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氷の女帝は、システム(恋)にバグが多い。 〜論理武装した元同級生上司を、社畜の俺が物理的にデバッグする話〜  作者: おこげ。


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第9話:論理の敗北

 ハンコ屋デート、そして仕様凍結から一週間。

 プロジェクトは、最初の山場である「検証環境の構築フェーズ」に突入していた。

 クラウド上に構築した新システムと、社内データセンターにある既存システムを、専用線(Direct Connect)で接続し、データの同期テストを行う。

 

 これが完了すれば、移行への道筋が見えるはずだった。

 だが、現実は甘くなかった。


 ――進捗は思わしくないどころか、完全に停止していた。


「……またタイムアウト? なぜ繋がらないの?」


 午後8時。

 大会議室に設けられた「切替対策本部(データ移行リハ)」に、佐藤の苛立ちを含んだ声が響く。


 彼女の目の前には、3枚のモニターが並んでいる。

 左の画面にはクラウド(AWS)のマネジメントコンソール。

 中央にはTeraTermの黒い画面。

 右にはネットワーク構成図が表示されていた。


 ここ3日間、疎通確認が取れていない。

 Pingは飛ばない。Tracerouteは途中で吸い込まれるように消える。

 完全な迷宮入りだ。


「AWS側のVPC設定、ルートテーブル、ネットワークACL……全て仕様通りよ。セキュリティグループも、オンプレ側のCIDRブロックからのインバウンドを許可済み。……論理的に、パケットが届かないはずがないわ」


 佐藤は爪をカリカリと噛みながら、不快なリズムで貧乏ゆすりをしていた。

 カチャカチャカチャ、ッターン!

 キーボードを叩く音も、普段の軽快なソプラノではなく、怒号のような低音を響かせている。


 焦っているのだ。

 彼女の完璧なスケジュールにおいて、この3日間の遅延は許容しがたいのだろう。


「ねえ、石川さん。スイッチの設定ファイル(コンフィグ)、もう一度見せて」

「は、はい。どうぞ」


 呼びつけられたのは、グラテク(我ら)のインフラ部隊を束ねるベテラン、石川さんだ。

 作業着に身を包み、腰にはドライバーセットをぶら下げた、現場一筋20年の職人だ。

 その顔には、隠しきれない疲労と、それ以上の不満が張り付いている。


 佐藤は渡された紙資料を1分で読み飛ばし、冷たく言い放った。


「……合ってるわね。設定上は」

「だろ? 俺らも何度も確認したんだ。L3スイッチのルーティングも、VLANの設定も、仕様書通りだ。あとは、クラウド側の設定じゃないのか」

「クラウド側はもう何回も確認済みよ。 なら、物理配線は? LANケーブルのカテゴリは? ポートのネゴシエーション設定は?」

「全部チェック済みだ! Cat6Aを使ってるし、オートネゴも切って固定(1Gbps/Full)にしてある! LANテスターで通電確認もした!」


 石川さんが声を荒げる。

 無理もない。彼らは佐藤の指示で、この3日間、床下を這いずり回り、何時間も配線を調査させられているのだ。

 30代の手下(とは言っても俺より先輩だが)なんて、パイプ椅子で死んだようにぐったりしている。


 だが、佐藤は引かなかった。

 相手の労いなど、彼女の辞書にはない。

 あるのは「0」か「1」か。「動く」か「動かない」かだけだ。


 彼女はその瞳を冷たく細め、一番言ってはいけない言葉を口にした。


「……そう。なら、貴方たちの作業精度クオリティが低いとしか考えられないわね」

「なっ……!」

「論理的に正しい設定で動かないなら、実装者のミス(ヒューマン・エラー)よ。どこかでケーブルを挿し間違えているか、不良品を使っているか、あるいは見落としがあるか。……口で『やった』と言う前に、結果を持ってきてちょうだい」


 さらに、追い打ちをかけるように付け加えた。


「もう一度、1から全部やり直して。今日中に」


 静寂。

 会議室の空気が、ピキリと凍りついた音がした気がした。


 石川さんの顔が真っ赤になる。

 それは決して羞恥ではなく、明確な殺意に近い怒りだった。

 彼は作業着のポケットからタバコの箱を取り出し、握りつぶした。


「……ふざけんなよ、若造が」

「何か?」

「机上の空論だけで偉そうに! 現場がどれだけ足を使って、汗かいて確認したと思ってるんだ! お前みたいに、涼しい部屋でキーボード叩いてるだけの奴に言われたくねえよ!」


 ドカッ!とパイプ椅子を蹴り飛ばし、石川さんは出て行った。

 「やってらんねえよ!」という怒声が廊下に響く。

 他のメンバーも、睨めつけるような視線を佐藤に残し、ぞろぞろと退室していく。

 パイプ椅子に背中を預けていた若手も跳ね起き、慌てて後を追った。


 バタン、と重いドアが閉まる。

 残されたのは、佐藤と、部屋の隅で空気になっていた(なろうと努力していた)俺だけ。


 広い会議室には、サーバのファンの音だけが虚しく響いていた。


「……非論理的ナンセンスだわ」


 佐藤は小さく吐き捨てた。

 だが、その手は微かに震えていた。

 モニターを睨みつける背中は、いつもより小さく見える。


「正しいのは私よ。……私が間違っているはずがない。論理は嘘をつかないもの」


 自分に言い聞かせるような声。

 彼女は孤独だった。

 「正しさ」という鋭利な刃物を振り回すあまり、周囲の人間を傷つけ、遠ざけてしまう。

 その刃の切っ先が、自分自身に向いていることにも気づかずに。


 孤高の女帝。

 誰も寄せ付けない、氷の城の主。


 ……まあ、自業自得っちゃ自業自得なんだが。

 このままだと、プロジェクト自体が空中分解する。

 インフラ部隊がボイコットすれば、検証環境は完成しない。そうなれば、進捗は遅れ、最終的には使用開始の延期、下手すれば懲戒……ひいては、俺の安穏な老後プランも吹き飛ぶのだ。


 俺はため息を一つついて、重い腰を上げた。


「……おい、佐藤」

「何? 貴方も文句があるわけ? 『人使いが荒い』とか『パワハラだ』とか」

「いいや。ただ、コーヒーでも買いに行こうかと思ってな。……お前、画面ばっか見てないで、少し頭冷やせよ」


 俺は彼女のデスクの端に腰掛けた。


「そんな時間ないわ! 原因特定が先よ! 私がコードを見直すしかないわ……。 もうこれ以上遅れるわけにはいかないの! 」

「だからだよ」


 俺は彼女の肩を、ポンと叩いた。

 ビクッと彼女の肩が跳ねる。

 触れられた場所が熱い。彼女は極度の緊張状態にある。


「視野が1ピクセルくらいになってんじゃねえか? 画面の中だけに正解があるとは限らねーぞ」

「……どういう意味?」

「ここは現場だ。 ……論理通りに動かないことなんて、山ほどあるんだよ」


 俺は立ち上がり、背伸びをした。

 ボキボキと背骨が鳴る。


「まあ、今のままやってても前には進まないだろ。 少し休憩してろ」

「どこに行くの?」

「散歩だよ。……電波の匂いを嗅ぎにな」


 俺はひらひらと手を振り、会議室を出た。

 向かう先は自販機……ではなく、地下のサーバールーム。

 物理的な「線」が交差する、このトラブルの震源地だ。


 俺の勘が告げている。

 これは、高尚な設定ミスなんかじゃない。

 もっと馬鹿馬鹿しくて、笑っちゃうような、泥臭い原因だと。


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