第34話:意識高い系と省エネ系
「――だから、バックエンドのアーキテクチャはマイクロサービスであるべきだと思うんだ」
「いや、それよりも先にUXの全体設計を固めるのが先決じゃないかな? カスタマージャーニーマップを……」
「待って、ブロックチェーン技術を導入して、自律分散型のプラットフォームにするのはどう? これからの時代はWeb3だし」
Glanz Nextのオフィスには、今日もカタカナ語が飛び交っている。
MacBook Proに向かう3人の若手社員たち。
彼らは皆、有名大学を出て、グランツの社内公募でこのスタートアップに参加した「精鋭」たちだ(と、本人が言っていた)。
彼らの議論は熱い。
ホワイトボードは「イノベーション」「エコシステム」「シナジー」といった言葉で埋め尽くされている。
まるで、シリコンバレーのドキュメンタリー番組を見ているようだ。
ただし、一つだけ問題がある。
画面には、一行もコードが書かれていないことだ。
「……はあ」
俺の向かいの席で、優が深いため息をついた。
その表情は、永久凍土のように冷めきっている。
「ねえ、貴方たち」
「はい! 何でしょうか、佐藤CTO!」
彼らは優のことを尊敬しているらしく、返事だけはいい。
「議論は結構だけど、来週のデモに間に合わせる気はあるの? 今の進捗率、ゼロパーセントよ」
「い、いえ! ゼロではありません! 概念実証のための思想的基盤は固まりつつあります!」
「そうそう、クリエイティブな作業には余白が必要なんです。がむしゃらにコードを書くだけが開発じゃありませんよ」
彼らは悪びれる様子もなく、むしろ「分かってないなあ」という顔で優を諭そうとしている。
優のこめかみに、青筋が浮かんだ。
「……余白? 思想?」
「はい!」
「あのねえ……投資家に見せるのは『動く画面』なの。貴方たちの頭の中にある『高尚な思想』なんて、1円にもならないのよ!」
優が机を叩いた。
オフィスが一瞬静まり返る。
だが、彼らはまだ懲りていなかった。
「で、でも、レガシーな技術でとりあえず動くものを作っても、技術的負債になるだけですよ?」
「スケーラビリティを考えたら、最初からクリーンアーキテクチャで設計すべきです!」
優が天を仰いだ。
これ以上言っても無駄だと悟ったようだ。
彼女は助けを求めるように、俺の方を見た。
「……井伊さん。貴方はどうなってるの?」
俺は伸びをして、優の方に向き直った。
「ああ、できたよ」
「は?」
「とりあえず動くやつ。いわゆるMVP(Minimum Viable Product)ってやつ」
俺は唖然とする後輩たちに、補足してやった。
「顧客に価値を提供できる、必要最小限の機能だけを備えた製品……お前らが好きな教科書にも書いてあるだろ?」
「み、見る?」
俺は3人の「意識高い系」たちが議論している間に、黙々と手を動かしていた。
彼らがアーキテクチャ論争をしている間にDBを作り、UX議論をしている間に画面を組み、Web3構想を語っている間にデプロイまで終わらせた。
「嘘でしょ? まだ3時間も経ってないわよ?」
「まあ、見てくれよ」
俺はプロジェクターに自分の画面を映した。
ログイン画面が表示される。
IDとパスワードを入れると、ダッシュボード画面に遷移し、物件情報の登録・検索、そしてチャット機能が動いている。
「えっ……!?」
「ど、どうやって作ったんですか井伊さん!?」
若者たちが驚愕の声を上げた。
優も目を丸くして画面を見つめている。
「どうやってって……認証周りはFirebase、DBはFirestore、UIはReactの無料テンプレートを拾ってきて繋ぎこんだだけ。チャット機能はSendbirdのSDKをそのまま使ってる」
「はあ!? そ、そんな『ありもの』のつぎはぎですか!?」
「コードの独自性が全くないじゃないですか!」
「セキュリティとか大丈夫なんですか!?」
案の定、彼らは非難の声を上げた。
俺は肩をすくめる。
「セキュリティ? SaaS側が担保してるから、お前らがゼロから書くよりよっぽど安全だよ。それに独自性なんて、ユーザーには関係ないだろ。動けばいいんだよ、動けば」
「ぐぬぬ……し、しかし、エンジニアとしてのプライドが……」
「プライドで飯は食えないぞ。……で、佐藤さん。これでいいか?」
俺は優に向き直った。
彼女は腕を組み、画面をじっと見つめている。
そして、ふっと小さく笑った。
「……ええ。合格よ」
「えっ、CTO! こんないい加減な作りでいいんですか!?」
「いいわよ。だって、これは『動く』もの」
優は冷ややかな目で、3人の若者たちを見下ろした。
「貴方たちが語っていたのは『動かない理想』。幸太朗くんが作ったのは『動くゴミ』。……でもね、投資家が金を出すのは、どっちだと思う?」
ぐうの音も出ないとはこのことだろう。
若者たちは顔を真っ赤にして黙り込んだ。
「分かったら、さっさとその『ゴミ』のバグ出しを手伝いなさい。……それとも、まだ夢を語り続ける?」
優の言葉に、彼らは慌てて自分の席に戻り、Macを開いた。
今度は静かだ。
「……性格悪いな、お前」
「事実を言っただけよ。……それにしても」
優が俺の肩を軽く叩いた。
「相変わらずの『E加減』ね。……助かったわ」
「よせよ。俺はただ、定時で帰りたかっただけだ」
俺は時計を見た。
18時ジャスト。
「じゃ、お疲れ」
「えっ、帰るの!?」
「当然だろ。ノルマは達成した」
俺は呆気に取られる全員を背に、颯爽とオフィスを出た。
背後で優が「ちょ、待ち……!」と言っていた気がするが、聞こえないふりをした。
こうして、俺のスタートアップでの初日は幕を閉じた。
まあ、これくらいなら何とかやっていけそうだ。
そう思っていた俺は、まだ知らなかった。
これがほんの序章に過ぎないということを。




