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氷の女帝は、システム(恋)にバグが多い。 〜論理武装した元同級生上司を、社畜の俺が物理的にデバッグする話〜  作者: おこげ。


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第2話:旦那様(候補)

 18時30分。

 会場は、会社近くの安居酒屋。

 壁にはビールのポスターが貼られ、サラリーマンたちの喧騒が響く、いつもの店だ。

 その一角に、不似合いな華が一輪。


「……」


 佐藤は、場違いなほど美しい所作でウーロン茶を飲んでいた。

 周りの社員はビールで乾杯しているが、彼女だけはソフトドリンク。

 テーブルに置かれた唐揚げや枝豆を、まるで未知の生物でも観察するかのようにまじまじと見つめている。箸でつついて、固さや形状を確かめているようだ。

 恐る恐る口に運び、小さく咀嚼する。……うんうん、と何度か頷いている。

 どうやら毒ではない上に、味も悪くないと判断したらしい。

 それでも、誰も彼女に話しかけられない。「氷の女帝」オーラが強すぎて、半径1メートルが真空地帯になっている。


 ……やっぱ、浮いてるなあ。


 俺は一番遠くの下座(入り口付近)で、ハイボールをちびちび飲んだり、店員さんへの注文をしたりしながら、こっそりと彼女を観察していた。


 圧倒的に優秀で、綺麗で、でも致命的に不器用で、孤高。

 まあ、俺には関係ないことだ。

 今日はこのまま、空気のように気配を消して、一次会でサクッと帰ろう。


 微妙な空気が流れる中、幹事の若手が意を決したように立ち上がった。


「え、えー! それでは、本日の主賓である佐藤チーフから、一言お言葉をいただきたいと思います! 佐藤チーフ、お願いします!」


 パチパチパチ……と疎らな拍手が起こる。

 佐藤はすぅ、と立ち上がった。

 会場が少し静まる。みんな注目している。


「本日は、このような場を設けていただき感謝します。この時間は、業務上のリレーション強化および、メンバー間の親睦を深めることを目的とした『パラメータ調整』の場だと認識しています。皆様、有益な情報交換を期待します。……以上」


 シン……。


 せっかく温まりかけていた場の空気が、一瞬で氷点下まで冷却された。

 社員たちは顔を見合わせ、引きつった笑いで視線を逸らす。


「あ、あはは……真面目だなあ佐藤さんは! さ、飲みましょう! 酒! 酒持ってこい!」


 マネージャーは冷や汗を拭いながら、なみなみと注がれた日本酒を無理やり差し出した。

 佐藤はそれを、実験器具でも見るような目で見つめた。


「……アルコール度数15%。リスク要因ですが……」

「まあまあ! 『酒は百薬の長』とも言いますし! アルコールは心の壁(ファイアウォール)を一時的に解除して、コミュニケーションをスムーズにする潤滑油ですよ!」


 適当なことを言うマネージャーだが、その理屈は佐藤に刺さったらしい。


「なるほど。……円滑な通信プロトコルの確立には、一時的なセキュリティレベルの引き下げが必要ということですね。一理あります」


 佐藤は覚悟を決めたように、お猪口を口に運んだ。

 クイクイ、と飲み干す。

 

「……ん?」


 佐藤が目を丸くした。


「……意外と、美味しい……? フルーティな香気成分が検出されます」

「でしょう! いい酒なんですよこれ! ささ、もう一杯!」


 勧められるままに、佐藤は手元のお猪口をクイクイと空けていく。

 そのペースは予想以上に早かった。

 そして、数分もしないうちに――異変が起きた。


「……あら? 地震ですか?」


 ガクッ、と彼女の頭が揺れた。

 地震では無い。彼女の方が揺れているだけだ。


「……ふぅ。……なんだか、ふわふわします……」


 アイツがとろんとした目で呟き、へにゃりと微笑んだ。

 その瞬間、彼女の白い頬が、ほんのりと桃色に染まる。

 ピンと張り詰めていた空気が、ふにゃりと緩んだ。システムエラーの警告音が鳴り響く中、強制終了したような状態だ。


 マネージャーはすでに出来上がっているのか、絡み酒のモードに入っていた。


「休日は何されてるんです? やっぱり、ヨガとかジムとか?」

「あ……いえぇ……特には、ないです……。強いて言えばぁ……資格試験の勉強とかぁ……」

「うわあ、意識高い! じゃあ、彼氏とかは? 佐藤さんなら選び放題でしょ?」


 おい、やめろマネージャー。

 その質問はセクハラだし、地雷だぞ。

 俺がヒヤヒヤしながら聞き耳を立てていると、アイツは少しだけ考え込み、ポツリと言った。


「……ターゲットなら、います」

「おっ! どんな人です!?」

「昔からの付き合いです。向上心がなくて、いつも適当で……見ていてイライラする人です」

「えっ」


(……意外だ)


 俺は心の中で毒づく手を止めた。

 あの鉄仮面の佐藤に、そこまで感情を揺さぶられる相手がいるなんて。

 どんなエリートだろうか。外資系のコンサルか、それとも大学時代の同期の研究者か。

 いずれにせよ、俺とは住む世界が違う人間だろう。


「……でも」


 佐藤がお猪口の淵を指でなぞりながら、ぽつりとこぼす。


「……私がいないと、ダメな人だから」

「はあ、そういうもんですか」

「ええ。それに……世界で唯一、私に『勝てる』のに、わざと負けてくれた……優しい人だから」


 マネージャーが目を白黒させる。


「そ、それって好きな人の話ですよね? 嫌いな人じゃなくて?」

「ええ。イライラするほど、目が離せないんです。……私が管理マネジメントしてあげないと、その人はダメになってしまうので」


 ……だめだ、こいつ。完全に出来上がってやがる。

 


「お、いける口じゃないっすか! ささ、もう一杯!」

「ふふ。じゃあ、いただきます」


 ……あれ?

 なんか、キャラ変わってないか?

 俺が怪訝に思っていると、佐藤はゆらりと立ち上がった。


「少し、席を移動しても?」

「え? ああ、どうぞどうぞ! どこの席でも!」


 アイツの視線が、俺を射抜く。

 え、嘘。こっち来る?

 俺はとっさに目を逸らしたが、もう遅い。

 カツ、カツ、カツ。

 

 彼女が歩くと、まるでモーゼの十戒のように、座っていた社員たちがのけぞって道を開けていく。

 誰も彼女の「進路」を妨害しようとはしない。いや、できないのだ。

 圧倒的なオーラと、少し千鳥足な不安定さが、周囲を威圧していた。

 足音は確実に近づいてきて――


 トン。

 俺の隣に、佐藤が座った。

 甘い香りが鼻をくすぐる。距離が近い。マジで、近い。

 そこを占拠していたはずの高橋(バカ)はどこに行った。


「……みーつけた」


 とろんとした瞳が、至近距離で俺を見つめていた。

 さっきまでの氷のような冷徹さはどこへやら。

 今の彼女は、なんていうか……無防備だ。


「……どうも、お久しぶりです、佐藤さん」


 俺は敬語でバリアを張る。


「偶然ですね、こんなところで会うなんて」

「ふふ、偶然じゃないわ」

「へ?」


 佐藤は首を振ると、俺のグラスに自分のお猪口をコツンと当てた。


「なかなか迎えにこないから、私から来ちゃった」


 周囲の空気が止まる。

 同僚たちが「え?」「知り合い?」「井伊とお前、どういう関係?」とざわつき始める。


 やばい。公私混同だ。いや、今は仕事中じゃないから、私私混同?

 私私なら混同してないのか?

 こんな訳のわからないことに頭を使ってるあたり、俺も酔いが回っている。


 こうなると考えても無駄だ。

 口から勝手に言葉が出てくるだけ。


「あー、いや! 高校が同じだっただけで、その、深い意味はなくてですね!」

「深くないの?」

「いいえ? いや、はい? いや、どっちにしても深い意味はないやろ」

「ひどい……。私たちは、『統合(マージ)』する予定の仲でしょう?」


 ぶっ!!

 俺は手に持っていたハイボールを周囲に撒き散らすところだった。


 ――マージ? 統合? マジ、何の話だ。


「ちょ、佐藤さん? 飲み過ぎですよ、水もらいます?」

「酔ってないわ。もう、分かるでしょ」


 いや、分かるか!

 完全に酔っ払いの理屈だ。


 佐藤は俺の肩に、こてん、と頭を乗せた。

 柔らかい髪が頬に触れる。

 周囲のざわつきが、悲鳴に近い「えええええ!?」というどよめきに変わる。


「私ね、ずっと考えていたの。 その……結婚とかして、井伊優(E.U.)になったら、最強になれると思うの」

 彼女は俺の耳元に顔を寄せ、熱っぽい吐息交じりに囁いた。

 周囲には聞こえない、二人だけの秘密の共有。

 ……そう思った、次の瞬間。


「あなたは私の、旦那様(候補)なんだから」


 その言葉だけは、なぜか店内のBGMが途切れたタイミングと重なり、はっきりと全員の耳に届いてしまった。


 ――カタタン。

 誰かの箸が落ちる音がした。

 その直後。


「「「えええええええええ!?!?」」」


 絶叫が、店内に響き渡った。

 コイツだけは満足げに微笑んで、俺の腕にぎゅっとしがみついている。

 挿絵(By みてみん)


「逃がさないわよ、私の幸太朗くん」


 俺は天井を仰いだ。

 終わった。

 俺の「E加減」な、平穏な子会社ライフが、音を立てて崩れ去った。


 ――こうして。

 俺(E加減人生)と、彼女(S級エリート)の、バグだらけの統合プロジェクトが幕を開けたのである。


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