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氷の女帝は、システム(恋)にバグが多い。 〜論理武装した元同級生上司を、社畜の俺が物理的にデバッグする話〜  作者: おこげ。


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第11話:完璧


 検証環境のトラブルを乗り越え、プロジェクトは驚くほど順調に軌道に乗った。

 佐藤の完璧な設計と、俺の泥臭い地雷処理。

 「空と地面」のタッグが機能し始め、遅延していたスケジュールは巻き返され、むしろ前倒しで進行していた。

 プロジェクトメンバーたちも、佐藤の厳しさには閉口しつつも、その圧倒的な実力と、たまに見せる(俺への)デレを見て、少しずつ心を開き始めていた。


 平和だ。

 あまりに順調すぎて、怖いくらいだ。


 そんなある日の朝礼でのこと。


「今日は午後から、本社から視察団がいらっしゃる。全員、発言には注意してくれ。デスクの上も片付けておけよ」


 部長が緊張した面持ちで告げた。

 親会社『グランツ』の本部から、我々のプロジェクトの進捗確認のために、幹部候補の偉い人たちが来るらしい。


「へーい」

「めんどくせぇ……」


 現場からは気のない返事が返る。どうせ偉い人の顔見せだろ、くらいの感覚だ。

 俺も、せっかく生み出したのんびりタイムのおじゃま虫の登場予告にため息をついた。


 だが、その男は、そんな緩い空気を切り裂くように現れた。


 午後2時。

 オフィスの入り口がざわついた。

 自動ドアが開き、数人の取り巻きを引き連れて、一人の男が入ってきた。


「うわ、なんだあのイケメン」

「ドラマの撮影か? ここ、ロケ地じゃないよな?」


 女性社員たちの黄色い声(と男性社員の舌打ち)を伴って現れたのは、仕立ての良い高級スーツ――どうせイタリア製かなんかだろう――に身を包んだ男だった。

 身長は180センチ超。モデルのようなスタイル。

 甘いマスクに、自信に満ち溢れた白い歯。

 歩くたびに、キラキラとした薔薇のエフェクトが見えそうなほどの「ザ・エリート」だ。年齢は30代前半といったところか。


「やあ、みなさん。お仕事中失礼しますね」


 男は爽やかに手を挙げた。

 その声はよく通るバリトンボイスで、まるで舞台役者のようだ。

 彼はオフィスの中央まで歩を進めると、一直線に佐藤の方へ視線を固定した。


「久しぶりだね、佐藤チーフ。元気そうで何よりだ」

「……」


 佐藤の顔が引きつった。

 嫌悪、警戒、そしてごく僅かな恐怖。

 彼女がそんな、取り乱したような表情を見せるのは初めてだった。


「……西園寺(さいおんじ)さん。なぜここに?」

「なぜって、視察だよ。君がグラテクで苦戦していると聞いてね。心配で見に来たんだよ」


 西園寺と呼ばれた男は、そう言って優しげに微笑んだ。

 佐藤が小さく息を飲む。

 嫌悪というよりは、畏怖に近い反応だ。


「紹介しよう。彼は西園寺玲央(れお)さん。グランツ本社の最年少シニアマネージャーであり、次期CTO候補のホープだ」


 部長が揉み手をしながら、誇らしげに紹介する。

 西園寺玲央。

 その名前は俺も聞いたことがあった。

 入社5年目で海外支社の立ち上げを成功させ、帰国後は数百億規模のプロジェクトを次々と成功させている、社内の生ける伝説だ。

 

 佐藤が新卒で入った時の直属の上司だったらしく、出世レースでは頭三つくらい抜けている「雲の上の人」だ。


 西園寺は、オフィスを見回し、軽く頷いた。


「なるほど、歴史を感じるオフィスだね。マシンリソースも限られているようだけど……その中で成果を出しているのは流石だよ、佐藤チーフ」

「……環境に依存せず成果を出すのがプロフェッショナルですから」

「相変わらずストイックだね。そういうところ、尊敬するよ」


 西園寺は、彼女の肩にポン、と手を置いた。

 セクハラではない。まるで戦友を労うような、爽やかで自然なスキンシップだ。

 だからこそ、誰も何も言えない。

 佐藤も、されるがままだ。


「――おっと、そちらの彼は?」


 西園寺の視線が、俺に向いた。

 興味本位ではない。チームメンバー全員に挨拶しようとする、人格者としての視線だ。


「あ、彼は今回のプロジェクトメンバーの井伊くんで……佐藤さんの補佐を……」

「はじめまして、西園寺です」


 彼は俺の目の前まで来ると、スッと右手を差し出した。

 あまりに自然な動作。俺は慌ててその手を握り返した。


「あ、井伊です。どうも……」

「井伊くんか。佐藤チーフは優秀だけど、少し突っ走りすぎるところがあるからね。君のような現場を分かっている人が支えてくれると、僕らとしても安心だ」


 キラキラとした笑顔で言われた。

 嫌味は一切ない。本心から「感謝」されているのが分かる。

 

 ……完敗だ。

 俺は心の中で白旗を上げた。

 こいつは、俺を「敵」として見てすらいない。「優の部下A」として、正しく認識し、正しく労ってくれている。

 その「余裕」が、何よりも俺の劣等感を刺激した。


「おい井伊! 西園寺さんのジャケットをお預かりしろ!」


 部長が飛んできた。

 俺はとっさに「あ、はい」と反応してしまう。社畜の悲しい性だ。


「あ、すまないね。ありがとう」


 西園寺は俺が受け取ったジャケットを、申し訳なさそうに、でもスマートに預けた。

 その所作一つ一つが洗練されている。

 俺は完全に「気の利くスタッフA」だった。


「優さん……じゃなかった、佐藤チーフ。この後の視察が終わったら、食事でもどうだい? 久しぶりに当時のチームで集まろうという話が出ているんだ。君もどうかな」


 西園寺は、ふと砕けた口調になり、佐藤に微笑みかけた。

 「優さん」。

 その呼び方に、俺の心臓が嫌な音を立てた。

 仕事中は「佐藤チーフ」だが、プライベートでは名前呼びなのか。

 俺ですら、まだ一度も呼んだことがないのに。


「……申し訳ありません。業務が残っていますので」

「そうか。残念だな……。無理はしないでくれよ? 君はグランツの宝なんだから」


 西園寺は本気で残念そうに眉を下げたあと、爽やかに手を振ってVIPルームへと消えていった。


 取り残された俺の手には、高級ブランドのジャケット。

 ほんのりと、高い香水の匂いがした。


「……すげえな。これが本物か」


 俺は呟いた。

 悔しさは、あいつが去ってからじわじわと湧いてきた。

 あいつは俺を無視したんじゃない。

 完璧な対応をしただけだ。

 俺が勝手に、その眩しさに目を焼かれただけだ。


 視界の端で、佐藤が俯いているのが見えた。

 彼女は一度だけ俺の方を見て、気まずそうに視線を逸らした。


 ◇


 2時間後。

 視察が終わり、西園寺たちは帰っていった。

 彼は帰り際にも「井伊くん、ジャケットありがとう。助かったよ」と爽やかに俺の肩を叩いていった。

 

 オフィスには、日常が戻ってきた。

 だが、俺の心の中には、黒いモヤがかかったままだった。


 給湯室で、俺は一人、コーヒーを淹れていた。

 そこに、佐藤が入ってきた。

 彼女は俺の横に立つと、深く頭を下げた。


「……ごめんなさい、幸太朗くん」

「あん? 何がだよ」

「あの人……西園寺さんに、気を使わせちゃって」

「別に。いい人じゃん、あいつ。エリートのお手本みたいでさ」


 俺は強がって笑った。

 佐藤は複雑そうな顔をしている。


「彼は……私の天敵、みたいな感じなの。入社以来、ずっとあの調子で。……私が、論理だけじゃ勝てなかった相手」

「へえ、お前が負けるなんて珍しいな」

「人望、政治力、立ち振る舞い……総合力で勝てないのよ。彼は『完璧』だから」


 彼女の声には、諦めのような響きがあった。

 あの「氷の女帝」が、敗北を認めている。

 それが俺には、とてつもなく面白くなかった。


 俺は淹れたてのコーヒーを彼女に渡した。


「……完璧、ねぇ。でも、なんか気に食わねえな」

「え?」

「お前を『優さん』とか呼んでたしな。……彼氏気取りかよ」


 つい、本音が漏れた。

 佐藤が驚いたように顔を上げる。


「……もしかして、妬いてるの?」

「は!? ち、ちげーよ! ただ、職場での呼称統一がなってないって指摘だ!」


 俺は慌てて誤魔化したが、顔が熱いのが自分でも分かった。

 佐藤はしばらく俺を見ていたが、ふっと小さく笑った。嬉しそうに。


「……ふふ。大丈夫よ。西園寺さんとは何もないわ。名前で呼ばれてたのも、同じチームに佐藤さんがいただけ」

「……ふーん」

「それに……私の『パートナー』は、貴方だけだもの」


 その言葉に、胸のつかえが少しだけ取れた気がした。


 西園寺の登場は、俺に強烈な劣等感を植え付けた。

 だが同時に、俺の中に「負けたくない」という、らしくない感情(バグ)を生み出したのだった。


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