見送りアパート101号室
上京してすぐ、俺──廉は、激安物件として知られる古いアパート「ひかり荘」に入居した。
家賃は相場の半額。
風呂なし、トイレ共同、築年数は軽く四十年を超えるオンボロだが、大学に通うだけなら十分だった。
ただ――入居の初日、住人たちが口々に同じことを言ったのは引っかかった。
「101号室に明かりが点いた夜は、誰かが死ぬ」
笑い話のつもりなのか、声をひそめる者もいれば露骨に怯える者もいる。
俺は苦笑しながら、「都市伝説みたいなもんでしょ?」と受け流した。
101号室はずっと空室。
鍵も外されているし、昼間に覗いても埃っぽい空き部屋だった。
***
ある夜。
バイトから帰る途中、ひかり荘の前で俺は足を止めた。
101号室の窓に──明かりが点いていた。
黄色い光が、薄汚れたカーテンの隙間からじわりと漏れている。
「……え?」
心臓が跳ねた。
誰かが入居した、とか、そういうレベルの話じゃない。
とにかく“嫌な感じ”が全身にまとわりついた。
その夜は何事もなく眠った。
だが翌朝。
住人の一人、203号室の中原が、交差点でトラックにはねられて死亡したと知らされた。
――偶然だ。
そう思おうとした。
でも、噂が頭を離れない。
***
翌週。
夜のひかり荘の前に立った俺は、声を出せずにいた。
また、101号室の明かりが点いている。
まるで誰かが、そこから外を覗き込んでいるように感じる。
次の日、また一人住人が死んだ。
今回は階段からの転落死。
脚が震えた。
噂はただの作り話じゃなかったのか?
いや、そう思いたくない。
***
その日の夜、俺は自分の部屋に戻った。
鍵を開け、しばらく黙ったまま立ち尽くす。
暗い。
カーテンが閉まっているせいじゃない。
部屋そのものが「空っぽ」だった。
服も。
布団も。
テーブルも。
俺の買った本も、生活用品も。
何もかも無い。
まるで、最初から誰も住んでいなかったかのように。
「……どういう……」
手が震え、呼吸が乱れた。
恐る恐る部屋の奥にある姿見に近づく。
そして、俺は見た。
鏡に、自分の姿が映っていない。
手も、顔も、影さえも。
鏡面はただ真っ黒に沈んでいるだけだった。
***
階段を下りる音がした。
ひかり荘は古いため、誰かが歩けばすぐ分かる。
――101号室の前で、何かが止まる音。
気づけば俺は、吸い寄せられるように廊下へ出ていた。
古びた101号室のドアが、キィ、と音を立てて開く。
中は暗闇。
だが、その闇の奥から白い影がふわりと浮かび上がる。
長い髪を濡らしたように垂らした、色の薄い顔。
影はゆっくりと俺の前に立つと、悲しげに微笑んだ。
「今日も……見送りに来たの?」
その声を聞いた瞬間、俺の頭に“忘れていた記憶”が流れ込んできた。
――俺は上京した日に交通事故に遭い、
――気づけば、この101号室に迷い込み、
――そこで息絶えた。
住人たちが語る噂は、少しだけ間違っていた。
“明かりが点いた夜、人が死ぬ”のではない。
あれは俺が死者を見送る部屋だったのだ。
白い影──先に死んだ誰かが俺に囁く。
「ねぇ……今日は誰を見送るの?」
胸の奥が冷たく痺れる。
俺はもう、人間ではなかった。
“見送りの亡霊”。
ここに縛られ、101号室で彷徨い続ける存在。
そのとき、ひかり荘の外で自転車の急停車する音が聞こえた。
バイト帰りの大学生らしい影が、101号室の明かりを見上げている。
白い影が嬉しそうに微笑む。
「ほら……次のお客さんが来たよ」
俺は、止めることも逃げることもできなかった。
ただ、闇の中で101号室の明かりがぼんやりと灯るのを眺めていた。
誰かの死を告げる、合図のように。
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