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氷の女帝は、システム(恋)にバグが多い。 〜論理武装した元同級生上司を、社畜の俺が物理的にデバッグする話〜  作者: おこげ。


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第10話:物理的解決



 地下1階、サーバールーム。

 分厚いセキュリティドアをカードキーで解錠し、中に入ると、冷気が肌を刺した。

 室温20度以下に保たれたその場所は、無数のサーバーの排熱と、それを冷やすための空調ファンの轟音が支配する、巨大な冷蔵庫みたいな空間だ。


 ウィーン、ゴォォォォ……。

 赤・青・白。数多のLEDの点滅が、暗闇の中で不規則に明滅している。

 まさにデジタルの心臓部。


 こんな轟音の閉鎖空間じゃなけりゃ、まるでイルミネーションなんだがな。


 だが、俺が用があるのは、そんな最新鋭のサーバーたちではない。

 入り口横にある、ガラス張りの管理室だ。


「どもー、田中さん。元気? まだ生きてる?」


 俺は小窓をノックした。

 パイプ椅子に座ってスポーツ新聞を読んでいた老人が、ゆっくりと顔を上げる。

 嘱託社員の田中さん(65)。

 この道40年の大ベテランで、このデータセンターが出来る前、ただの倉庫だった頃からこのビルを知り尽くしている「ヌシ」だ。


「……なんじゃ、口の悪い若造だな。生きてるわい、この通りピンピンだ」

「そりゃよかった。はい、これ差し入れ」


 俺は自販機で買ってきたホットの缶コーヒー(微糖)を2本、カウンターに置いた。

 田中さんはシワだらけの顔をほころばせ、金歯を光らせて笑った。


「気が利くのう、井伊ちゃんは。で、今日は何の用だ? またエロサイトの履歴でも消しに来たか?」

「人聞き悪ぃな! そんなこと一度だって頼んだことないじゃんか。 真面目な仕事だよ、仕事。……ちょっと困りごとがあってですね」


 俺はプルタブを開け、コーヒーを一口啜った。


「実は、11階の検証環境と、この地下のスイッチの間で、通信がブチブチ切れるんスよ。設定は合ってるはずなんだけど、どうも不安定で」

「ふむ……11階との回線か」


 田中さんは顎鬚をジョリジョリと擦りながら、天井を見上げた。

 その目は、ネットワーク構成図ではなく、このビルの「構造」そのものを透視しているようだ。


「11階への配線は、確か5年前の増築の時に、空調ダクトの横を通したんだったな。……いや、その後のレイアウト変更で、A-3番ラック経由に迂回させたか」

「A-3番ラック?」

「おう。あそこの奥じゃよ」


 田中さんが指差したのは、部屋の最奥、埃っぽい旧型サーバーが詰め込まれた一角だった。 近くの柱には、デカデカと『A』とシールが貼ってある。

 今ではほとんど使われていない、化石のようなエリアだ。


「そういえば、昨日……掃除のおばちゃんがボヤいておったな。『あの柱の裏、狭くて掃除機かけにくいわあ』って」

「……掃除機?」

「おう。ガンガンぶつけて、派手な音をさせておったわ。ワシが『精密機器があるから気をつけろ』と怒ったら、逆ギレされよってな。くわばらくわばら」


 田中さんは愉快そうに笑ったが、俺の背筋には電流が走った。

 ……ビンゴだ。

 これ以上の手がかり(ヒント)はない。


「サンキュー、田中さん! ちょっと潜ってくるわ!」

「おう、蜘蛛の巣に気をつけるんだぞー」


 俺は田中さんに手を振り、3番ラックの裏へと回った。

 そこは、人が一人通るのがやっとの狭い隙間だった。

 床には埃が積もり、絡まり合ったLANケーブルが、まるで蛇の巣のようにのたうっている。

 いわゆる「スパゲッティ配線」の最終処分場だ。


「うわ、きったね……」


 俺はスマホのライトを点灯し、這いつくばって奥へと進んだ。

 ズボンの膝が汚れるなんて気にしていられない。

 優しく整然としたクラウドの世界とは違う、これが現実リアルの裏側だ。


 そして、見つけた。


「……これか」


 ケーブルの束の合間に、埃を被った小さな白い箱が転がっていた。

 5ポートの安物スイッチングハブ。

 仕様書にも、構成図にも載っていない、完全に忘れ去られた「安物(バカ)ハブ」だ。おそらく、数年前の突貫工事で誰かが勝手に設置し、そのまま放置されたのだろう。


 その電源ケーブルが、不自然な角度で曲がっていた。

 コネクタが半分抜けかかっている。

 掃除機か何かで、強く引っ張られた痕跡だ。


 俺は指先でちょんと触れてみた。

 ハブの電源ランプが消え、また点いた。

 接触不良。

 絶妙に「繋がったり切れたりする」状態だ。


「……こんなのアリかよ。脱力するわ」


 俺はハブを引っこ抜き、新しいケーブルで直結した。

 作業時間、3分。

 論理の世界で3日間悩んだバグの正体は、物理の世界の3分で解決した。


 ◇


「……疎通、確認しました。パケットロス、ゼロです。通信速度も安定しています」


 会議室に戻った俺からの報告を聞き、佐藤は呆然としていた。

 モニター上のログは、嘘のように正常な通信を示している。

 あれだけ真っ赤だったエラーログが、全て健全な緑色に変わっていた。


「な、なぜ……? 私は全てのルーティングを見直したのに……設定ファイルのMD5ハッシュまで確認したのに……」

「設定じゃなかったからな。原因は『野良ハブの電源抜けかけ』だ」


 俺は事の顛末を話した。

 田中さんの証言、掃除のおばちゃんの掃除機アタック、そして忘れられたハブ。


「ぶ、物理的な接触不良……? 掃除機……? そんなの、仕様書に載っていないわ! バグよ! いや、テロよ!」

「まあ落ち着け。ドキュメントと現物が一致しないなんて、現場じゃ日常茶飯事だ」

「ありえない……。クラウドの世界では、ネットワークは抽象化されたリソースで……物理層の障害なんて、プロバイダが隠蔽してくれるはずで……」

「だから言ったろ。ここは現場だ、ってな」


 誰かが言ってたよな、事件は現場で起きてるんだって。


 佐藤はガクリと崩れ落ちた。

 そのプライドも、完璧な論理も、掃除機のノズル一発で粉砕されたのだ。


 ◇


 作業終了後。

 俺たちは屋上のベンチに座っていた。

 夜風が心地よい。眼下には、東京の夜景が広がっている。


 俺は自販機で買ってきたカフェオレを、彼女の頬にピタリと当てた。


「ひゃっ!?」

「ほら、飲め。おごりだ」

「……子供扱いしないで」


 佐藤は口を尖らせたが、素直にカフェオレを受け取った。

 両手で温かい缶を包み込み、小さく震えている。


「……悔しい」


 ポツリと、小さな声が漏れた。


「私、何も知らなかった。AWSの認定資格(ソリューションアーキテクト・プロフェッショナル)も持ってるし、ネットワーク理論も完璧だと思ってた。誰にも負けないって……」

「ああ、知識じゃお前の圧勝だよ。 俺なんてクラウドのことなんかようわからん」

「でも……現実に負けたわ。こんな、掃除機一つで疎通できないなんて考えもしなかった。 私は無能よ」


 彼女の目から、一雫の涙がこぼれ落ちた。

 月明かりに照らされて、キラリと光る。

 完璧超人だと思っていた彼女の、等身大の弱さ。


「勝ち負けじゃねーよ。役割分担だ」


 俺は頭をガリガリとかきながら、夜空を見上げた。


「お前はクラウドが得意なんだろ。なら、(クラウド)の設計をしろ。完璧な地図を描け。そこがお前の仕事場だ」

「……でも、地面が腐ってたら、地図なんて意味がないわ」

「その地面(オンプレ)の地ならしは、俺がなんとかする。地べたの仕事は、俺みたいなロートルに任せときゃいいんだよ」


 それが、このプロジェクトでの俺たちの関係(リレーションシップ)だ。

 綺麗な世界しか知らない天才と、泥臭い世界で生き抜いてきた凡人。

 噛み合わないようで、実は最強の補完関係なのかもしれない。


 俺の言葉に、佐藤がゆっくりと顔を上げた。

 その目は赤くなっていたが、もう涙は止まっていた。


「……生意気よ、幸太朗くんのくせに」

「へいへい。生意気で悪かったな」

「でも……助かったわ。今回は、あなたのおかげで解決できた」


 彼女はカフェオレを一口飲み、少しだけ口角を上げた。


「――ありがと」


 その笑顔は、いつもの営業用の作り笑顔ではなく。

 少し弱々しいけれど、嘘のない、本物の笑顔に見えた。

 

 ドキリ、と俺の心臓が不整脈を起こす。

 ……やめろよ。 反則だろ、その顔は。


「礼なら、このプロジェクトを成功させてから聞くよ」

「当然よ。私の辞書に『失敗』の文字はないわ」


 彼女は立ち上がり、夜空に向かって背伸びをした。

 その背中には、もう迷いはなかった。


 こうして、3日間に及ぶしょうもないトラブルは解決した。

 雨降って地固まる。俺たちの凸凹コンビも、少しだけ噛み合ってきた気がした。

 


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