第15話:終電のあとで
9月に入り、俺たちが進めていた『会計営業システム・リプレイス案件』はいよいよ大詰めを迎えていた。
詳細設計、製造、単体テスト、結合テスト。
それらの工程を、佐藤優という超高性能な牽引車に引きずられる形で、なんとかスケジュール通り(一部前倒し)で完遂したのだ。
そして来週からは、いよいよ『総合テスト』フェーズに入る。
新旧システムのデータを突き合わせ、業務シナリオ通りに動くかを確認する、まさに総力戦だ。
「というわけで! 今日は総合テストに向けた決起集会を行う!」
定時の18時を過ぎたオフィスで、マネージャーが高らかに宣言した。
場所は、会社から徒歩5分の場所にある居酒屋。
ただし、ただの居酒屋ではない。
「なんで……卓球なんですか?」
俺は目の前の光景に呆れながら呟いた。
店の中央には、どんと巨大な卓球台が鎮座している。
『食べて飲んで、ラリーで絆を深めよう!』というキャッチコピーが踊る、いわゆる卓球居酒屋だ。
「以前から気になっていたんだよ! スポーツの秋だしな! さあみんな、今日は無礼講だ、飲んで打ってストレスを発散してくれ!」
マネージャーは既にビールを片手に出来上がっている。
プロジェクトメンバーたちも、激務の合間の息抜きとあって、意外とノリノリでラケットを握っていた。
「……非合理的ね」
俺の隣で、冷ややかな声がした。
佐藤優だ。
今日は珍しく、パンツスーツではなくオフィスカジュアルな装いだが、その周囲に漂う絶対零度のオーラは変わらない。
「食事中に運動をするなんて、消化に悪いわ。それに、球技は変数が多すぎてカオスよ」
「まあまあ。たまには体動かすのも悪くないだろ。ほら、ウーロン茶」
「……ありがとう」
俺が渡したグラスを、彼女は両手で大事そうに受け取る。
プロジェクト開始当初は、彼女が飲み会に来るだけで空気が凍りついていたが、半年も経てばみんな慣れたものだ。
特に、俺という「翻訳機兼クッション」が間に挟まることで、優と現場のメンバーとの会話も成立するようになっていた。
「佐藤さーん! 井伊先輩! ダブルスやりましょうよ!」
声をかけてきたのは、今年入ったばかりの若手コンビ、田中と鈴木だ。
二人とも大学時代はテニスサークルだったらしく、ラケット回しが様になっている。
「ほら、井伊さんも試験管理者なんだから出てくださいよ!」
「えー……俺はパス。腰が痛い」
「またまた! さっきまで普通に歩いてたじゃないですか! 佐藤さんも是非!」
「私は……」
優が断ろうとした瞬間、田中がニヤリと笑った。
「まさか、天下のグランツのエリート様が、僕らに負けるのが怖いんですか?」
その言葉に、優の眉がピクリと動いた。
カチャン、とグラスを置く音が響く。
「……面白いわね。その挑戦、受けて立つわ」
「お、おい優!? お前運動神経……」
俺が止める間もなく、彼女は立ち上がっていた。
やる気だ。この負けず嫌いは、一度火がつくと止まらない。
俺は諦めてため息をつき、ラケットを手に取った。
◇
「サーブ行きます!」
田中の放ったサーブは、鋭い回転がかかっていた。
だが、優は動じない。
彼女はメガネの位置を直しながら、ブツブツと何かを呟いていた。
「ボールの初速、約10m/s。回転数、毎秒30回転。空気抵抗とマグヌス効果を考慮……落下地点は座標(X,Y)……」
怖い。
物理演算している。
彼女の脳内では、完璧なシミュレーションが行われているに違いない。
優はラケットを構え、ボールの軌道上の「最適解」と思われるポイントへ踏み込んだ。
「ここよ!」
ブンッ!
鋭いスイングが空を切った。
ボールはラケットの縁にかすりもせず、虚しく通り過ぎていった。
「……え?」
優がポカンとしている間に、ボールは後ろの壁に当たって跳ね返った。
沈黙。
そして、若手たちの爆笑。
「あははは! 佐藤さん、空振りっすか!」
「計算通りじゃなかったんですかー?」
優の顔が真っ赤に染まる。
わなわなと肩を震わせ、俺の方を振り返った。
「な、なぜ!? 計算は完璧だったはずよ! なのに、身体が追いつかなかった……! ラグ(遅延)が発生したわ!」
「いや、それは単なる運動不足だろ」
俺は苦笑した。
頭脳はスパコンでも、ハードウェア(肉体)はポンコツ。それが佐藤優という生き物だ。
しかし、このまま引き下がる彼女ではない。
「もう一本! 次こそはロジックでねじ伏せるわ!」
だが、結果は惨敗だった。
彼女が計算すればするほど、身体は硬直し、反応が遅れる。
あっという間に点差は開き、0-5。
1点も取れないまま5点のビハインド。
「へへっ、楽勝っすね。所詮は頭でっかちのエリートってことですか」
田中が調子に乗って煽る。
優は唇を噛み締め、ラケットを握る手が震えていた。
悔し涙が滲んでいる。
……はぁ。
しょうがねえな。
俺は優の肩をポンと叩いた。
「優、どいてろ」
「え……でも、私が返さないと……」
「お前の計算は正しいよ。でもな、卓球は計算じゃねえんだ」
俺は前に出た。
田中が勝利を確信したスマッシュを打ち込んでくる。
速い。
だが。
――そこだ。
俺は、適当にラケットを出した。
計算なんてしていない。
ただ、「なんとなくこの辺に来そうだな」という勘と、高校時代にゲーセンで鍛えたエアホッケーの反射神経だけだ。
カコン、と乾いた音がして、ボールは相手コートのギリギリのコースへ吸い込まれた。
「は……?」
田中が反応できずに立ち尽くす。
まぐれだと思ったのだろう。
だが、そこからの俺は止まらなかった。
「ほい」
「うおっ!?」
「そらよ」
「嘘だろ、なんでそんな変な体勢から!?」
俺のプレイスタイルに、型はない。
脱力しきった構えから、予測不能な軌道で打ち返す。
いわゆる「E加減」打法だ。
相手がセオリー通りに動くほど、俺の適当な動きには翻弄される。
「すごい……」
後ろで見ていた優が呟いた。
「幸太朗くん、今の打球の回転数は? 入射角は?」
「知らん。気分」
「……信じられない。完全にロジックを無視しているわ。でも……なぜか上手くいっている」
俺たちは怒涛の追い上げを見せ、ついに9-9のデュースに持ち込んだ。
最後の一球。
田中が焦って甘い球を上げてきた。
「優、決めろ!」
「えっ、む、無理よ! 私には……」
「計算すんな! 目をつぶってラケット振れば当たる!」
「そ、そんな非合理的な……!」
優は半泣きになりながら、それでも俺の言葉通りに、ヤケクソ気味にラケットを振った。
「ええいっ!」
カッ!
ラケットの角に当たったボールは、物理法則を無視した不規則な変化をし、ネットに当たってポトリと相手コートに落ちた。
「……あ」
静寂。
そして。
「勝ったぁぁぁぁぁ!!」
俺は思わずガッツポーズをした。
優も、信じられないという顔で自分のラケットを見つめ、それから俺を見て、パァっと顔を輝かせた。
「か、勝った……! 私、勝ったわ!」
「うむ。 よくやった!」
興奮した優が、思わず俺に抱きついてきた。
甘い匂いが鼻をくすぐる。
柔らかい感触にドキッとしたのも束の間、周囲の「ヒューヒュー!」という冷やかしの声で、彼女はハッと我に返った。
「っ……! し、失礼しました! 取り乱しました!」
真っ赤になって離れる優。
その可愛らしい様子に、若手たちも「負けましたー!」と清々しく笑っていた。
いつの間にか、優とメンバーの間にあった壁は、少しだけ低くなっている気がした。
◇
宴もたけなわ。
二次会へ流れるメンバーを見送り、俺と優は終電の時間を確認した。
「「あっ」」
スマホを見た俺たちの声が重なった。
現在の時刻、日付変わって0時35分。
盛り上がりすぎて、終電を逃していた。
「……どうする? 幸太朗くん」
「どうするって……タクシーで帰るしかねえだろ。経費で落ちるかなこれ」
「さすがに厳しいわね。以前の飲み会のプール金からちょっといただくことにしましょう」
「さすがチーフ、話がわかる」
俺たちは通りに出て、流しのタクシーを捕まえた。
先に優を乗せてしまおうと思って方面を聞いてみたら……なんとウチに帰る途中に優の家があることがわかったのだった。
「じゃあ、途中まで相乗りでいいか」
「ええ。……その方が、合理的ね」
深夜のタクシー。
後部座席に二人きり。
窓の外を流れる都会の夜景を眺めながら、俺たちの物語は、過去へと遡っていくことになる。




