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氷の女帝は、システム(恋)にバグが多い。 〜論理武装した元同級生上司を、社畜の俺が物理的にデバッグする話〜  作者: おこげ。


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第6話:デートの予約

 4月。

 新年度を迎え、俺も晴れて入社4年目となった。

 桜前線が関東平野を北上する中、我らが『グラテク』でも春の恒例行事、お花見が開催されることになった。

 プロジェクト(第1フェーズ)の立ち上げも軌道に乗り始めた頃合いだ。

 今回は、4月から正式に辞令が降りた佐藤優(チーフ)の、部署全体での歓迎会も兼ねている。


「場所取りは我々若手チームがやりますんで! 井伊先輩たちはゆっくり来てください!」


 そう言っていた元気な元新人、晴れて2年目になった田中の言葉を信じ、俺は集合時間の11時に公園へ向かった。

 だが。


「……何やってんだ、お前ら」


 公園に到着すると、そこには異様な光景が広がっていた。

 広大な公園の一角。

 見事に桜が咲き誇る絶好のロケーションに、幾何学模様のように整然と敷かれたブルーシート。

 その上で、若手たちがパイプ椅子に座らされ、死人のように青ざめていた。

 そして、その中心に君臨しているのは――もはや見慣れた「氷の女帝」だった。


「遅いわよ、井伊さん」


 佐藤は、完璧な姿勢で自前のディレクターズチェア(どこから持ってきた?)に座り、腕時計をタップした。

 服装は春らしいパステルカラーのオフィスカジュアルだが、首から下げたIDカードケースには、なぜか「運営統括責任者」というテプラが貼られている。

 手には拡声器。

 完全に「現場監督」の風格だ。


挿絵(By みてみん)


「……佐藤、お前いつからここに?」

「朝の6時よ」

「6時!? 集合11時だぞ!?」

「リスクヘッジよ。ポピュラリティの高いエリアは競争率が激しいわ。確実にリソース(場所)を確保するためには、夜明け前の展開が必要不可欠だったの」


 彼女は事もなげに言う。

 横で田中が涙目で訴えかけてきた。


「い、井伊さん……助けてください……佐藤チーフから朝の5時に『起床確認通話モーニングコール』がかかってきて……『遅刻はプロジェクト遅延と同義よ』って……」

「……お前ら、災難だったな」


 俺は心底同情した。完全なパワハラである。

 しかし、佐藤は悪びれる様子もなく、手元のタブレットを示した。

 そこには公園の測量図が表示され、複雑な数式と共に「最適解エリア」が赤くマーキングされている。


「見て。ここがベスト・オブ・ベストよ。彼らが最初に確保しようとしていた場所は論外だったわ。トイレへの導線が確保されていない上、ゴミ捨て場からの風下にあたる。衛生学的にもユーザビリティ的にも最悪(ワースト)の選択ね」

「はあ……」

「対して、私が再定義したこのエリアは完璧よ。日照条件、風向き、地盤の硬度、そして何より――」


 彼女は立ち上がり、頭上の桜を見上げた。


「桜の花弁が舞い落ちる確率密度関数をシミュレーションした結果、ここが最も『エモーショナルな落花体験(桜吹雪)』を享受できる座標(ポイント)なの。14時32分頃、最大のピークが来るはずよ」

「……お前、花見しに来たのか? 学会発表しに来たのか?」


 確率密度関数ってなんだよ。

 花見に数学を持ち込むな。

 俺は呆れてため息をついた。


 ◇


 11時30分。

 他の社員たちも集まり、乾杯の声と共に宴会が始まった。

 だが、佐藤の「独裁」は終わっていなかった。

 むしろ、ここからが本番だった。


「ストップ。ビールの消費ペース(スループット)が早すぎるわ。現在の在庫量と参加人数から算出すると、開始45分で供給不足(ショート)が起きる。追加調達班、至急コンビニへ」

「あ、はいっ!」

「購入品目の指定を行うわ。ポテトチップスは塩味とコンソメ味を黄金比(1:1.618)で。唐揚げは醤油と塩を1:1。アルコール度数は平均5%に収束するように調整して」

「は、はいっ!!」


 若手たちが弾かれたように走り出す。

 飲み会というより、兵站補給作戦だ。


「ゴミの分別が甘いです! 鈴木さん、そのプラ容器は軽くすすいでから『プラ』へ。残飯と混ぜないで。エントロピーを増大させないでください」

「す、すみません!」


「山田マネージャー、顔色が赤いわ。アルコール血中濃度が閾値を超えそうね。これ以上の摂取はリスクマネジメントの観点から推奨しません。以後、お水を飲んでくださいね(強制)」

「う、うん……ありがとう……」


 完璧だ。

 完璧すぎる。

 会場の運営、物資の管理、参加者の健康管理(という名の制限)。

 すべてが佐藤の掌の上でコントロールされていた。

 だが、誰も楽しそうじゃない。

 全員が「仕事の延長」のような顔で、引きつった笑顔を浮かべながら、行儀良く酒を飲んでいる。


 佐藤優本人は、満足げにその様子を見守っている。

 ディレクターズチェアに深く腰掛け、腕を組み、完璧に統率された宴会を「管理」することに悦びを感じているようだ。

 だが、その張り詰めたオーラのせいで、誰も彼女の隣には座ろうとしない。

 半径2メートルの真空地帯。

 監視塔からライフルを構えているスナイパーの隣で、気楽に飲める人間などいないのだ。


 ……孤高だなあ。


 俺は屋台で買ってきた焼きそばを二つ持ち、その「真空地帯」へと足を踏み入れた。


「ほら、食えよ」

「……何これ」

「焼きそば。屋台のやつ。冷めるとゴムみたいになるぞ」


 俺は椅子の隣の、ブルーシートの端っこに胡座をかいた。

 佐藤は驚いたように俺を見下ろし、それから少し躊躇して、椅子から降りた。

 俺の隣にちょこんと正座する。

 途端に、周囲の空気が少し緩んだ気がした。「井伊さんが行ってくれた」「助かった」という視線が飛んでくる。


「……ありがとう」

 彼女は割り箸を割り、焼きそばをもそもそと食べ始めた。

「美味しい?」

「……ただの炭水化物と油脂の塊ね。ソースの塩分濃度も高すぎるし、キャベツの芯が生焼けだわ。栄養学的見地からは推奨できない」

「文句多いな。でも食ってんじゃん」

「……ドーパミンの分泌は確認したわ。ジャンクフード特有の中毒性ね」

「素直に美味いって言えよ」


 俺は自分の分の焼きそばを啜った。青海苔が歯につかないように気をつけながら。

 桜の花びらが一枚、俺たちの間に舞い落ちた。


「お前さ、もっと力抜けよ。花見なんて適当でいいんだよ」

「……」

「お前が張り切るから、みんな仕事モードから抜け出せてないだろ。大雑把でちょうどいいくらいだ」

「そんなこと言われても……私、『適当』の定義(スペック)が分からないの」


 佐藤は膝を抱えて、桜を見上げた。

 その横顔は、いつもの自信満々な女帝のままだったが、どこか遠くを見ているようだった。


「昔からそうだった。勉強も、ピアノも、バレエも、何でも『完璧』にやらないと親が認めてくれなかった。『100点以外は0点と同じ』って教えられてきたから」

「……英才教育ってやつか」

「だから、遊び方が分からないの。趣味もないし、休日の過ごし方も、つい『生産性』や『効率』で最適解を探してしまう。……私、つまらない人間よね」


 自嘲気味に笑う彼女を見て、俺は胸が少し痛んだ。

 損な性格だ。

 優秀すぎるが故に、人生の楽しみ方を損している。

 そして、その隙間を埋めてくれる誰かを、ずっと探していたのかもしれない。


「……ま、お前らしいけどな」

「え?」

「つまらなくはないぞ。突っ込みどころ満載で面白い。今日の場所取りだって、みんな引いてたけど、俺はちょっと感心したし」

「……本当?」

「ああ。確率密度関数とか言い出した時は、正直頭おかしいと思ったけどな」

「もう! そこは褒めるところよ!」


 佐藤はちょっとばかしむくれて、俺の肩をポカっと殴った。

 その力は案外弱かった。


「あ、そういえば」

 少し空気が和んだところで、俺はふと思い出したことを口にした。

「来週の契約更新の書類、お前のハンコがいるんだよ。月曜までに用意しといてくれ」

「ハンコ?」

「ああ。ほら、セキュリティカードの申請用紙。親会社提出用の紙のやつだか」

「電子印じゃダメなの?」

「印刷されてる定型のやつだからな。100円ショップのがダメとは言わんが、ちゃんとしたやつの方がいいな」


 焼きそばを口に運ぶ手が、空中で静止した。


「……私、持ってない」

「は?」

「シャチハタしか持ってない」

「お前、社会人何年目だよ。実印くらいねーの?」

「……だって、『佐藤』なんて日本で一番多い苗字だもの。ユニーク(識別可能)じゃないわ。 100均で買える既製品で十分合理的じゃない」


 彼女は拗ねたように唇を尖らせた。


「どうせ私は量産型の『佐藤』よ。ありふれた名前。だからこそ能力(スペック)で差別化しようとしてきたのに……今更ハンコなんて、さらに没個性じゃない」


 ……なるほど。

 彼女の完璧主義の根底には、そのありふれた名前へのコンプレックスがあるのかもしれない。

 「佐藤優」という、どこにでもいる名前。

 だからこそ、「特別」であろうと足掻いている。


 その横顔を見て、俺はまたしても口を滑らせてしまった。

 コイツの、こういう弱った顔に弱いんだ、俺は。


「……しゃーねぇな。明日、日曜日だし。買いに行くか?」

「え?」

「ハンコ屋。隣町に老舗のいい店があるんだ。俺もそこで作ったんだけどさ、そこでちゃんとした『佐藤』を作ってもらえよ。世界に一つだけのデザインでさ」


 佐藤が目を見開く。

 そして次の瞬間、食い気味に返答した。


「行く! 絶対行く!! それはつまり、業務外の個別活動……すなわち『デート』という認識で相違ないわね!?」

「は? いや、ただの仕入れ……」

「異議は認めないわ! アジェンダは!? 服装規定ドレスコードはある!?」

「うおっ、急にどうした!」


 さっきまでの「しょんぼりモード」はどこへやら。

 コイツは俺の肩をガシッと掴み、鼻息荒く迫ってきた。

 瞳が爛々と輝いている。

 尻尾があったら、突風が巻き起こるレベルで振られているだろう。


「わ、分かったから落ち着け! 明日の10時、駅前集合な! 服装は『私服カジュアル』でいいぞ」

「カ、カジュアル……!?」


 佐藤がフリーズした。


「定義が広すぎるわ……。『ファストファッションのような大量生産品』か『パリコレ的な前衛性』か、あるいは『彼シャツ』的な概念か……最適解はどれ!?」

「服くらい普通でいいんだよ!」

了解(ラジャー)! 遅刻したら減給よ!」

「日曜日だぞ! 給料関係ねーだろ!」


 俺は苦笑しながら、残りの焼きそばをかき込んだ。

 ふと周りを見ると、若手たちがニヤニヤしながらこちらを見ている。

 「デートっすか?」「ご馳走様です」という声が聞こえる。


「違うだろ! 仕事みたいなもんだっつーの!」


 俺の否定は、春風にかき消された。

 

 こうして。

 俺の貴重な休日は、女帝との「ハンコ屋デート」に費やされることになったのである。

 まあ、たまにはこういう休日も悪くない――のかも?


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