婚約破棄された悪役令嬢は、隣国の王子に見初められ、愛と権力で守られました
「王太子との婚約は、本日をもって破棄する」
玉座の間に響いたその言葉に、私は目を瞬いた。
「理由を、お聞かせいただけますか」
「貴族令嬢であるクラリッサ嬢に対する嫌がらせの数々、そして本日、舞踏会で彼女のドレスに飲み物を浴びせた件をもって、もはや婚約者として相応しくないと判断した」
なるほど、そういう筋書きで来たか。
完璧に仕立て上げられていた。確かに今夜、クラリッサのドレスに赤ワインがかかった。だが、それは私が意図的にやったことではない。使用人がぶつかってしまっただけの事故だ。
……いや、違う。あれは「ぶつけられた」のだ。
そして、この国の第一王子であるアーサー様は、私にその真実を語らせる機会すら与えず、「悪役令嬢」として断罪した。
「分かりました。王太子殿下のご判断に従いましょう」
「……随分、あっさりだな」
「あまりに見事な手回しで、逆らう余地もありませんでしたので」
私は会釈をすると、玉座の間を去った。もう、この国に未練などない。
なにもかも、失った――そう思っていた。
その夜。
「レティシア・ヴァルトリート嬢。お話をしたい」
声をかけてきたのは、隣国の第二王子・アルヴィン・カレイドだった。
美しく整った顔に知性を宿した瞳。彼は噂には聞いていたが、面識はなかった。
「あなたがなぜ、私に?」
「一目惚れ……と言ったら信じますか?」
その夜、私は彼に誘われるまま馬車に乗り、ひと晩だけ隣国の屋敷に身を寄せた。
そして翌朝。
「……正式に、我が国の保護下に入りませんか? 僕があなたを守ります。僕の“権力”をもって」
冗談かと思った。でも、彼は本気だった。
***
あれから半年。私はアルヴィン殿下の庇護下に置かれ、静かに暮らしていた。
この国では、私に対する中傷は徹底的に封じられていた。王子の意向に逆らう者は一人としていなかった。
けれど、それでも過去は消えない。
「私なんかのために、どうして……」
「……君は、たしかに“悪役令嬢”だったかもしれない。でも、僕にとっては“真っ直ぐで誇り高い女性”に見えた」
アルヴィンは私を見下ろして、優しく微笑んだ。
「クラリッサ嬢が裏で何をしていたか、僕は調べたよ。彼女の側近が金で使用人を雇い、ドレスを汚すよう仕向けたと。証人も確保済みだ」
「証人……?」
「うちの国の諜報部は、けっこう優秀なんだよ?」
アルヴィンは笑った。
その週末。
彼は堂々と王国に対して抗議文を提出し、クラリッサとアーサーに対する処分を要求した。
「国際問題にしたのか……」
「当たり前だよ。君を傷つけた罰は、正式に払ってもらう」
事実が明るみに出ると、アーサー王太子は王位継承権を剥奪され、クラリッサは国外追放となった。
***
「婚約の件、もう一度考えてくれませんか?」
ある日、彼が言った。
「それって……白い結婚、ですか?」
「うん。すぐに夫婦にならなくてもいい。ただ、君を“公的に”守るための手段が欲しい」
「……それは、私を“閉じ込める”ためじゃなく?」
「違う。君を“自由にする”ためだ」
――気づいたら、涙が溢れていた。
私はうなずいた。
***
数ヵ月後。二人の婚約は発表され、私はカレイド王国の“王子妃”として迎え入れられた。
社交界の誰もが震え、ひれ伏した。
「僕の妃に手を出す者は、例え隣国の王子であろうと、容赦しない」
アルヴィンのその一言が、すべてを終わらせた。
白い結婚――最初は形式だけのつもりだった。
けれど、彼は少しずつ私の心を融かしていった。
手を繋ぎ、額にキスをし、ただそばにいてくれた。
そして、ある夜――
「もう形式だけの関係なんて、嫌だ。君を、心から愛してる。だから……本当の夫婦になってくれないか」
私は、答えた。
「はい。喜んで」
***
――あのとき、すべてを失ったと思った。でも。
今の私は、あの王太子よりも、あの女よりも――誰よりも、幸せになっている。
これが、私の復讐。
そして、これが私の――
思い描いていた、幸福の理想郷。
---
「――君を、必ず世界一幸せな花嫁にするよ」
彼のその言葉は、何度だって私の胸を震わせる。
あの夜、私はアルヴィン殿下――いえ、もうすぐ夫となる彼の前で、涙を流しながら頷いた。白い結婚の誓いは、やがて真実の愛へと変わっていた。
***
「……まったく、王子殿下の溺愛っぷりときたら」
「王妃になるお方を甘やかして、どこが悪い?」
結婚式の準備が進む中、私は宰相と侍女たちの前で、いつものようにアルヴィンに抱き寄せられていた。しかも、堂々と。
「……書類、読んでください。政務が山積みです」
「じゃあ、君が膝の上で読んでくれる?」
「膝の上で……!? あの、場をわきまえて!」
「僕の書斎だから問題ない。それとも、誰かに見られると都合が悪いのかい?」
――ずるい。そういうことを、真顔で言うのだから。
彼はあいかわらず溺愛が過剰だった。起きた瞬間に額にキス。食事中も手を離さず、夜は当然同じ寝室で、毎晩のように愛を囁いてくる。
「昔は、あんなに冷静だったのに……」
「君に触れられる前の僕は、ただの人形だったんだよ」
「……そういう台詞、恥ずかしくないんですか?」
「恥ずかしいことよりも、君の照れ顔のほうが重要だ」
まっすぐに見つめられて、思わず俯いてしまう。
こんなにも大切にされる日が来るなんて、あの頃は思いもしなかった。
***
そして、結婚式の日。
純白のドレスに身を包んだ私は、大広間のバージンロードを一歩ずつ歩いた。左右には貴族や外交官たちが息を呑み、祭壇の前にはアルヴィンが立っている。
その瞳は、誰よりもまっすぐに、私だけを見つめていた。
「……綺麗すぎて、言葉を失うね」
「まったく、王子殿下はどこまでも甘い」
「それが僕の仕様なんだ。君限定でね」
式は厳粛に、けれど温かく進んだ。
誓いの言葉のあと、指輪を交わす。キスの瞬間、拍手が沸き起こる中、彼は耳元で囁いた。
「この瞬間を、世界でいちばん愛してる」
その言葉に、胸がいっぱいになった。
***
結婚から数ヶ月。私はカレイド王国の王子妃として、公式な場にも顔を出すようになった。
「……ねぇ、アルヴィン。少し、気持ち悪くて」
「っ……もしかして、まさか……!?」
「うん、今日、診てもらったの。赤ちゃん、できてた」
彼はしばらく呆然と私の言葉を反芻して――
「やったああああああああああ!!!!」
大声で叫び、書斎の扉を蹴破って飛び出した。
「今すぐ式典中止! 僕の妻に負担がかかる!」
「……殿下! まだ外交晩餐会の真っ最中です!」
「知らん! こっちのほうが国家事案だ!」
こうして、彼の“溺愛”はさらなる次元へと進化した。
歩くときは必ず手を添え、椅子にはクッション十枚、食事は温度管理された特製メニュー。毎朝・毎晩の「愛してる」は標準装備。侍女や医師たちは皆、あたたかい苦笑を浮かべていた。
「……赤ちゃん、きっと甘やかされて育つわね」
「それが僕の願いだよ。君と、僕と、赤ちゃんで、世界一甘やかされた家族になろう」
***
出産の瞬間。彼は、私の手を握りながら泣いていた。
「よく頑張ったね、レティシア……ありがとう、本当にありがとう」
「……名前、どうする?」
「君がつけて」
「……じゃあ、リアム。希望を運ぶ王子様って意味を込めて」
小さな命を胸に抱いたとき、私は悟った。
あの地獄のような婚約破棄の日も、無意味じゃなかったと。
あの日があったから、私はこの幸せに辿り着けた。
***
――数年後。
「パパー! ママが、ケーキ焼いてくれたー!」
「ほんとに!? 今すぐ政務切り上げて行く!」
「アルヴィン様! 国政の最中に――」
「これは家族の非常事態だ!」
元気いっぱいの息子・リアムは、父に似て人懐こく、私には甘えん坊。アルヴィンにとっては宝物であり、「君は次の太陽だ」と毎晩抱きしめている。
「ねぇ、パパ。大きくなったらママと結婚していい?」
「それは困るなあ。ママは僕の奥さんだから」
「えー! ずるーい!」
「ずるくない。君は将来、お姫様を守ってね」
そんなやり取りを、私は笑って見守る。
私は、かつて悪役令嬢と呼ばれた女。
そして今は、最愛の人に愛され、守られ、家族とともに生きる――
幸せな妻であり、母である。
――これが、私の物語の終わり。
そして、幸せという名の未来の始まり。