第26話:2回の初詣
1月2日。
雲ひとつない快晴。凛とした冷たい空気が肌を刺す。
三が日の真っ只中、俺たちは地元の神社に来ていた。
都心の有名どころのような派手さはないが、俺たちが通っていた高校の近くにある、地域密着(?)型の神社だ。
境内には地元の家族連れや老人たちがのんびりと参拝しており、スピーカーからは琴のBGMが流れている。
「……ねえ、幸太朗くん。リスクマネジメントの観点から言わせてもらうと、この場所選定は不適切じゃない?」
ライトベージュのカシミアのコートに、黒のスキニーパンツ。
首元にはハイブランドのロゴがさりげなく主張するマフラーを巻き、大きめのサングラスをかけた優が、周囲を警戒しながらボソリと言った。
その姿は、お忍びで来日したハリウッド女優か、あるいは要人警護中のSPか。
少なくとも、地元のしなびた神社には不釣り合いなオーラを放っている。
「なんでだよ。空いてていいだろ。明治神宮とか行ったら、参拝まで三時間待ちだぞ」
「待ち時間の問題じゃないわ。セキュリティの問題よ」
優はサングラスの位置を人差し指で直し、周囲を鋭い視線でスキャンする。
「実家が近すぎるのよ。エンカウント率が高すぎるわ。……ほら、あそこの犬の散歩してる二人組」
彼女の視線の先には、柴犬を連れた楽しげな母娘の姿があった。
見覚えがある。いや、見覚えしかない。
「げっ、姉貴と母ちゃんだ。隠れろ」
俺は優の腕を引き、慌てて手水舎の柱の陰に滑り込んだ。
心臓が早鐘を打つ。
なんでよりによって、ピンポイントでこの時間に散歩してるんだよ。
「……ねえ、幸太朗くん。もし発見された場合、どういう言い訳を用意してるの?」
「『偶然会いました』一択だろ」
「無理があるわ。この距離感、明らかに他人同士のパラメータじゃない」
優が囁く耳元が近すぎて、俺は少しドキッとする。
柱の陰で密着する二人。
状況だけ見ればスパイ映画のようだが、やってることは単なる親バレ回避だ。
「あー、ムギちゃん、いい子ね〜。……あら、お母さん、あそこのお汁粉屋さん、美味しそうじゃない?」
「そうねえ、寄っていきましょうか」
姉貴たちの声が近づいてくる。
俺たちは息を潜め、石像になりきった。
砂利を踏む音がすぐ横を通り過ぎ、やがて遠ざかっていく。
柴犬のむぎだけが、俺たちの潜んでいる柱の方を向いて「ワン!」とひと鳴きしたが、姉貴にリードを引かれて連れて行かれた。
「……ふぅ。危なかった」
「心拍数が上昇したわ。……寿命が縮む思いよ」
優がふぅ、と白い息を吐く。
サングラスを外したその瞳は、少し潤んでいるように見えた。
「ま、スリルがあっていいじゃん」
「私は安定稼働が好みなの。……ほら、行くわよ」
気を取り直して、俺たちは拝殿へと向かった。
列に並び、順番を待つ。
優は財布から硬貨を取り出し、真剣な顔で選別を始めた。
「……5円玉がないわ」
「え?」
「ご縁がありますように、の5円玉よ。電子マネーばかり使っていた弊害ね……」
「別に10円でも100円でもいいだろ」
「ダメよ。10円は『遠縁』で縁が遠のく。500円はこれ以上硬貨がないから『これ以上の効果(硬貨)なし』。語呂合わせを侮ってはいけないわ」
「お前、意外とそういうの気にするよな……」
結局、俺が持っていた5円玉を一枚渡した。
二礼、二拍手、一礼。
優の所作は、茶道か何かのよう美しく、完璧だった。
長く、長く手を合わせている。
俺も隣で目を閉じ、「プロジェクトの成功」と、それから「こいつとのこれから」を少しだけ願った。
参拝を済ませた後、俺たちは社務所でおみくじを引いた。
優は筒を振る時も、「ランダム関数を物理的に再現しているのね」とかブツブツ言っていたが、出てきた棒の番号を巫女さんに伝え、紙を受け取った瞬間、その表情がパッと華やいだ。
「……出たわ」
「お、どうだった?」
「『大吉』よ。……ふふ、やはり私の日頃の行いが最適化されている証拠ね」
優はここ一番のドヤ顔を見せたあと、真剣な顔でおみくじの文面を凝視し始めた。
まるでバグ報告書のログ解析でもするかのような目つきだ。
「待って。『待ち人、来る。東の方向より』とあるわね」
「それが?」
「東……コンパスアプリを起動。……あっちね。しばらくあっちを向いて待機するわ」
「……へいへい。勝手にしてくれ」
俺は近くのベンチに座り、彼女の気が済むのを待つことにした。
優は本当に東の方角を向いて、直立不動で待機している。通りすがりの子供が不思議そうな顔で見ているが、気にしない。
数分後、満足したのか戻ってきた彼女は、さらに読み進める。
「『商い、利益あり。ただし油断するな』……了解。年明けの工数管理表(WBS)、もう一度見直すわ」
「やめろ! 正月くらい仕事忘れろ!」
「『失せ物、高いところに出る』……高いところ……? もしかして、クラウドサーバーの比喩かしら? データの消失リスクを示唆している?」
「違ぇよ! おみくじを仕様書みたいに読み込むな!」
優にとって、神託は絶対遵守の指示書らしい。
いちいち各項目に対してアクションプランを策定しようとする彼女をなだめながら、俺たちは屋台で甘酒を買って飲んだ。
麹の甘い香りと温かさが、冷えた体に染み渡る。
「……ふぅ。温まるわね」
「ああ。……今年もよろしくな、優」
「……ええ。よろしく頼むわ、幸太朗くん」
湯気の向こうで、優がふわりと笑った。
その笑顔を見られただけで、俺の大吉は確定だと思った。
◇
1月4日。仕事始め。
世間はお正月モードから一転し、丸の内界隈はまた戦場のような忙しさを取り戻し始めていた。
俺たちプロジェクトメンバーは、神田明神にいた。
IT企業の守り神として有名なこの場所で、システム稼働の安全祈願(という名のバグ退散祈願)を行うのが、うちの会社の恒例行事なのだ。
朱塗りの門をくぐると、境内はスーツ姿の集団でごった返していた。
どこの会社も考えることは同じらしい。
絵馬掛け所には「サーバーが落ちませんように」「デスマーチが終わりますように」「仕様変更がありませんように」といった、プログラマたちの血涙で書かれたような切実な願いが溢れている。
「うわぁ、見てくださいよ先輩。この絵馬、『バグが全部仕様になりますように』って書いてあります」
「……闇が深いな。見なかったことにしよう」
後輩の田中とそんな会話をしながら、俺たちは本殿での祈祷を済ませた。
太鼓の音がドンドンと響き、神主さんが大幣を振るう。
頭を垂れながら、俺は改めて身が引き締まる思いがした。2月のカットオーバーまで、あと1ヶ月半。ここからが本当の勝負だ。
祈祷を終えた後、西園寺マネージャーの提案で、みんなでおみくじを引くことになった。
「よし、今年の運勢を占うぞー。凶を引いた奴は、今年のデバッグリーダーな! 責任重大だぞー!」
「えー、マネージャー、パワハラですよー」
「そうだそうだ、労基に訴えますよー」
若手社員たちがワイワイと盛り上がる。
現場の雰囲気は悪くない。みんな、年末年始で少しリフレッシュできたようだ。
俺も筒を振って棒を出す。
巫女さんから受け取った紙を開く。
結果は『中吉』。
『学問:努力せよ』『争い事:勝つが、後に恨みを買う』。
……まあ、可もなく不可もなく、俺らしい結果だ。
「あ、佐藤チーフは何でした?」
田中が優に尋ねた。
優は少し離れた場所で、真剣な表情でおみくじを開いていた。
その白い指先が、紙を広げる。
そして、目を見開いた。
「……あっ、また大吉!?」
思わずといった様子で、優が声を上げた。
おおーっ、と歓声が上がる中、優はハッとして口元を押さえた。
「……あ、いえ、その……統計学的に考えて、二回連続で大吉を引く確率は、おみくじの大吉配分率を20%と仮定してもわずか4%。……レアケースだわ」
その瞬間。
場の空気が、ピタリと止まった。
俺は心の中で絶叫した。
お前バカ! 優、お前バカ! 余計なデータをアウトプットするな!
「……え? 二回連続?」
「あれ、チーフ。初詣、もう行ったんですか?」
田中の鋭いツッコミが入る。
西園寺マネージャーも、興味深そうに首を突っ込んできた。
「おや、佐藤さん。プライベートで初詣ですか? ほうほう、それはそれは」
優の様子がおかしい。
いつもなら「ええ、個人の活動ですので」と冷たく切り返すところなのに、今日は明らかに動揺している。
サングラスをしていない彼女の目は、完全に泳いでいた。
「い、いえ、その……オンラインおみくじよ! そう、アプリで引いたの!」
「へえー、そんなのあるんですね」
「でも、さっき『配分率』とか言ってませんでした? リアルなおみくじの話じゃ……」
「アプリのアルゴリズムの話よ! 擬似乱数生成の精度の話!」
苦しい。言い訳が苦しすぎる。
疑いの眼差しが優に、そして何故か俺の方にも突き刺さる。
「もしかしてチーフ、誰かと一緒に行ったんじゃないですか〜?」
「そ、そんなわけないでしょう! 非合理的よ!」
「あれ〜? そういえば井伊さんも、地元の神社行ったって言ってましたよね? なんでも、高校の近くの」
流れ弾が俺に来た。
俺は平静を装い、全力でポーカーフェイスを作る。顔の筋肉を総動員して「無」の表情を作り出す。
「あー、まあな。でも俺は大吉じゃなかったし、関係ないだろ」
「本当ですかね〜? 怪しいなぁ……」
メンバーたちはニヤニヤと俺と優を交互に見ている。
バレてはいないだろうが、完全に「疑惑の判定」が出ている空気だ。
優は耳まで真っ赤にして、おみくじを木に結びつけるふりをして背中を向けた。
その背中が「助けて」と語っていたが、ここで俺が助け舟を出せば、それこそ火に油を注ぐことになる。
俺は心の中で合掌して詫びた。
帰り道。
神田駅から電車に乗った後、少し離れた車両に乗った優から、LINEが届いた。
『Message from 佐藤優:
……バグ報告。
私のセキュリティホール(口の軽さ)について。
至急、修正パッチを適用します……
……あと、助けてくれなくて恨みます』
文面からにじみ出る彼女の拗ねた顔を想像して、俺はスマホを見つめながら苦笑いした。
スタンプを一つ返して、窓の外を見る。
東京の空は今日も明るい。
今年も一年、退屈しなそうだ。
この騒がしくも愛おしい日常が、ずっと続けばいいのに。
だが、この時の俺たちはまだ知らなかった。
そんなのんきな日常が、もはや風前の灯火であることを。
おみくじの「油断するな」という言葉が、まさかこんな形で現実になるとは。
あと1ヶ月半。
プロジェクト最大の危機が、すぐそこまで迫っていた。




