狂月の謀略 11話
「そこまでだ」
抑揚を抑えた、低い声。
声そのものは、モンスター二人には届かったかもしれない。
しかし、それから感じられる殺気はこれ以上無いほどにわかりやすかった。
相手の強さを知っているからこその、一瞬の警戒。
油断無く剣を鎌えながら、アレスはまずセロを抑える為にその飼い主へと通信魔法を繋げる。
「アレスだ。用件は言わずともわかるな? ローラス=チェインズ」
少し遅れて、遥か地上にいるローラスからの返信が脳内に直接伝わった。
『ふん、もうやっている。貴様は狂月の方をなんとかするんだな』
皮肉たっぷりなこの台詞に、思わずアレスは苦笑いが浮かんだ。そもそもこのようなフザケタ状況になったのは、人間のルールもまともに守れないHランクのアギトをこんな町中で引き合わせたローラスに端を発しているのだ。
だが、なんとかしなければならないのもまた事実。
「わかっている」
と、返した所で通信魔法が一方的に切られた。
(まったく、ガキの……もといモンスターの尻拭いなど金輪際御免だな)
何かしらの拘束が生まれたのか、セロは先程までの凶々しい魔力を霧散させていた。とりあえず脅威は一つさったことを確認し、いまだ気が狂いそうなほどの狂気で周辺一帯を染め上げている狂月に、全神経を集中させる。
一手、狂月の動きが早かった。
セロが脅威でなくなった瞬間、アレスのみを標的に絞ったのだ。頭で考えてなどいない、今までの経験上から反射で最適の答えを選んだだけだ。
常人では眼で追うことすら敵わぬ剣速。
刹那、幾重にも重なる斬撃音が帝都上空で響き渡る。
両者油断なく距離を取り、剣を構える。
アレスの仕事はいかにして狂月の戦意を無くさせるかなのだが、決定打になりそうなものはついぞ思いつかない。
とりあえず、確実に一つの脅威を取り除くべく大人しくなったセロに声をかける。
「セロ=チェインズ。飼い主が呼んでいるだろう? 早く戻れ」
言われ、戦闘前と同じ機械的な瞳に戻ったセロは、アレスを、次いで狂月を見やって浮遊魔法を解いて地上へ降下する。
狂月は戦意を失った相手など目もくれず、ただ相手が変わっただけと認識していた。
アレスはセロの離脱を確認し、内心溜息をつきたくなる。
半分は単純に脅威が一つ無くなったから。
もう一つは、
(さて、どうやって狂月の戦意を奪おうか。戦闘が激化すれば間違い無く街への被害も出る)
気絶でもさせれば済む話だが、街に被害を出させないようにとなると至難の技。本末転倒になりかねない。
頭を抱えたくなるというのはこういうことを言うのだと、ぜひとも狂月に教えてやりたいと思った。
セチアはズキズキと痛みが疼く右腕を、多様な魔法装飾の上から空いた左で抑えつけながら、膠着状態に入ったミツキとアレスを地上から見上げていた。
「……なにも、できない」
小さな呟きで、胸中にある悔しさを吐き出すが、そんなのものは何の慰めにもなりはしない。わかってはいるのだが、わかったからといって無力感から来る悔しさが薄れるわけでもなかった。ままならない現実というのは常に付きまとうものだし、いざ直面すると堪えるのが常だ。
力が無いわけではない。
しかし、この場で使うにはリスクが高すぎる。
そんなままならなさを噛みしめながら、疼く右腕を抑えつけていた。
「切れるカードを切らないのは愚か者のすることだ」
ドキリ、と心臓が跳ねる。隣で上空を観戦しているローラスから、あまりにも心中を射た発言に思わず振り返る。
「愚か者、ですか?」
「ふん、そうだろう? 使える力があるにも関わらず出し惜しみして、仲間の尻拭いを他勢力の者に任せるなど自分で情けないとは思わんか?」
「……でも」
「お嬢さんが持っているカードのリスクなど知らんが、それを恐れているうちは到底あのステージになど到達できん。まさか、狂月や凶月が何のリスクも無くあれほどの力を手に入れたとは思ってはいまいな」
重厚に響く声は、問い掛けではなく確認だった。
「わかっています」
わかってはいるが、と足踏みをしてしまうのはセチアがまだ人間である証拠だろう。
セチアの、誰の目にも明らかなほどの異様な魔力を感じさせる、肩から指先まで絡みつくように包みこんでいる魔法装飾を、ローラスは好奇の笑みを顔には出さず内心で浮かべる。
ローラスが敵に塩を送るような甘ったるい性格をしていないことなど、セチアも重々承知していたが、「力が欲しい」と渇望する気持ちは、常に胸の中にあった。もちろん、その感情はセチアに限った話ではないが。
そんな想いのせめぎ合いを彼女から見てとったローラスは、とうとう笑みを浮かべた。極悪な部類のだ。
その笑みを湛えたまま、ローラスはセチアの右腕をとり、自分の胸に引き寄せる。
「きっかけを与えようか。他人のせいにしてしまえば、力に酔う言い訳にもなるだろう?」
「ッ!?」
なんらかの魔法が、セチアの枷を外す。
忘却していたのは、ローラスが「力」以外の何かで、凶月を飼いならしているという事実だった。
ハイランクの巨竜をも薙ぎ倒す狂月の斬撃と、空母級の戦艦をも斬り沈めるアレスの斬撃が幾度となく交錯して互いの命を殺そうとせめぎ合う。
大雑把に言って、両者の攻撃力と防御力はほぼ同等。
通ってきた死線と修羅場の数も同じ。
違いがあるとすれば、
モンスターと渡り合ってきた狂月。
人間と渡り合ってきたアレス。
その違いから生まれる僅かな経験値の差だ。
――狂月は、自分と同程度の人間と戦った経験が少なすぎた。
人間では考えられない力と速さによる強撃、死角から投擲されるダガー、強弱多様な気配の見せ方と、それをさらに複雑にする狂気、それらを完全に使いこなすセンス。
「たいしものだ」
率直に、アレスはそう思う。
防御に徹すれば捌き切れるが、一度攻勢に出れば戦闘の激化は止められなくなるだろう。自分一人が一つ所に留まって受け続ける方が街に被害が出ることも無い。
それをわかっているのか、狂月は先程から斬りつけては離れを繰り返している。
(単純に自分の方がスタミナは上なのだから、このまま俺の体力が無くなるのを待てばいいというわけか)
正面から振り下ろされる大剣を弾き、同時にいつ握られたのかもわからないダガーの刺突を躱す。
一瞬の意識の分散から生まれる隙をついて、狂気、つまりランダムに強弱のあるアスフィアを利用した無音の移動法で死角へ回り強撃。
それを受けるか躱すかして、時には牽制の攻撃を繰り出し正面に捉える。
狂月とアレスがやっている攻防はその繰り返しだが、狂月にとっては有利な、アレスにとっては不利なものだった。
人とモンスターの絶対的な体力の差を存分に使った狂月の戦術に、さしものアレスも溜息を禁じない。
(打開策がなければ三日三晩はこのままか……)
噂では、狂月は一ヶ月不眠不休で戦い続けることができるらしい。
笑えない冗談とはこのことだ。
「……いい加減、飽きそうだな」
狂月の大剣を弾き、今度は待たずに連続で突きを繰り出す。
しかし当然のように、突然のリズム変化にも対応する狂月。
風のような滑らかさで躱し、その途中でダガーを操り死角に放り込むことも忘れない。
――変わらないか。
半ば諦観を込めて、アレスは内心で呟いた。
「――――――――――――――――ッ!!!」
「「!?」」
狂月とアレスが、動きを止めてしまう程の絶叫がはるか地上から届いた。
狂月の狂気を侵食するかのように、ソレは悲鳴と共に爆発的な広がりを見せる。
脅威がさらに増えたと認識する狂月は、瞬時に対抗策を経験則から弾きだそうと逡巡し、これを深刻な事態と認識したのはアレスだ。発生源はおおよそ見当がつくが、問題はSランクに相当する巨大な導力が、いまなお膨れ上がっていることだった。
「まずいな。あれだけの導力で狂気の異常アスフィアを攻撃目的で使われると、街への被害が出かねん」
間の悪いことに、今回の件は自分で片をつけるから出てくるなと言い置いてあるから、軍を動かそうにも時間がかかる。感覚的なものになるが、アレは「何か」の暴走だ。抑えつけようとしている感もある。が、あまり持ちそうにない。
(さて、どうするか。今から行ってアレの原因を問答無用で潰せば簡単そうだが、狂月に背を向けるのは上手くないな。延長線上には街も被る)
もはや無傷で乗り切れる問題ではないか、とアレスが腹を括った時、唐突にミツキから発生していた狂気が霧散し、消失していた。
「アレス」
何故だと問い返す間もなく、ミツキから声をかけてくる。
「アレはセチア=ハーブの何らかの術式が暴走してるんだ。今から行って止めるけど、協力するならついてきてもいい」
副音として、まだ敵対するならそれでもいいけど、とアレスの耳にははっきりと聞こえた。
国の英雄は溜息を一つ。
「……わかった。しかし、俺はあくまでこの街を守るためにしか動かん」
「わかった。それとアレについてだけど、見たとこアスフィアを増幅して、より大きな力を使えるようにしてるみたいだな。あのまま狂気を使ってたら、あっという間にHランク級の怪物になってた」
「それで?」
「アスフィアをより多く扱おうとすれば強い一つの感情が必要になる。取り込んだアスフィアを使いこなせるかはそいつの導力次第だけど、セチアはそれを魔法具でカバーしてる。まぁ単純な話、気絶させれば終わりだな」
「で、ダラダラしゃべってる余裕はあるのか?」
「五秒後に大爆発だな」
「おい!!」
神速ともいうべきツッコミと速さで、アレスは地上へ下降し、ミツキもそれに続いた。
「……殺すか?」
セロの機械的な問い掛けに、凶悪な笑みを湛えたローラスは上機嫌で語る。
「いや、その必要はなかろう。この娘の力はまだまだ発展途上、ここで潰してしまうのは惜しいな。上の二人に少し協力してやれ」
「……わかった」
セロのガラス玉のような黒い瞳が映すのは、モンスターの持つ力よりもはるかに劣る力に翻弄され、暴走している一人の人間だ。
セロは何も考えない。ただ、飼い主の命令に従うために、再度大鎌を出現させる。
セチアの右腕を中心に、人間の世界では有り得ない程の黒々としたアスフィアが集束されていく。右腕は完全に漆黒に染まり、全身を呑み込まんとさらにアスフィアが集束していた。しかし、ここで呑み込まれてはいけないと、セチアは術式を解除しようと試みる。
結果、集束しているアスフィアが行き場を失い、右腕を中心に一気に膨れ上がる。
「ダメ!」
ドン!! 空気が炸裂し、一メートル程の球体状に膨れ上がったエネルギーは、闇雲に周囲へと集束されたエネルギーを解放する。
爆音が轟く。
終わった。とセチアが顔を蒼白にして崩れ落ちる。
今まで上手くやっていたのに、これだけの被害を出せば相応の責を取らされる。そうなれば、パーティーにも汚名を着せることになるだろう。
自分の無力感に涙が出そうになる。しかし、そこへ声がかかった。
「大丈夫」
ミツキの声だ。平時のどこか抜けてるような、それでいて芯を感じさせる声。
ハッとして、顔を上げて周囲を見渡すと、三人がセチアを囲むように立っていた。
ミツキ、アレス、そしてセロが、アスフィアによるエネルギー弾を、それぞれ薙ぎ払ったのだ。
エネルギー弾を弾き飛ばすのではなく、掻き消して二次被害すらも出さなかったのはこの三人の技量があってこそだろう。
ここにきてようやく、セチアは安堵の息を吐くことができた。
「よ、よかった」
その言葉と共に、この誰にとってもリスクでしかなかった一連の騒動は幕を閉じた。
作者「どうも、作者です」
レグル「どうも、レグルだ」
作者「あー、やっと更新できた」
レグル「時間かかったな。今回も」
作者「いやー、雰囲気に合わせるためとはいえ、文体変えたりとかするもんじゃねえな。自分の書き方忘れちったぜ」
レグル「忘れちったぜ、じゃねーよ。一カ月以上も更新止めてよ。反省しろ」
作者「本当すいませんでした! ちなみに、最後のシーンでレグルの力を使って爆煙と衝撃波を吹き飛ばそうとか考えたんだけど、なんか纏まらなくなったんで端折りました。ごめんなさい」
レグル「なん…だと?」
作者「いやー、ごめんなレグル? 初の契約獣としての見せ場をつぶしちゃって」
レグル「;;」
作者「泣くなよレグル。またいつか活躍出来るって」
レグル「うっせえ馬鹿野郎!! テメエ考えたことあんのか!? 活躍の場をもらえない俺達キャラクタの切なさを!」
作者「ふ、何を言ってるんだレグル。俺以上にそれを考えている奴はそういないぞ?」
レグル「アアン!?」
作者「何故ならば! 本編で活躍できる見込みの薄いお前にも、わざわざこんなコーナー作ってやっているのは! 他ならぬ俺なのだからな!!」
レグル「俺が活躍できる場を本編に組み込めなかったのはテメエのせいだろうが! 棚上げしてんじゃねえ!」
作者「うっせーなー。あんまりウルサイと雫と換えるぞこの野郎」
レグル「こいつときたら! また作者の権限を盾に、いや剣にして俺をいじめやがって!!」
ギャーギャーギャー