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氷の女帝は、システム(恋)にバグが多い。 〜論理武装した元同級生上司を、社畜の俺が物理的にデバッグする話〜  作者: おこげ。


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第24話:クリスマスの最適解(前編)


 12月20日。

 プロジェクトは、まさに「地獄の釜の蓋が開いた」状態だった。


 2月のカットオーバーに向けた最終開発フェーズ。連日の徹夜、飛び交う怒号、増え続けるバグ報告書。

 開発ルームの空気は淀みきり、換気扇もサレンダーするほどの二酸化炭素濃度だ。ホワイトボードは修正事項の赤い文字で埋め尽くされ、もはや余白など1ミリもない。

 プロジェクト管理ツールのチケットは消化したそばから細胞分裂のように増殖し、バグ管理表の行数は表計算ソフトの上限を試す勢いだ。

 床にはカロリーメイトの空き箱と、栄養ドリンクの空き瓶が死屍累々のごとく転がっていた。

 誰もが血走った目でモニターを睨み、キーボードを叩く乾いた音だけが、BGMのように鳴り響く。


 そんな追い込みの最中、奇跡的にまともな時間(といっても20時だが)で上がれた夜のことだった。


「……井伊さん。少し時間ある?」


 ボロボロのコートを羽織って帰り支度をしていた俺に、優が声をかけてきた。

 その表情は、いつになく真剣だ。

 眉間に深い皺が刻まれ、瞳には決死の覚悟のような色が宿っている。

 何か重大なバグでも見つかったのか。それとも、また仕様変更の悪夢か。

 俺が身構え、鞄をまた置こうとしたその時――。


 彼女はドン、と分厚いクリアファイルを俺のデスクに置いた。

 その重厚な音に、周囲のSEがビクリと反応する。


『Xmas Joint Operation Plan v1.0』


 表紙には、明朝体でデカデカとそう書かれていた。

 右下には『|Confidential《関係者外秘》』の朱印まで押してある。

 まるで国防省の軍事機密文書だ。


「……なんだこれ。軍事作戦か何かか?」

「読んで字の如くよ。クリスマス共同作戦計画書。バージョン1.0」

「クリスマス……?」


 俺は唖然として、恐る恐るページをめくった。

 

 1ページ目。

 『作戦目的:聖夜における最大幸福量(マックス・ハピネス)の達成』

 『作戦概要:本計画は、限られた時間的リソース(4時間)の中で、パートナー双方の満足度を最大化するためのロジスティクス計画である』


 2ページ目。

 『作戦領域:六本木〜麻布エリア』

 『脅威レベル:警戒色(クリスマス当日のため、一般人の混雑およびカップルによる占有率増大が予想される)』


 3ページ目。

 『詳細タイムスケジュール』


 そこには、分単位のスケジュールがびっしりと記載されていた。


 18:00 C地点(六本木交差点アマンド前)にてランデブー。

 18:15 移動開始。経路αを採用(混雑率予測マップ参照。経路βはカップル遭遇率が高く、歩行速度低下のリスクがあるため回避)。

 18:30 イルミネーション鑑賞。滞在時間は15分(光量と気温の相関関数より算出。これ以上の滞在は寒冷による体調悪化リスクが増大する)。

 19:00 ディナー。予約番号X-204。コース料理の提供間隔は平均12分と想定。

 20:45 徒歩にてバーへ移動(食後の血糖値上昇を抑制するための運動)。

 21:00 カクテル2杯相当のアルコール摂取(ほろ酔いレベルを維持し、泥酔による失言リスクを制御)。


 4ページ目。

 『会話デッキ・リスト(Conversation Topics)』

 ・トピックA:お互いの幼少期の思い出(共感性向上)

 ・トピックB:将来のキャリアプランについて(価値観のすり合わせ)

 ・トピックC:最近の技術トレンドへの考察(知的刺激の提供)

 ※禁止トピック:現在のプロジェクトの進捗、上司の悪口、バグの未解決件数。


「……なんだこれ」


 俺は絶句した。

 さらにページをめくると、別添資料として『当日の気温推移グラフ』『風速による体感温度補正表』『摂取カロリー試算表』まで付いている。


 極めつけは最後のページだ。

 『緊急事態対応マニュアル(Emergency Protocol)』

 ・プランA:雨天時は地下通路ルートへ変更。

 ・プランB:予約店がダブルブッキング等の過失を起こした場合、直ちに第二候補(予備店A)へタクシーで移動。

 ・プランC:パートナーの体調不良時は、最短ルートで撤退する。


「……仕事かよ!」

「何か不満でも? これを作成するために、私は過去10年間の気象データ、交通渋滞データ、および当該エリアの店舗混雑予測を全て変数として組み込んだのよ。文字通りの最適解オプティマル・ソリューションだわ」


 優は胸を張って言った。

 その顔には、一点の曇りもない自信が満ちている。

 彼女にとって、デートもまた一つの「プロジェクト」なのだ。

 失敗が許されない、完遂すべきミッション。変数(リスク)を徹底的に排除し、論理的に導き出された正解のルート。


「遊びに最適解もクソもあるかよ。デートってのは、もっとこう、行き当たりばったりを楽しむもんだろ。『あ、この店良さそう』とか言って入ったりさ」

「非合理的ね。行き当たりばったりで店が満席だった場合どうするの? 寒空の下で30分以上待機するリスクがあるわ。その間の体温低下、およびモチベーションの低下は、作戦遂行に重大な支障をきたす」

「だからって、風速まで計算に入れるか普通」

「ビル風の影響を甘く見ないで。スカート着用時の体感温度は、風速1mにつき1度下がるのよ。ホッカイロの貼る位置までシミュレーション済みだわ」

「……ホッカイロの位置まで」


 俺は深い溜息をついて、その分厚いファイルを閉じた。

 呆れる。

 本当に、心底呆れる。

 だが、同時に胸の奥が妙に暖かくなるのも感じていた。


 彼女は、この完璧な計画書をいつ作ったんだろう。

 俺たちが血眼になってバグを潰している間、彼女はさらに上のレイヤーで、西園寺マネージャーへの報告資料や来期の予算計画を作っていたはずだ。睡眠時間だって削っているだろうに。

 そんな激務の合間を縫って、店の予約を取り、混雑予測を調べ、分刻みのスケジュールを組んで……。


 その労力は、そのまま彼女の「想いの重さ」だ。

 不器用で、論理的すぎて、でも真っ直ぐな。


「……で、この作戦の『パートナー』に、俺が選ばれたわけだ」

「当然でしょう。現在、私のプライベート時間を共有する権限(ロール)を持っているのは、貴方だけよ。……他に、こんな面倒な仕様書に付き合ってくれる物好き、いないし」


 彼女は最後の方を小声で付け加え、プイと顔を背けた。

 耳が赤い。

 分かっているのだ。自分がやっていることが、普通(世間一般)のデートとはかけ離れていることを。

 それでも、彼女なりに「失敗しない最高の一日」を作りたくて、こうするしかなかったのだ。


「……3月には、お前はいなくなるんだもんな」

「ええ。だから、これが今の私たちにできる、最後の共同作戦になるかもしれない」


 帰任が決まってから、彼女はどこか焦っているように見えた。

 一つでも多くの思い出(データ)を残そうとしているような。完璧な記憶として保存しようとしているような。


 俺と彼女の間にあるのは、ただの契約関係だ。

 親会社のエリートと、子会社の窓際社員。住む世界が違う二人が、期間限定で手を組んでいるだけ。

 お互いの利益のための、ドライな共犯関係。


 この関係には、明確なEOL(End Of Life)が設定されている。

 3月31日。その日が来れば、俺たちのサーバー接続は切断され、セッションは破棄される。

 でも、もし、その契約期間が終わったら。

 会社に戻って、俺はまた一人でカップ麺を啜り、彼女は本社でエリートとして活躍する。

 二人の軌道は、もう二度と交わらないかもしれない。


「分かったよ。その作戦、乗った」

「本当!? ……あ、いえ。賢明な判断ね。貴方のリソースを無駄にしないためにも、私の計画に従うのが最善よ」


 優の表情が、パッと明るくなった。

 まるで難解なコードがコンパイルを通った時のように。

 尻尾があったら、きっと残像が見えるくらいブンブン振り回しているに違いない。


「ただし、一つだけ条件がある」

「何? 予算オーバー? 大丈夫、費用は全て私の『交際費』枠で処理するから。経費計上はしないわよ」

「金の話じゃねえよ。……『作戦』中は、仕事の話はナシだ」


 俺は彼女の目を真っ直ぐに見て言った。


「上司と部下じゃなく、ただの男と女として過ごすこと。プロジェクトの進捗も、バグの件も、本社のことも忘れる。……いいな?」


 優は少し驚いた顔をして、瞬きをした。

 それから、ふわりと柔らかく笑った。

 いつもの冷徹な「佐藤チーフ」ではなく、「佐藤優」という世界でただ一人の女性として。


「……了解(ラジャー)。善処するわ」

「善処じゃダメだ。 実行しろよ? 」


 こうして、俺たちの「完璧なクリスマス」が始まるはずだった。

 この完璧な計画書(仕様書)があれば、何一つ間違いなんて起こらないはずだった。


 この時は忘れていたんだ。

 俺たち(システム屋)にとって、計画通り進むことなんかほぼ無いってことを。

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