第35話:意気地なし
「――以上が、我々Glanz Nextが描く未来です」
西園寺がスライドを閉じ、深々と一礼した。
一瞬の静寂の後、会場は万雷の拍手に包まれた。
「素晴らしいプレゼンだ」
「技術的裏付けも完璧だ。CTOの回答も的確だった」
投資家たちが口々に称賛の言葉を漏らす。
そこには、完璧なCEOと、それを支える冷徹な美貌のCTOがいた。
誰もが認める、最強のタッグ。
それが、今の西園寺さんと優の評価だった。
◇
「……へえ、すごいじゃん」
俺はオフィスの片隅で、Slackに流れてきた「資金調達完了」の速報を眺めていた。
添付された写真には、笑顔で握手を交わす西園寺さんと、その隣で少し控えめに微笑む優の姿がある。
「すごいですね! やっぱり西園寺さんと佐藤さんのコンビは最強ですよ!」
「絵になりますよねえ。まるで映画のワンシーンみたい」
若手社員たちが写真を見て盛り上がっている。
俺は黙ってコーヒーを啜った。
正直、面白くないと言えば嘘になる。
俺はただのエンジニアで、彼らのような華やかな世界にはいない。
優が輝いているのは嬉しいが、その隣にいるのが俺ではないという事実に、胸の奥が少しざらつく。
「……ま、俺は定時で帰るだけだけどな」
強がりを呟き、俺はPCを閉じた。
時計の針は19時を回っていた。今日は少し残業をしてしまった。
オフィスを出て、渋谷駅へ向かう。
雑踏に紛れて歩きながら、ふと空を見上げた。
都会の空は明るすぎて、星など見えない。
電車に揺られ、つり革に捕まってぼんやりとしていると、ポケットのスマホが震えた。
画面を見ると、優からだ。
『ねえ、ウチの最寄り、わかる?』
唐突なメッセージ。
俺は少し考えて、記憶を探った。
そういえば以前、タクシーで彼女を送ったときに通った場所を覚えている。
『ああ。……どうかしたのか?』
『……充電切れ。来て』
それだけのメッセージで、彼女の状況が手に取るように分かった。
あの完璧なピッチの裏で、どれだけ神経をすり減らしていたか。
「……了解」
俺は短く返し、次の駅で電車を降りた。
反対方向の電車に乗り換え、彼女の住む街へ向かう。
駅前のスーパーは閉まりかけていたが、商店街の中華屋はまだ開いていた。
俺はそこで餃子と唐揚げを買い込み、コンビニで缶チューハイを調達した。
地図アプリを頼りに、高級マンションの前までたどり着く。
エントランスに見覚えのある人影があった。
優だ。
彼女は柱に寄りかかり、ぐったりと項垂れていた。それでも、俺の姿を見つけると、少しだけ顔を上げた。
「……遅い」
「悪かったな。これ買ってたんだよ」
俺はレジ袋を掲げて見せた。
中から漂うニンニクと油の匂いに、優の目が少しだけ輝いた気がした。
「……入って。ここで食べるのは侘しいわ」
優に促され、俺は彼女の後についてエントランスをくぐった。
オートロックが解除され、エレベーターで高層階へ。
通された部屋は、予想通りというか何というか、生活感の欠片もなかった。
広々としたリビングには、デザイナーズ家具と思しきソファーとテーブルがあるだけで、雑誌一冊落ちていない。まるでモデルルームだ。
「……座って」
優はジャケットを脱ぎ捨て、ソファーに沈み込んだ。
俺はテーブルに買ってきた惣菜を広げ、缶チューハイのプルタブを開けた。
「はい、お疲れさん」
「……ん」
優は缶を受け取ると、一気に半分ほど煽った。
そして、箸も使わずに手で唐揚げを摘み、パクリと口に入れた。
リスにように頬を膨らませて咀嚼する。
「……美味しい」
「そりゃよかった。……西園寺さんと何か食べてきたんじゃないのか?」
俺がにやにやしながら訊くと、優は不機嫌そうに眉を寄せた。
「ないわよ、そんなの。気が休まらないもの」
「へえ。最高のパートナーなのに?」
「仕事上の、ね。……私のHP回復スポットは、ここだけ」
そう言って、優がごろんと横になり、俺の太ももに頭を乗せてきた。
膝枕、というやつだ。
俺とは違う、いい匂いが鼻をくすぐる。
さっきまでの「氷の女帝」はどこへやら、完全にオフモードの「優」がそこにいた。
「……もう少し、このままで」
優が目を閉じる。
俺はその柔らかい髪を、無意識に撫でていた。
あんな完璧な『佐藤CTO』を知っているのは世界中で大勢いるが、このポンコツで無防備な『優』を知っているのは俺だけだ。
そんな奇妙な優越感が、さっきまでのモヤモヤを消し去ってくれた。
しばらくして、買ってきた惣菜と酒が空になった。
優の呼吸も整い、少し眠気を含んでいるようだ。
「……そろそろ、帰るわ」
俺は優の頭をそっとソファーに下ろし、立ち上がった。
ここで長居をすれば、あるいは泊まってしまえば、何かが大きく変わる気がした。
優は好意をもはや隠そうとしていないし、俺だって……愛しいと、護りたいと、思っている。
だが、なし崩しのように関係は進めることは本意ではない。
別々の時間を過ごした時もあったが、積み重ねてきた時間が俺たちにはある。
その時間の積み重ねを、勢いだけで変えたくなかった。
「……えっ?」
優が目をあけて、俺を見上げた。
その瞳には、少しの驚きと、期待外れのような色が混じっていた。
「明日も早いだろ。ゆっくり休めよ」
「……そう」
優はそれ以上何も言わず、身体を起こした。
俺は玄関へ向かい、靴を履く。
背後で優が見送ってくれている気配がする。
「じゃあな、おやすみ」
「……おやすみなさい」
重厚な扉を閉める。
オートロックの電子音が響き、俺は廊下に出た。
ふう、と息を吐く。
心臓が少しだけ早く脈打っていた。
扉の向こうで、微かな声が聞こえた気がした。
「……意気地なし」
その声は、どこか嬉しそうだった。




