第31話:次なる戦場への招待状
カットオーバーから一週間。
プロジェクトルームは、祭りの後のような静けさに包まれていた。
追加の移行作業も、クリティカルなバグもなく、システムは安定稼働を続けている。
それはつまり、このチームの解散を意味していた。
午後18時。
定時を過ぎたオフィスで、ささやかな解散式(打ち上げ)が始まった。
長机には缶ビールやピザ、寿司桶が並んでいる。
「皆さん、本当にお疲れ様でしたー!!」
「かんぱーい!!」
何度目かの乾杯の声が響く。
地獄のような徹夜の日々も、今となれば笑い話だ。
メンバーたちは解放感からか、いつもより饒舌になっている。
「いやー、チーフが役員を追い返した時は痺れましたよ!」
「あれは西園寺さんの入れ知恵ですけどね。……でも、皆さんが頑張ってくれたおかげです」
中心にいるのは、やはり佐藤優だ。
以前のような「絶対零度」のオーラはない。
缶チューハイを片手に、メンバーの話に耳を傾け、時折柔らかく微笑んでいる。
その変化に、誰もが心を許していた。
「佐藤チーフ、本社に戻っても元気でやってくださいね」
「また困った時は助けてくださいよ!」
「……ええ。貴方たちも、健康には気をつけて」
優は一人一人に丁寧に言葉を返していた。
俺は少し離れた席で、ピザを齧りながらその光景を眺めていた。
あーあ、人気者だな。
最初の頃、全員から恐れられていたのが嘘みたいだ。
「……何、ニヤニヤしてるのよ」
気づけば、優が俺の隣に立っていた。
微かにアルコールの入った頬が赤い。
「いや? 立派なリーダーになったなと思って」
「……茶化さないで。貴方のおかげ、なんて言わないわよ」
「言ってねえよ」
俺たちは顔を見合わせて、小さく笑った。
「少し、外の風に当たらない?」
優に促され、俺たちはバルコニーへ出た。
2月の夜風はまだ冷たいが、オフィスの中の熱気よりはマシだった。
眼下には、東京の夜景が広がっている。
「……終わったな」
「ええ。終わったわね」
優が手すりに寄りかかり、夜空を見上げた。
「本社に戻ったら、どうするんだ?」
「新しい部署に配属されるの。『戦略事業開発室』……通称、スタートアップ支援室よ」
「へえ、なんか響きだけで忙しそうだな」
「ええ。西園寺さんが室長で、私がその補佐。……親会社が出資するスタートアップ企業の立ち上げと、技術支援を行う精鋭部隊よ」
西園寺さんと一緒か。
まあ、最強のタッグだな。俺みたいな凡人が関わることは二度とないだろう世界だ。
「俺はまた、本来の業務に戻るよ。古びた社内システムの保守運用。毎日定時で帰って、家でゲームして寝る。……最高の生活だ」
「ふふ。……本当に、ブレないわね」
優は楽しそうに笑った。
だが、その瞳の奥には、どこか悪戯っぽい光が宿っているように見えた。
「ねえ、幸太朗くん」
「ん?」
「貴方のその『平和』……いつまで続くかしらね?」
風が、彼女の髪をさらった。
「どういう意味だよ」
「さあ? ……ただ、優秀なエンジニアを、遊ばせておくほど甘い会社じゃないってこと」
優は手すりから体を離し、俺の方へ向き直った。
その表情は、いつもの自信に満ちた「氷の女帝」のものだった。
「私、待ってるから。今度は幸太朗くんから迎えに来てね」
「は? おい……」
俺が問いかけるより早く、彼女は背を向けた。
カツカツとヒールの音を響かせて、オフィスの光の中へと戻っていく。
一度も振り返らなかった。
嫌な予感がする。
背筋に冷たいものが走る。
あの言葉の意味。
西園寺さんと優がいる「新しい部署」。
そして、俺に向けられた「待ってる」という言葉。
「……勘弁してくれよ」
俺は夜空に向かって呟いた。
星は見えない。
ただ、街の灯りだけが、不気味なほど眩しく輝いていた。
俺たちの戦いは、まだ終わらない。
いや、ここからが本当の「地獄」の始まりなのかもしれない。




