第20話:俺が保証してやる
高校3年の1月。
国公立の二次試験を目前に控えた俺たちは、ピリピリとした空気に包まれていた。
……というのは建前で、俺、井伊幸太朗は相変わらずの「省エネ運転」を続けていた。
志望校は、そこそこの偏差値で、家からそこそこ近くて、就職率もそこそこ良い私立理系大学。
「コスパ最強」の進路を選び、指定校推薦であっさりと合格を決めていたのだ。
一方、佐藤優は違った。
彼女は東大理Ⅰを志望していた。
模試の判定はもちろんA。
学年トップの座を不動のものとし、教師たちからは「本校創設以来初の至宝」と崇められていた。
俺と彼女の「共犯関係」は、続いていた。
彼女の完璧なノートのおかげで、俺は赤点を回避し、推薦枠を確保できた。
その代わり、俺は彼女に群がる有象無象(勧誘、質問、告白)を適当にあしらい続けてきた。
卒業すれば、この関係も終わりだ。
彼女は最高峰のアカデミアへ。俺は普通のキャンパスライフへ。
住む世界が元に戻るだけだ。
そう思っていた。
あの日、中庭で「あの事件」が起きるまでは。
◇
放課後。
俺は昇降口へ向かっていた。
ふと、中庭のベンチの方から、言い争うような声が聞こえた。
「だーかーら! 俺と付き合えばいいじゃんって言ってんの!」
男の苛立った声。
見ると、隣のクラスの男子生徒が、佐藤優の腕を掴んでいた。
彼は成績優秀だが、プライドが高くて有名な奴だった。
「……離して。貴方とは論理的整合性が取れないわ」
「ハッ、お前さぁ、自分の立場分かってんの? ガリ勉で、愛想なくて、友達もいねえじゃん」
男はニヤニヤと笑いながら、佐藤を見下ろしていた。
「お前みたいな『扱いづらい女』、拾ってやるの俺くらいだぜ? 俺も東大受けるし、釣り合い取れるだろ。将来、お前が論文書いて俺が発表する、みたいなパートナーになってやってもいい」
最悪だ。
告白という名のマウント取り。
彼女の才能を自分のアクセサリーにしようとしているのが透けて見える。
そもそも受験を控えたこんな時期に?
佐藤は、無表情だった。
だが、その瞳の奥には、怯えのような色が滲んでいた。
彼女は「論理」には強いが、「悪意」には弱い。
どう切り返していいか分からず、フリーズしている。
「……私の変数(Variable)は、貴方では満たせない」
「あ? 何言ってんだよ意味わかんねーな! そういうトコが可愛くないって言ってんだよ!」
男がさらに強く腕を引いた。
佐藤が小さく悲鳴を上げる。
(……チッ)
俺は舌打ちをした。
関わるな。もう卒業だ。
余計なトラブルは「省エネ」の敵だ。
だが。
俺の足は、思考よりも先に動いていた。
「――おい」
俺は二人の間に割り込み、男の手首を掴んだ。
「痛ってぇ! ……なんだよ井伊。邪魔すんなよ」
「嫌がってんだろ。離せよ」
「はあ? 俺たちは高尚な話をしてんだよ。お前みたいな推薦組の落ちこぼれには関係ねえだろ」
男は俺を睨みつけた。
確かに、偏差値で見れば俺は雑魚だ。
だが、今の俺には、そんなことはどうでもよかった。
「高尚? 笑わせんな」
俺は冷めた目で男を見返した。
「お前、こいつの何を見てたんだ? 成績か? 将来性か? 自分の踏み台としての価値か?」
「な……」
「こいつのノート、見たことあんのか。そこにどれだけの努力と、思考と、魂が削られてるか、知ってんのかよ」
俺は知っている。
深夜まで続く計算の跡。
涙の跡で滲んだページ。
完璧に見える彼女が、どれだけボロボロになりながら、それでも前へ進もうとしているかを。
「お前みたいな薄っぺらい奴に、こいつの『隣』は務まらねえよ」
「な、なんだと……!」
「行こうぜ」
俺は男の手を振り払い、佐藤の手を引いた。
男は呆気に取られて動けない。
俺たちはそのまま、中庭を後にした。
◇
校舎裏の並木道。
俺たちは無言で歩いていた。
佐藤の手は震えていた。
「……ごめん」
しばらくして、彼女がぽつりと呟いた。
「また、貴方に処理させた。……私のノイズを」
「……別に。仕事の範囲内だろ」
俺はぶっきらぼうに答えた。
正直、心臓がバクバクしていた。
あんなカッコつけたこと言っちまった。
「お前の隣は務まらない」だって? どの口が言うんだ。
「……彼は、正しかったかもしれない」
佐藤が足を止めた。
夕日が、彼女の不安げな顔を照らしている。
「私は扱いづらい。愛想もない。ただ勉強ができるだけの、欠陥品よ。……誰も、貰い手なんていない」
彼女は自嘲気味に笑った。
その笑顔があまりにも痛々しくて。
俺は、つい、とんでもないことを口走ってしまった。
「――いるだろ、ここに。お前のことを分かってる奴なら」
え?
彼女が顔を上げる。
俺も凍りついた。
いや、違う。そうじゃない。
俺が言いたかったのは「俺はお前の価値を知ってるぞ(友人として)」という意味で……!
「あー、つまりだな。あんな奴には分からなくても、俺は分かってるってことだ。お前の価値を一番知ってるのは俺だろ?」
「……!」
「だから、その、なんだ。……売れ残りとか気にすんな。それは、俺が……保証してやる!」
俺は顔を背けた。
「いざとなったら俺が貰ってやる」なんて、口が裂けても言えなかった。
それはプロポーズだ。責任重大すぎる。俺みたいな凡人が背負える荷物じゃない。
だから咄嗟に「保証」なんて言葉に逃げたんだ。
あくまで『価値の保証』。友人としての、品質保証。
それならセーフだろ。
だが。
俺の訂正は、遅すぎたようだった。
「……そう、なの」
佐藤の声が、震えていた。
恐る恐る振り返ると。
彼女は、顔を真っ赤にして、両手で口元を覆っていた。
その瞳は、潤んでいて。
今まで見たこともないような、熱烈な光を宿していた。
「……分かったわ。つまり、貴方が私の『貰い手』になってくれるということね……!?」
は?
いや待て。
飛躍しすぎだ。
俺は「価値を保証する」と言っただけで……。
「最適解……!」
彼女は叫んだ。
「そうよ。なぜ気づかなかったの。私の思考パターン、行動原理、その全てを理解し、補完してくれる存在。それは、もう貴方しかいないじゃない!」
「ちょ、待て!」
「契約更新ね。いいえ、これは……『終身契約』の申し込みと受け取っていいのよね?」
彼女が一歩詰め寄ってくる。
圧がすごい。
天才の脳内回路が暴走して、物凄い速度で未来予想図を描き始めているのが分かる。
「待て! 俺はただ、あいつがムカついたから!」
「照れなくていいわ。……ふふ、嬉しい。貴方の入出力ポートは、私専用ということね」
聞いてない。
俺の言葉なんて、今の彼女には届かない。
彼女は俺の手をぎゅっと握り、うっとりと呟いた。
「決めたわ。……貴方の行く大学、どこ?」
「は? 令和大の理工学部だけど……」
「偏差値55。私の志望校との偏差値差は約20。……誤差ね」
「誤差じゃねえよ!」
「行くわ。私もそこへ」
……はい?
「東大なんてどうでもいい。貴方と同じ環境に移行する。それが、私たちの終身契約の第一歩よ!」
「バカ言え!」
俺は咄嗟に怒鳴っていた。
東大A判定を蹴って、俺と同じ中堅私大に来るだと?
国家レベルの損失だろ!
「……なぜ? 私たちはペアで機能するユニットでしょう?」
「だからこそだよ! いいか、よく聞け」
俺は彼女の肩を掴んだ。
ここで止めなきゃ、俺は一生後悔する。
「お前は東大に行け。最高の環境で、最高の知識を身につけろ」
「でも……」
「俺たちは『全体最適』を目指すんだろ? お前が俺のレベルまで落ちてどうする。それは損失だ。お前が高みに行って、さらに強力な武器(知識・権力・コネ)を手に入れる。俺は別の場所で、地盤を固める。……それが、将来的に最強のユニットを作るための『分散投資』だろ!」
苦し紛れの屁理屈だった。
だが、優の瞳孔が開いた。
「分散投資……! そうか、局所的な同調よりも、リソースの広域展開によるリスクヘッジと最大化を目指す……!」
「そ、そうだ! だからお前は予定通り東大へ行け。俺たちは離れ離れになるんじゃない。別々の場所で、最強になるための準備をする期間だ」
俺は強く言った。
「俺が保証した価値を、もっと磨いてこい。……その時まで、契約は中断だ」
彼女は、しばらく俺を見つめていたが。
やがて、深く、満足げに頷いた。
「分かったわ。貴方の戦略的判断に従う」
「おう、そうしてくれ」
「私は最高峰を征服してくる。貴方は貴方のフィールドを制圧して。……そして数年後、私たちは再結集し、世界を最適化しましょう」
彼女は俺の手を、痛いほど強く握りしめた。
こうして、国家規模の損失は回避された。
佐藤優は予定通り最高峰のアカデミアへ。
俺は適当な私大へ。
物理的な距離は離れた。
だが、この日の「勘違い」と「無茶な説得」によって、俺たちの見えないホットラインは、より強固なものとして接続されてしまったのだ。
そう。
数年後、親会社のエリート開発者と、子会社の適当社員として、運命の再会を果たすその日まで――。




