コンビニのバイト
コンビニのバイト
大学一年の冬。私は生涯忘れる事がないであろう経験をした。
私は高校卒業後、実家を出て、一人暮らしをしながら県外の大学に通い始めた。そして、生活費の足しにする為に夜のコンビニエンスストアでアルバイトをする事にした。生まれて初めてお金を稼ぐと言う事で、最初のうちは精神的にも肉体的にもきつかったが、仕事にも徐々に慣れてゆき、先輩・同僚たちとも仲良くなれ、なんとかそのアルバイトを生活の一部にする事が出来た。
その頃の出来事である。その日は店長と二人きりのシフトであった。店長の坂田さんは38歳の既婚者なのだが、容貌は若々しく、話題も豊富で、いつもニコニコと冗談を言っているような気さくな方であったので、アルバイトの若者たちから慕われていた。反面、経営者としては落ち着きに欠ける部分もあった。自分らと同世代の人間を相手にしているようで、頼りない感じがしたのだ。
夜の11時を回った頃である。客足は途絶え、店内は私と店長のみであった。いつものようにレジにて冗談を言い合っていると、一人の男が来店する。我々は条件反射的に「いらっしゃいませ!」と元気良く言った刹那、息を呑む。
男は日本人には珍しいくらいの巨躯で、身長185cm、体重120キロはあろうか。頭はパンチパーマで、花柄の派手な服装、浅黒い肌にキラキラと輝くネックレス。一目でその筋の人と判断出来た。そしてなんとおでこにタトゥー(刺青)らしきものまで彫られていたのだ!
我々は内心その場から立ち去りたい心境であったが、なるたけ自然さを装い、レジ周辺の整理を始める。男は店内の物色を始める。我々は整理をする体をしながら、ちらりちらりと男の観察を続ける。
男は最初入口近くで週刊誌をパラパラとめくりながら口笛を吹いていたが、しばらくすると買い物籠を手に取り、飲み物のコーナーに向かい始める。その時、店長がしらじらしい笑顔で私に告げる。
「空住ちゃん。俺ちょっと裏で事務作業して来るから。」
彼はそれだけ言うと、そそくさとバックルームに消えてゆく。
私はひどく苛立ちを覚えた。いくら招かれざる客が現れたとはいえ、店の長が未熟なアルバイトを一人残してその場を避難するのは卑怯だ!経営者である以前に人間として腐っている!
しかし私はどうする事も出来ず、その場に立ち尽くす。
男は缶ビールやカップラーメン、おにぎりなどを籠に入れると、いよいよレジへと向かってくる。私の心臓は早鐘のように鳴る。心の中で我が身の無事を必死に祈る。
男は籠をレジに荒々しく置くと、意外にも少年のような可愛らしい声で言い放つ。
「カレーまん3つ。」
「カレーまん」とは、レジにて販売している中華まんの一種で、秋・冬限定のメニューである。
私は即座に「あ、はい!かしこまりました!」と答え、すぐさま用意する。そして他の商品も含め恐る恐る会計を終えると、男は私をじっと見つめ話しかけてくる。おでこの蠍のタトゥーが強烈だ。
「駐車場に野良犬がおったんよ。」
「はい?」
「身寄りもないだろから、大事にしたってよ。」
男は仏様のような慈悲深い笑顔でそれだけ言うと、店を出てゆく。
私はしばらくポカンとその場に立ち尽くす。しばらくして我に返り店のウィンドー越しに駐車場のほうを見ると、先程の男がしゃがみこんで野良犬の頭を撫でている。そして手にしたビニール袋から今さっき購入したソーセージを取り出すと、丁寧に剥いてやり野良犬に与える。野良犬は嬉しそうに尾を振り、それに喰らい付く。男はその様子を満足気に眺めた後、スクッと立ち上がり、夜の闇へと消えてゆく。
私は人を風貌で判断していた事を恥じた。
しばらくして店長がバックルームから出て来る。
「ふぅ~、ようやく事務作業が終わったわ。」
もし経営者と従業員の関係でなかったならば、私は彼を殴りつけたであろう。
彼は別段悪びれず、店内を歩き回り商品陳列の整理をし始める。私は今売れたカレーまんの補充をしようとした矢先、はっと気づく。
待てよ。さっき客に売ったカレーまん、まだカチカチじゃ・・・。
中華まんは業者から冷凍した状態で送られてきて、それをレジに設置してあるガラス張り(陳列も兼ねている)の蒸し・保温器に入れて、20分程してようやく客に売れる状態になるのだ。しかし先程出した分は、入れてから僅かしか経っていなかったはずだ・・・。
全身の血の気がひく。どうしよう・・・。よりにもよってあの人に・・・。
私はなるたけプラス思考で考え始める。大丈夫だ。あの人は良い人だ。自宅の電子レンジか何かでどうにかしてくれるだろう。万一再来店しても、謝罪し代金を返せば許して貰えるだろう。ああ、神様!どうかご加護を!
私がしばらく魂の地獄を彷徨った後、店外の夜の闇の中から店の入口に人影が向かってくる。その人影は近づくにつれ店の明かりに照らされてはっきりしてくる。奴だ!私は凍りつく。
男は勢いよく入口ドアを開けると、手にした中華まん袋を力任せにレジへと投げつける。
「こんなん食えるか!」
中華まん袋から3個のカレーまんが飛び出し、レジの床に転がる。男は物凄い怒りの形相で私に詰め寄ってくる。私は半分泣き出しそうになる。男は筋者独特の舌をからませた口調で凄む。
「こんなん食えるか!?おぅ!?どないしてくれるんや、こら!」
私が店長のほうを見た時には、彼は消えていた。まるでそこに存在していたのが幻であったかのごとく・・・。
男が顔を近づけてくる。
「どないするんやって聞いとるんや!こんなん齧ったら歯がかけるわ!」
私は生まれたての子犬のように全身を小刻みに震わせながら答える。
「も、申し訳ございません。だ、代金はお返しします。」
「それでわしの気がすむか!?」
「あ、あの・・じゃあ、つ、作り直しましょうか?」
「待てるかー!」
「ど、どうすれば宜しいでしょうか?」
「考えろ!」
人間とはおかしなものである。極限まで追い詰められるとかえって開き直り冷静になってしまうのか。この時私はなぜか男のおでこのタトゥーの観察をしていた。蠍の形の下に小さなアルファベットの文字が彫ってある。「Sentimental Scorpion」。日本語に訳すと「感傷的な蠍」。やくざの人は、センチとか感傷的とかいう言葉がやたら好きなんだなあと可笑しくなってしまった。次に床に転がったカレーまん3個を観察してみる。よく見ると3個とも齧っている。これにはもう少しで吹き出しそうになった。凍っていて食べられない事ぐらい一個齧れば分かるでしょうに・・・。
しかし私の危機的状況に変わりはなかった。彼は一層凄む。
「事務所くるか、こら!」
その時である。バックルームから店長が現れる!顔には爽やかな満面の笑みを浮かべ、揉み手で男に擦り寄る。
「どう致しました?」
男は一瞬凄むのを止め、床のカレーまんを指差しながら店長に向かって言う。
「こいつが凍ったまま出しよった。それでわしこんなん食えるかって言ってたところや。」
店長は床に落ちたカレーまんを見た後、私の顔を睨み付けながら言う。
「こんなん食えるわけないだろ。こんなん出したらそら怒られるわ。」
男の表情が和らぎ、店長に言う。
「いやな、わしも言うのやめとこうと思ったけどな。これもこの子の社会勉強と思うてな。」
店長は頭を下げながら言う。
「いえいえ、どんどんおっしゃってください。申し訳ありませんでした。今ある代わりの商品で宜しいでしょうか?10個程サービスさせて頂きます。」
男は俄かに上機嫌になる。
「うわあ、店長さん偉大や!さすが一国一城の主や!」
店長はあんまんやら肉まんやら展示されている商品の全てを袋に詰めてゆく。
男は私に言う。
「店長さんのやり方よう見ときや。これも勉強じゃ。」
そして店長が盛り盛りの中華まん袋を男に手渡すと、男は満面の笑みでお礼を言う。
「おおきに!」
そしてスキップをするかのような軽い足取りで店を出てゆく。
店長は、男の姿が完全に見えなくなるのを見計らって私に言う。
「自分ほんま頼むわ。こんな初歩的なミス。あの人はまだ良い人でよかったけど、もっと悪い人だったらこんなんで堪えてくれんぞ。心から反省しろ。」
私にとってその時の店長は救世主のようであった。私を恐怖と絶望の淵から救ってくれたのだ。私は頭を下げて心から謝った。
「どうもすいませんでした。」
すると店長は悪戯っぽい笑みを浮かべた。
「実はこんな事になりそうな気はしてた。さっきの人はこの辺りでは有名なチンピラで、なんやかんやと因縁ふっかけるらしいわ。だから最初から警戒してたんやけど。俺は昔営業の仕事やってて、その時お客さんからのクレーム対応を学んだり体験したりしてたんやけど、その中で大事な事は、お客さんの怒りを鎮めるためには、まず相手の言う事に反論するんじゃなく、相手の言い分をよく聞いてやる。そして相手が期待している以上のサービスをしてやる。ただしあまり卑屈にならず堂々とした態度でな。」
私は頷くのも忘れ、話に聞き入る。
「クレームを受ける人間が代わるのも大事なこと。人間心理として最初Aという
人間に文句を言っていても、Bという人間に代わった時点で、幾分か怒りが和らぐらしい。ましてや後に出てきた人が格上の人ならなおさらな。」
私は店長の話に感心すると同時に、先程彼を見下していた浅はかな自分を恥じた。社会の入口も知らぬ10代の学生が、プロフェッショナルとして修羅場の数々をくぐり抜けてきた社会人に圧倒された瞬間であった。そして彼がはにかむように言った次の一言が忘れられない。
「偉そうな事言ったが、俺正直さっきは怖くてバックルームに隠れてた。」
私の顔に笑みが戻った。
彼から学んだ事は、今私が仕事をしていく上で非常に役立っている。仕事をしてゆく上での集中力、緊張感、責任の取り方、そして何より一緒に働く者への思いやり。




