのような。完全たる笑顔。
殺人鬼の――笑い。
「……アンタ、何のために人を殺すんだ?」
俺は静かにそう言った。
別に、聞きたくて聞いたわけじゃない。
ただの――時間稼ぎだ。
「……理由は無いと先程言ったが、そうだな……、人を殺す私の存在理由なら語ってもいいかもしれないな。――冥土の 土産として、ね」
切り裂き太郎はそう言いながら、一歩を踏む。
「簡単に言えば、――名誉のためだよ」
「名誉?」
「そう、名誉だ。私は世界に認められたいんだ、この存在を。切り裂き太郎を。――越後太郎という一人の人間を!」
「……何のために」
「私のためだよ。それ以外に何もない。……私の名誉を残し、世界に名を刻むためだ。歴史に残る存在として、未来でも恐 れられる存在として。――私は絶対的存在――最高のシリアルキラーであるということを、世界に証明させたいんだ」
ふざけた冗談を抜かすな。
「君にとっては冗談なのかもしれないが、私のとっては本気だ。だから今の私がいる。切り裂き太郎という、一人の殺人鬼が いる。名誉のためなら何だってするさ、それが誰かを犠牲にしようとも――、私が良ければそれで良い」
「そういうのを、自己中心的って言うんだよ」
「だから――。それでも構わん。名誉のためなら、な」
切り裂き太郎は、また一歩踏む。
徐々に近づく距離の中で、俺は心の中で思うのだった。
いい加減この状況にご近所共は気づけ、と。
そして俺は、言葉を放った。
時間稼ぎのため――というより、この状況を打破するため。
時間はもう稼いだ。――考えは付いた。
「……何のために、名誉を欲しがるんだ? アンタそれで、何になるんだ。ただの人殺しとして、人々から嫌がれるだけじゃな いか」
「それで良いんだ。世界にそうやって認められただけで構わない。私は――名誉があれば、それで良い。ほんの少しでも、奴 らに見返すことができるのならな」
奴ら?
「……君は知らなくていいよ、もう。……土産物は、ここまでだ」
切り裂き太郎は言葉を放ち。
直後。
瞬間移動というべき速さで、切り裂き太郎は俺の寸前に現れた。
サバイバルナイフを、上に掲げて――、
「死す」
黒い刃物が、俺に振りかかろうとした。
されど。
「人を殺して手に入れる名誉なんて――」
俺は止める。
いかれた殺人鬼――一人の人間の狂った右腕を、握る。
そんでもって。
「名誉じゃない」
俺は、もう片方の手に持つフォールディングナイフを、切り裂き太郎の首に当てた。
「……なっ!?」
振りかかろうとしていた右腕が、宙で暴れようとしているところを、俺は止めている。震える右腕を見ながら、俺は切り裂き太 郎に言った。
「人殺しが手に入れるものに、名誉なんて存在しない。そんなもの、アンタにとっちゃ、遥かかなた、銀河を越した所に存在し てる」
名誉なんて。
手に入れようとするものじゃないし。
人を殺して手に入れるものじゃない。
そんなこと、当たり前のように分かってるだろ。
「……君には、驚かされるばかりだ」
「……」
切り裂き太郎は言った。
笑みのない、顔で。
「名誉じゃない、か。……君にとってはそうだろう。でも、私にとってはそうじゃない。というより、名誉という言い方は殺伐としてい るのだろう」
「……殺伐?」
「私はただ――有名になりたかっただけだ」
切り裂き太郎は言った。
笑みのある、顔で。
右腕を左手で掴む俺と、首にナイフを突きつけられた切り裂き太郎。こんな状況を今近所の方々が見てみろ。俺が殺人 未遂容疑で逮捕されるわ。
「無能の私が、どれほど足掻こうとも、その存在を上へと持っていくことなんて出来ない。なら、私でも出来るやり方ですれば 良いじゃないか。そう思って――今に至るんだよ」
どういう事だ?
無能? それは。
それはお前の事なのか? 切り裂き太郎。
「長話に付き合ってくれ。――私は無能でね。会社でも人一倍努力してもその成績は駄目だった。当たり前のように私はクビ になり、放浪しては再度仕事に就職し、そしてまたもクビになる。どれだけ努力しようが――私にとっては無駄だった」
「……」
「私の近くの人間は、自分の才能を発揮して知名度を上げ、上へ上へと登り詰めて行く。その才能を上手く使って、世界に 認められる寸前までに登る。ああ、そうなのか、と。私は、どれだけ頑張っても、あいつらのような世界に入ることはできないん だな、と。そう、いつしか思っていた」
静かだ。
切り裂き太郎以外は。
「嫉妬したんだよ。名誉というものを勝ち取る人間に」
切り裂き太郎は続ける。
「だから私は無性に考えた。――名を上げたい。認められたい。強くなりたい。そう、思い想い思い想い――、そして辿り着い た」
嫌なラストが見えてきた。
「……テレビだよ。テレビに名前が映るだけでも私にとっては最高だった。そして思った。テレビで流れる名前の――ほとんどの 共通点」
――容疑者。つまりは、人殺しか。
「そう。――殺人犯。人殺しだよ」
悪を名乗り、悪に染まり。
悪で生きて、悪で満足し。
そして人殺しは――人を殺す。
「誰かを殺せば名が上がる。だけども、それだけじゃつまらない。もっと上に登りたい。――だから。だからだからだから!」
笑みを消す切り裂き太郎。
越後太郎は、無表情な顔で。
「私は何人もの人間を斬殺し――」
冷酷な目で、俺を睨み。
「シリアルキラーになった」
笑みが浮かぶ。
その切り裂き太郎の顔が目の前にある以上、どうしてもこれはしたかった。
「そうか……」
そして俺は。
「ッッルァッ!!」
頭突きを喰らわせた。
決して石頭ではない我が身を使って、切り裂き太郎の笑顔に攻撃を与えた。
「――ッ!?」
ヒシヒシと痛むダメージは我慢する。でも、切り裂き太郎の喰らったダメージの方が大きいはずだ。俺はゆっくりと顔を離し、鼻 血の出た切り裂き太郎の顔を見つめる。
俯く切り裂き太郎に、
「……下らない」
実に――下らない。
「名誉のために人を殺した、だからシリアルキラーになった、そして切り裂き太郎になった。……アンタ、頭狂ってるのか?」
サバイバルナイフを奪い、適当に地面に投げ捨てる。同時に首に当てていたフォールディングナイフも捨てた。俺は両手で 切り裂き太郎の襟を掴み、倒れかけのコノヤロウに言ってやった。
「名誉を手に入れればアンタはそれで良いなんて言ったけど、――他人はそうじゃない。待っているのはただの貶しだ。人殺し 。ただの人殺し。いかれた殺人鬼。名誉のためだけに、あんたはシリアルキラーになった。ふざけてる。そんなの――名誉でも 何でもない」
馬鹿げた妄想はここで壊そう。
ふざけたシリアルキラーは、ここで殺そう。
「もっと別の道があったろ? どうして人殺しなんかにならなくちゃいけないんだ。アンタは――アンタには、才能あるだろ?」
「……無い」
魂の抜けたような顔で、答える切り裂き太郎。
アンタは無いと言ったけども。
俺にはあると分かっている。
「人一倍――努力することなんて、普通は出来ない」
俺は言った。
そうさ。
努力なんて、簡単なものじゃない。難しい。難しいんだ。
努めた力。そんなもの、ほんのわずかの頑張りで手に入れられるものじゃない。
「アンタ、努力したんだろ? できるんだろ。なのにどうして人殺しなんかしたんだ!? 名誉を持ちたいがために――世界に認め られたいがために、どうして殺しなんてしたんだ!? ……俺にはアンタの気持ちが分からんけどな、これだけは言えるぞ」
「……ん?」
切り裂き太郎。
シリアルキラーのアンタに言える事。
単純だ。
「人殺しに――幸せなんて無い」
全く無い。絶対無い。
例えそれが――わけあっても。
何かのために。
自分のために。
それで人殺しなんてしたって――不幸しかない。獄に行くだけだ。
これは当たり前。
「……頭を冷やして、ゆっくりと世界を見てみろよ。広いぞ世界は。アンタが思う以上に広い。名誉なんていうちっぽけな存在 ばっかり見ないでさ、もっと別の何かを見つめろよ。――今のアンタじゃない、アンタを想像すればいいじゃねーか。……最も 、他人如きの俺がアンタの事なんぞさっぱり理解できないけども」
それでも。
人殺しで上に上がるよりも、他に何かあったはずだ。
「……俺から言わせて見れば――」
俯き、倒れている殺人鬼は、俺の顔を見ないまま、おれの話を聞いた。
そう。
俺から言わせてもらえば。
「努力してきた過去のアンタのほうが、立派に見える」
そうだろうな。
俺は続ける。
「アンタは、出来る事があるのに、それから逃げた」
言わせてもらうぞ、切り裂き太郎。
アンタは。
越後太郎は。
「人殺しという――誰にだって出来る道に、アンタは逃げた」
特別でもないし。
認められる器もない。
人殺しなんていう、愚かな種族に――幸せなんてない。
俺が言えるわけでもないけども、ただ――この馬鹿げた狂人には、適当でも良いから何か言いたかった。そんな気持ちがど こかにあったりした。
「……君は、自分が何でも知っている、とでも言いたいのか?」
と、俯きながら、切り裂き太郎は言った。その顔が見えてないために、俺には笑っているのかどうか分からない。
「殺人鬼相手に説教したところで、私には何ら影響は無い。言ったろ? 私は名誉が欲しい。そのために人殺しになった。そ の決心は変わっていない。勿論、人殺しになるまでにかなりの時間を掛けたさ。それでも、私は成功したんだ。切り裂き太郎と いう……、一人のシリアルキラーになれた。……それで十分なんだよ、私は」
「嘘つくなよ」
俺は、自然的に、本能的に。俯く切り裂き太郎の襟を思いっきり掴んでいた。倒れた切り裂き太郎の顔と、俺の顔が同じ 位置に来れば、俺は口を開いた。
「十分だったら、もう人なんて殺してねーだろ」
「……そうさな」
「だったら、どうして何人もの人間を殺したんだ?」
切り裂く。
身体全身を、切り裂きまくる。
これが――切り裂き太郎の殺人方法。
グロテスクなんだろうな。
「満足なら、もうこれ以上の人間殺して、何になるんだ? ええ? 名誉か? 更に名誉が欲しいのか?」
「……」
名誉のために、更に殺してるって言うんなら――許さない。
長年、人殺しとの付き合いの長い俺にとって、そんな奴を許した覚えは無い。
「……黙ってないで答えろよ」
「……」
沈黙する切り裂き太郎。
俺は、無性に苛立っていたのだろう。
らしくない怒声を上げた。
「黙ってねぇで答えろってんだっ!」
その時だった。
ムニュ、という感触が、首を襲った。
冷たい感じが、俺の全身を冷やし、額から汗を流した。
ゆっくりと、謎の感触のする首のほうを見た。
「……」
俺は――唖然した。
フォールディングナイフが、そこにはあった。
「……あ?」
ナイフを持つ手は、切り裂き太郎に繋がっていた。右手に持つそのナイフが、俺の首にそっと当たっている。下手して力を込 めれば、俺は大量出血を起こす。そんな事を考えてしまうから、妙に震えていた。
しまった。
こいつは――切り裂き太郎だ。
ナイフの二、三本、普通に持ってるはずだ。
「……君に、答える必要はないだろ」
笑わない顔。切り裂き太郎の顔は、無表情だった。やけに密着しているためか、切り裂き太郎から加齢臭がした。
ああ。オッサンの匂いだ。
何て感じている余裕は無い。
「……ちょいと調子に乗ったんじゃないか、少年。子供如きが、大人の気持ちを理解しようとするな。大人は真っ黒だ。君は まだ白い。……ましてや人殺しの心なんてものを、読もうとするもんじゃない」
目と目がぶつかる。
視線と視線が、競り合っている。
行動を先に起こすのは、どっちか? ということか。
このどうしようもない状況を打破するには、目撃者が出てきて警察に通報してハッピーエンドに迎えるか、この状況で俺が無 茶して、またもや切り裂き太郎に頭突きを食らわして、今度こそ逃亡するか、それとも――、
「……殺せよ」
まだ。
こいつの心理を暴こうか。
「殺すなら、とっとと殺せ」
「ふん……」
ナイフが首にめり込みそうな感じだ。あと少しでも力を加えれば、俺の首から真っ赤な液体が飛び散ること間違いない。
沈黙。
更に沈黙。
永遠と続きそうな絶体絶命の時間は、一分ほど続き、
「……ここで君を殺さないと、私という、切り裂き太郎の存在は意味が無くなるな……」
と、切り裂き太郎は口を開いた。
「……あ?」
「……分かったよ。私の負けだ」
そして切り裂き太郎は、フォールディングナイフを俺から離し、地面に落とした。カラン、という音が聞こえると、俺の縛られたよ うな感じがスッと消えて、緊張感から開放された。
安心した瞬間、切り裂き太郎は地面に寝転んだ。腕を広げ、笑った顔で、俺を見ていた。
ゆっくりと立ち上がり、俺は暢気に寝ようとしている殺人鬼を見下ろす。
「……名誉のためなんかじゃない。と言っておこう」
切り裂き太郎は言った。その言葉に、俺は少々の驚愕を抱いた。
名誉のためじゃない? じゃあ、
「何のために……人を殺した?」
「醜い理由さ。だから言いたくなかった。――復讐だよ。身勝手な、ね」
「……」
「私を置いていく。私から離れていく。そんな奴らが許せなかった。同じ人間なのに、私よりも頑張っていないのに、奴らはそれ でも止まらない。上へ、上へと登っていく。それが嫌だった。私だけが取り残されていく感覚が。だから私は必死に努力したさ。 されど、世界は鬼だな。努力した結果さえ目を向けずに、私を切り捨てた」
……。
どうしようもなく、俺は彼を見つめる。
「……全ては結果さ。努力してもその価値は無い。無駄ではないが、価値は無い。結果が全てを答える。でも、私は結果さえ 手に入れられなかった。……正直、死にたかったよ。何のために頑張ったんだ? ってね」
はぁ、と溜め息を吐いて、切り裂き太郎は続けた。
「でも死んだところで、何の意味も無い。それに気づいた私は、今に至るまでの考えを思いついたのさ。有名になろう。名誉を 取ろう。世界に認められよう。そして奴らを――見返そう。ってね……」
切り裂き太郎。
彼は今、寝ている。
「……思いのほか上手くいったさ。最初の人間を殺した時は嬉しかったね。後悔するどころか、気分が増したよ。ああ、最高 に気持ちが良い! そんな感じで、私は何人もの人間を、わざと斬殺した。……いつしか、切り裂き太郎なんて、洒落たネ ームまで付いた時は、感動したよ。――認めたのか、そう思った」
長話をする切り裂き太郎を見下ろしながら、俺は一つの考えに辿り着いた。
「……でも、君と出会ったのが最悪だった。まさかね。試みた結果がこれだよ」
「……アンタ、復讐って言ったよな」
「ああ。醜い復讐さ」
それはつまり。
あの時俺を殺さなかったのも。
「……今まで殺したのは――、アンタの言う、《奴ら》か」
「……同僚だよ。一八人のね」
復讐。
切り裂き太郎という殺人鬼は、――身勝手な復讐をしていた。ということになる。
「殺し尽きた私に、次に殺すべき相手がいないと分かった時、錯乱してね。結局、無意味な人殺しをしようと考えて、君を最 初に殺そうとした――のだが……、アホだな、私は」
「ああ。アホだ」
「……さあ、煮るなり焼くなり斬るなり撃つなり、何でもしろナリ」
え? ボケた?
「……まあ。一般的に、通報でもするのかな?」
夕方だけども普通に明るい空を見上げながら、切り裂き太郎は言った。
通報? そんなもの、
「しない」
「は?」
「俺は思うんだよな。アンタみたいに、罪を反省し、罰を受ける気がある人間は、自首するべきなんだよ。通報なんていう他人 の力を借りるんじゃなく、自分自身の力で――罰を受けるべきだと」
当たり前なんだろうけども、人間はそうしようとはしない。俺だってそうだ。隠れて、一つしかないシュークリームを食べた時も、 妹に罪を擦り付けた。決して、自首なんてしようとは、これっぽちも考えてなかった。
結局、人間は身勝手。
切り裂き太郎、アンタのやった復讐も、身勝手だけども――当たり前なんだろうよ。
アンタにとっては、だけど。
「……君は、私が自ら進んで自首するとでも思うのか?」
「いいや、思ってないさ」
「なら……何故に?」
その質問は無駄だろうよ。俺は内心で呟いた。寝転がる切り裂き太郎を見て、笑いそうになった俺の顔が引きつる前に、
「信じてるから」
アンタを。
切り裂き太郎を。
人殺しを。
一人の人間を。
「人殺しにも、罪を悔いる心は、絶対にあるってな」
そう、信じたい。願いたい。俺の身勝手な気持ちが、心に芽生えている。
「はは……ははは……。あははははははははははははははははははっっ!! これはこれは! 信じてる、か。面白い! 殺人鬼を 信じる? 何を戯けた事を!」
こんなにも、爆笑した殺人鬼は初めてだ。
人の笑いは、気持ちが良いもんだ。
あとそれと。
いい加減この状況に気づけ近所!
「……はあ」
「どうした? 笑ったら何か分かったか?」
笑いを終わらせた切り裂き太郎に向かって言った。
「そうだな。……君が馬鹿であることは分かった」
「そうかい」
「……罪は悔いよう。ただし、それで私が罰を受けるかどうかは、分からんぞ」
本当に。
殺人鬼と言う人間には、ろくな奴はいない。
俺はそう考えながら、地面に落ちているフォールディングナイフ二本と、サバイバルナイフを拾った。
抜け道の方へ歩き、そして後ろで愉快に笑いながら寝ているバカヤロウの殺人鬼を見つめると、
「……人殺しに、幸せは無い」
そう言った。
そして、背を向けて、俺は制服のズボンの両ポケットに、フォールディングナイフを入れ、サバイバルナイフは手に持ったままに した。
そして、後ろを振り向けば、
「シリアルキラーの切り裂き太郎を、何もしないまま住宅街に残す君の神経はきっと、狂っているのだろうよ」
いつの間にか立っていた切り裂き太郎が、右手に持つサバイバルナイフを見せびらかして、俺に言った。
神経狂ってるのはお前の方さ。
つーか。
まだ持ってたのか、サバイバルナイフ。
「……」
無言のまま、俺は危ない人殺しを背景に、その地を後にした。
午後一一時。
あの後、いろいろといろんな事があったために、就寝するのが遅くなってしまった。
「疲れた……」
そんな呟きをしながら、俺は白い天井を見つめる。
ベッド。
シングルベッドの上で寝ている俺は、布団も被らずに、半袖半ズボンの姿で、頭を抱えながら寝ていた。
今日は疲れた。いろいろありすぎた。
思い出そう。
城坂伶。
暗い話題を振ってくる美少女。人殺しだの正義だの、怪力の人の話などなど。さっぱり皆目検討もつかない話題をされまく るから、こっちの頭がおかしくなりそうだった。
いや、元々からおかしいのは自覚しているが、あの女よりかはマシな気がする。
そういえば。
――人殺しの正義。
と言ったのは、城坂だっけか?
何をふざけた事を抜かしているのだろうか、アイツは。人殺しに正義もクソもないだろ。アイツは、人殺しに何か想いでもあるの か?
よりによって、――正義。
そういや。
切り裂き太郎のそれっぽいこと言ってたな。
名誉。だっけか?
人を殺して手に入れる名誉でも何でも良い。ただ、有名になりたいだけだ。と言っていた切り裂き太郎は、結局は復讐のた めの殺人だった。
どれもこれも。
下らないものばかりだ。
そんな下らん存在相手に、俺は一日中振り回されたのか?
まあ。
過去にも、そんな経験毎日のようにあった俺にしてみれば、日常みたいなものだが。それでも、今回は相手が人殺しだけじゃ ない。
美少女だ。しかも黒髪のロング。
まあ、どうでもいいけど。
しかしまあ。いや、それにしても。
「疲れた」
疲労がたくさん溜まっている。これ以上意識を保っていると、明日の朝は遅刻だろうよ。だから、せめて朝食だけでも食べら れるように――、寝ましょう。
明日も――普通だといいけど。




