第28話:嘘も方便
1月下旬の深夜。
オフィスの明かりは、俺と優のデスク周りだけに残されていた。
他のメンバーは帰した。これは、俺たち二人だけの秘密のプロジェクトだからだ。
「……ねえ、幸太朗くん。本当にこれでいいの?」
優が不安そうな声で尋ねてくる。
彼女の目の下には薄くクマができているが、その瞳には覚悟の色も混じっていた。
「いいもなにも、これしか道はねえだろ。工数も技術も足りない。でも、客は『動く画面』を見たがってる。なら、見せてやるのがエンジニアの優しさってもんだ」
「……それは優しさじゃなくて、欺瞞よ」
優はため息をつきながらも、手元のPythonコードを修正していく。
俺たちが作っているのは、親会社から無茶振りされた『AIによる来期売上予測ダッシュボード』だ。
ただし、中身は空っぽだ。
AIなんて高尚なものはこれっぽっちも搭載されていない。
「よし、ここのロジックはこれでいいか?」
俺が書いたコードを指差す。
```python
def predict_next_quarter_sales(current_sales):
# 複雑な機械学習アルゴリズムに見せかけたランダム補正
fluctuation = random.uniform(1.05, 1.15) # 5%〜15%の成長
return int(current_sales * fluctuation)
```
優が呆れたように画面を見た。
「……『random.uniform』。これのどこがAIなのよ。ただの乱数生成じゃない」
「いやいや、よく見ろ。『成長率5%〜15%』だぞ。親会社の役員が一番喜ぶ数字が出るようにチューニング(調整)してある。これぞ、顧客心理を学習した高度なアルゴリズムだ」
「……屁理屈ね。でも、確かにあの人たちが喜びそうな数字だわ」
優は苦笑いしながら、フロントエンド側の実装を進めた。
彼女のデザインセンスは抜群だ。
ただの乱数グラフが、まるで最新鋭のAIが弾き出した高度な分析結果のように見えてくる。
無駄にアニメーションする円グラフ。
意味ありげに明滅する「Processing...」の文字。
全ては、見る人を信じ込ませるための演出だ。
「……こんなのアカデミックじゃないわ。技術への冒涜よ」
「リリース前に消すんだから、実害はねえよ。……西園寺さんとの話はどうなった?」
俺が尋ねると、優は少し表情を明るくした。
「ええ。さっきメールが来たわ。『監査法人担当者への根回し完了。リリース直前のセキュリティレビューで、外部連携機能に重大な脆弱性があることにして、機能ごと削除させる』って」
「さすがタヌキ親父。仕事が早い」
そう。これが俺たちの描いた出口戦略だ。デモで役員を満足させ、プロジェクトを存続させる。
そして、実際のリリース直前に「外部からの指摘」という不可抗力を使って、この偽機能を葬り去る。
誰も傷つかない。誰も嘘つきにならない(ことになる)。
完全犯罪だ。
「……私、また一つ不良になった気分だわ」
「いいじゃん、不良。優等生より楽しいだろ?」
「……否定はしないわ」
優は小さく笑った。
その笑顔は、いつもの完璧な「佐藤チーフ」ではなく、ただの「佐藤優」のものだった。
◇
数日後。
親会社の大会議室。
巨大なプロジェクターに、俺たちの作った「管理画面」が映し出されていた。
「これより、来期会計システムの新機能、『スマート・セールス・プレディクション』のデモを行います」
優がプレゼンターとして檀上に立つ。
ズラリと並んだ役員たち。その中には、無理難題を押し付けてきたあの常務の姿もあった。
「……実行」
優がエンターキーを押す。
画面上のプログレスバーが走り、幾何学的なアニメーションが展開される。
裏で動いているのはただの `time.sleep(3)` と `random` 関数だが、演出はハリウッド映画並みだ。
やがて、右肩上がりの美しいグラフが表示された。
「おおっ!」
「素晴らしい! これがAIの力か!」
「来期も安泰だな、ハッハッハ!」
会議室がどよめきに包まれる。
常務も満足そうに頷いている。
「うむ。よくやった、佐藤くん。不可能を可能にするのが君たちの仕事だと思っていたが、期待以上だよ」
「……恐縮です」
優が深々と頭を下げる。
その顔が見えない位置で、俺はこっそりとガッツポーズをした。
勝った。
俺たちの「いい加減」な嘘が、親会社の「理不尽」に勝利した瞬間だった。
会議室の隅で、西園寺マネージャーが俺に向かってウインクをした。
あの人も大概、食えない人だ。
でも、今はその狡猾さが頼もしかった。
帰り道。
俺たちは久しぶりに定時(に近い時間)で会社を出た。
冬の透き通った空に、月が浮かんでいる。
「……終わったわね」
「ああ。まあ、来月のカットオーバー本番までは気が抜けないけどな。とりあえず、最大の山場は越えた」
「ええ。……ありがとう」
優が立ち止まり、俺を見た。
「あなたがいなかったら、私はきっと潰れていたわ。真面目に真正面から受け止めて、玉砕していた」
「それがお前のいいところでもあるけどな。……ま、泥仕事は俺に任せろって言ったろ」
「ふふ。頼りにしてるわ、共犯者さん」
優が俺の手を握った。
その手は温かかった。
俺たちは繋いだ手をポケットに隠して、駅への道を歩き出した。
嘘で塗り固めた平和かもしれない。
でも、この温もりだけは、紛れもない真実だった。
あと少し。
3月の別れまで、あと少し。
俺はこの「共犯関係」が、少しでも長く続くことを願わずにはいられなかった。




