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氷の女帝は、システム(恋)にバグが多い。 〜論理武装した元同級生上司を、社畜の俺が物理的にデバッグする話〜  作者: おこげ。


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第18話:愚行


 あの日、図書室で変なスイッチを入れてしまってから、俺の高校生活はどうなったか。

 結論から言えば、意外にも「平和」だった。


 俺と佐藤優はクラスが違ったし、俺が徹底して気配を消す「省エネモード」に移行したからだ。

 校内ですれ違うことはあっても、会話はない。

 彼女は相変わらず孤高の天才として君臨し、俺はそこそこの成績でそこそこのポジションを維持する、ただのモブA。

 

 そうして、何事もなく1年が過ぎた。

 問題は、2年に進級した春に起きた。


 俺たちの高校では、2年から文系・理系の選択に加え、成績上位者を集めた「特進クラス」が編成される。

 俺は「E加減」を信条に生きていたが、それは「落ちこぼれる」ことを意味しない。

 

 「最小限の努力で、最大限の評価を得る」

 

 そのコスパ重視のスタンスで、要領よくテストの点数を稼いでいた俺は、うっかり成績上位をキープしてしまっていた。

 その結果――。


「……」

「……」


 2年A組。理系特進クラス。

 俺の席の左斜め前方には、あの佐藤優が鎮座していた。


 ――最悪だ。

 特進クラスなんて、意識高い系の巣窟だ。

 課題は多いし、課外授業はあるし、何よりあの「天敵」と同じ空間にいなきゃならない。

 俺は初日から絶望し、窓際の席で死んだ魚のような目をしていた。


 そして。

 その絶望は、すぐに「恐怖」へと変わった。


「……」


 授業以外の時間は、大抵の場合視線を感じる。

 休み時間、移動教室、ホームルーム。

 ふと顔を上げると、かなりの確率で佐藤優と目が合うのだ。


 彼女は話しかけてくるわけではない。

 その瞳は、恋する乙女の熱っぽいそれではない。

 顕微鏡でプレパラートを覗き込む科学者の、無機質で探究心に満ちた目だ。


 なんなんだよ、マジで――。


 クラスメイトになったことで、彼女の「観測」は露骨さを増していた。

 全てが彼女のデータベースに記録されているような、薄気味悪さ。


 逃げたい。

 切実にクラス替えをやり直したい。

 

 ◇


 そんなある日のホームルーム。

 9月の文化祭に向けた、クラス委員(実行委員)の選出が行われていた。


「えー、特進クラスとはいえ、行事は全員参加だ。誰か立候補はいないか?」


 担任の声が虚しく響く。

 難関大学の受験を目指して勉強に忙しいこのクラスの連中にとって、文化祭の準備なんて「時間の無駄」でしかない。

 全員が視線を落とし、沈黙を守っている。


 そんな膠着状態を破ったのは、空気の読めない男子生徒だった。


「先生。佐藤さんがいいと思います」


 名指しされた瞬間、教室の空気が変わった。

 

「佐藤さんなら成績トップだし、事務処理能力も高そうだし。適任じゃないですか?」

「あー、確かに」

「賛成。佐藤さんなら安心だわ」


 パラパラと拍手が起こる。

 これは信頼ではない。「生贄」の選定だ。

 面倒な仕事は、能力のある人間に押し付けておけばいい。

 自分たちは勉強に集中したいから。

 そんな、エリート予備軍特有の冷徹な合理的判断。


 佐藤優は、席で硬直していた。

 彼女は天才だが、それは学力においてのみだ。

 対人スキルは壊滅的だし、何より「No」と言えない不器用さがある。


「あ、私は……その……」


 彼女の唇が震えている。

 断りたいのに、断る論理が見つからない。

 期待されたら応えなければならない。

 完璧でなければならない。

 そんな強迫観念が、彼女を縛り付けているように見えた。


 ……チッ。


 俺は舌打ちをした。

 見ていられなかった。

 ここで彼女が引き受ければ、文化祭までの数ヶ月、彼女は一人で全ての雑務を背負い込むことになる。

 クラス全員分の装飾作りとか、予算管理とか、そういう非生産的な作業を、生真面目にやり遂げてしまうだろう。


 自分でも、どうかしてると思った。

 関わるな。

 目立つな。

 凡人はモブに徹しろ。


 脳内の「危機管理委員会」が警報を鳴らしているのに、俺の右手は勝手に挙がっていた。

「あー、先生」


 気だるげな声を出した。

 教室中の「プレパラート」たちが、一斉に俺を見る。


「誰もいねーなら、俺がやりますよ」

「! 井伊がか? 珍しいな」

「ただし」


 俺は人差し指を立てて、条件を出した。


「俺は受験勉強の邪魔にならない範囲でしかやりません。『適当』にこなします。だから、完璧なクオリティとか求めないでくださいね。それでいいなら」


 教室がざわついた。

 「適当宣言?」

 「マジかこいつ」


 だが、本音では誰もやりたくないのだ。

 クオリティなんてどうでもいい。

 生贄が必要なだけなのだ。


「……まあ、本来は行事に手を抜くのは良くないが、誰もいないよりはマシか」

「俺はいいぜー。やってくれるなら文句言わねえし」

「私も。佐藤さんに無理させるよりは……」


 こうして。

 俺は、自ら「クラス委員」という面倒事を引き受けることになった。


(……はあ)


 俺は小さくため息をついた。

 馬鹿なことをした。

 これこそ、俺の「省エネ主義」に反する最大の愚行だ。


 佐藤優は、席で呆然と俺を見ていた。


 ◇


 放課後。

 誰もいなくなった教室で、俺は黒板を消していた。

 最初の仕事だ。

 さっさと終わらせて帰ろうとした時、背後から声をかけられた。


「……待って」


 振り返ると、佐藤優が立っていた。

 夕日が彼女の長い黒髪を透かし、神々しいほどのオーラを放っている。


「……なぜ?」


 彼女は一歩、俺に近づいた。


「なぜ、立候補なんてしたの? 貴方には何のリターンもないはずよ。リスクに対する効果が合わないわ」

「……うるせーな。寝覚めが悪かっただけだよ」

「寝覚め……? 睡眠の質の問題?」

「バカか! 比喩だわ! あそこで無理やりやらされるお前を見てんのが、なんか不快だったんだよ」


 俺は持っていた黒板消しを置いた。


「お前なら、任されたら120点目指して全力でやっちまうだろ。受験勉強も完璧にして、委員会も完璧にして。……そんなん、パンクするに決まってる」

「……」

「天才だからって、雑用まで完璧にこなす必要はねえだろ。お前はそこで、高尚な数式と睨めっこしてんのがお似合いだ。そういう『誰がやってもできる仕事』は、俺みたいなのが『適当』に回せばいいんだよ」


 それは、俺の本心だった。

 彼女の才能への、俺なりの敬意。

 そして、それを利用しようとする連中への苛立ち。


 俺は、カバンを肩に担いだ。


「そういうわけだから、気にすんな。……ま、適当にやるよ」


 じゃあな、と手を振って教室を出ようとした。

 だが、彼女は動かなかった。

 その瞳に、奇妙な熱が灯るのを俺は見た。


「……分かったわ」


 彼女は、まるで難解な定理の証明を終えた後のように、深く頷いた。


「貴方は『全体最適』を目指したのね」

「……はい?」

「私という希少なリソースを、単純作業で浪費させるのはクラス全体の損失になる。だから、自らのリソースを低コストで提供することで、クラス全体の生産性を最大化した……。つまり、貴方は私の価値(バリュー)を守るために、汚れ役を引き受けた」


 ……待て。

 話が飛躍しすぎだ。

 俺はただ、見てられなかっただけだぞ。


「……あのな、」

「ありがとう、井伊くん」


 彼女は、初めて俺に微笑んだ。

 それは、周囲を凍りつかせる「氷の女帝」の笑みではなかった。

 春の日差しのように柔らかく、そしてどこか誇らしげな、少女の笑みだった。


「貴方の『E(いい)加減』……その深淵が、少しだけ見えた気がするわ」


 その笑顔を見て。

 俺の弁明の言葉は、喉の奥で消滅した。


 否定できない。

 この圧倒的な「肯定」の前では、どんな真実も無粋なノイズにしかならない気がした。


 こうして、高校2年の春。

 俺は不本意ながら、彼女にとっての「唯一の理解者」という誤解の塔を、さらに高く積み上げてしまったのだった。


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