5 スープと温泉
雪原に寝そべる白い龍の背にちょこんと小さな白兎が乗っている。ぴくぴくと動く耳が無ければ、雪で出来た小さな雪兎のようだ。きらきらと雪原を照らす陽光は白い二匹を暖かく覆い、麗らかな陽気の中に微睡んでいるようである。
やがて、場面は変わり吹き荒ぶ風雪の中に、一匹の龍が慟哭する。
泣いている。悲しいと、一人は寂しいと。……寂しくて狂ってしまうと……。
「……エリサ」
エリサは、はっと目を覚ました。何だか変な夢を見ていた気がする。僅かに額に汗をかいている。目の前には驚きで目を見開いているルークがいる。
「エリサ!」
がばっと抱きつかれた。ルークの顔には憔悴が滲み出ていて、うっすらと目の下に隈も出来ている。
「エリサは一ヶ月も眠り続けていたんだ……」
(……割と早く起きれたな)
元通りになった右腕を見て思う。怪我と比例して多くの眠りを必要とする。今回は早く目覚めることができた方だった。
「もう、目覚めないかと思った……」
ルークの喜びと苦痛の入り交じる声音に罪悪感を抱く。この子は、この時の魔法使いの家の結界の中でしか、今はまだ安全に生きていけないのに、どれほど不安だっただろう……。
「ごめん。こんな怪我をするつもりも、長く眠るつもりもなかったんだ」
ルークは何とも言えない表情でエリサを見ると首を振った。
「師匠が謝ることは何も無いと分かっているんだ。全て俺のわがままです」
何だか、少しの間にルークが成長してしまったような気がした……。ますます罪悪感が募る。
「師匠。ご飯が出来ているんだ。あと、他にも見せたいものがある。食べれますか?」
エリサが頷いて起き上がると、まるで病人に対するように食卓まで手を引いてくれる。エリサが席につくとすぐに、食べやすく煮込まれた米と鳥と野菜の汁物を食卓に運んでくる。
「いつ師匠が起きても大丈夫なように用意していたんだ」
「……美味しい」
本当は食べる必要もない身体だが、温かな食べ物が喉を通り胃に落ちると力に変わるようだった。ようやく、白龍との戦いで凍りついた何かが溶け出したように感じた。
「本当に美味しいよ……ありがとう」
食事が終わると、ルークはエリサを家の裏手に連れて行った。河原の手前に、石が敷き詰められた小さなため池のようなものが出来ている。僅かに湯気が上がっている。
「精霊の力を借りて、温泉を掘り出したんだ。怪我にも良いと思う」
「温泉!?」
エリサは、噂で聞く温泉というものに入ったことはなかった。だが、とても興味はある。
「もし、体調が悪くなければ入ってみてください」
「うん。ありがとう。楽しみだよ。直ぐに入ってみる。ルークも一緒に入ろう」
ルークの笑顔が凍りついた。
「……エリサ。俺は、もう今年で10の年になるんだ」
「うん?」
「分かりますか? もう小さな子供ではない」
ルークは笑顔を浮かべているが圧がある……何か自尊心を傷付けてしまったということは分かった。
「そうか、そうだね。私より料理も上手いししっかりもしているしね」
慌てて機嫌を取ろうとするが、ルークは憤懣やるかたないといったふうに家に戻って行ってしまった……。
(こんなに、色々としてくれているのに怒らせてしまった……)
エリサは、早速、服を脱ぎ温泉にそっと入っていく。湯の温度は熱めだが外気に触れているので浸かると丁度いい。湯は少しぬめりがあり肌がつるつるとする。肩まで浸かりながら足を伸ばし、側の川の流れを眺めていると、とても気持ちが良い。
「……ふーっ」
これは、思っていたよりもとても良い。怒ってしまったルークに対し、更に申し訳なくなった。
(私からも何かお礼をしようか……)
エリサは、ぱたぱたと足を動かして思わず温泉の中を泳いでしまいながら何が良いかとずっと考えていた。
……すっかりのぼせてしまい、家の中によろよろと入っていくと、……冷たいミルクが用意されていた。
数日考えて、良いお礼が思い浮かんだ。エリサは、街に買い物に行くと言って転移をする。ダンジョンに。以前、多くの魔物が溢れ出したことで、いつものように銀狼のリュプスより声が掛かり対処を行ったダンジョンに良いものがあったのだ。
早速、そのダンジョンの最下層に転移する。一度行ったことがあるので、転移が可能なのだ。
かなりの難易度のダンジョンなので、誰も居ないと思っていたが、どうやら大人数で踏破を挑戦中のようで最下層にかなりの人間が集まっていた。エリサは、直ぐに気配を消し、辺りを伺う。高ランクの冒険者たちのパーティーが複数集まっているようだ。
(……これは、まずい)
偶然、居合わせることになったが良かったかもしれない。このままでは、以前のようにまた大量の魔物が溢れ出すところだった。最下層まで来れる者はそう居ないだろうと、ダンジョンコアまで壊さなかったのが裏目に出た。
このダンジョンは、かなり特殊で、高ランク冒険者たちの目の前の大きな扉が開いても、想定しているボスの姿はないのだ。代わりに中に入ってしまうと扉は閉まり永遠に開くことはなく、中の獲物の魔力を死ぬまで吸い取り、その力を数多くの魔物を発生させることへと変換する……。
以前、ダンジョンが発生した際に魔物が溢れ、対処を行なったが、その難易度から最下層までやすやすと辿り着けないだろうと判断しそのままにしておいた。ダンジョンを壊すと、世界に魔力の歪みが生じることもあり、あまり望ましくないのだ。
扉が開き、皆がぞろぞろと中に入っていく。三十人程度だろうか……その中でも群を抜いて強い三人組のパーティーが中心となっている。まだ皆若く、十代だろう少年達だ。その中でも一人の少年が光の精霊に愛されている祝福の力に満ちていた。
(今の時代は闇の精霊の愛し子に、光の精霊の愛し子もいるなんて豊作だなぁ……)
エリサも気配を消し、集団に紛れる。全員が中に入ると、唐突に扉が閉まる。皆は敵に警戒し辺りに注意を払うが何も起きない。やがて、じりじりと抜け出ていく魔力の気配に何人かが気付き出したようだ。
何人かが扉に魔法をぶつけるがびくともしない。
「どいて」
光の精霊の愛し子が剣に魔法を纏わせ、扉に振り下ろす。魔法をかき消し剣が弾かれた。
「……そんな……アッシュの剣が弾かれるなんて」
仲間が呆然と呟く。アッシュ自身は動揺せず、次々と攻撃魔法を打ち出して扉に放っていく。爆発が起こり、やがて煙が収まると傷ひとつない扉が現れ、人々は驚愕の声を上げた。
「……やるしかない。皆で攻撃魔法を放て!」
アッシュは号令をかけ、人々はそれぞれの魔法を準備し始める。
(火力で押し切ろうとするのは実は正しい。……だが、残念ながら火力不足だ)