35 最果ての地
目を覚ましエリサは硬直する。目の前には朝の陽の光が差し込みきらきらと煌めく金色の髪。絹糸のようにさらさらとしたその髪はエリサの頬に触れている。驚くほど近くに眠るルークの顔がある。とても長い金色の睫毛もきらきらと輝き、いつもは鋭さを感じさせる瞳が瞼で隠れているせいかその怜悧な美貌も少し柔らかい印象を醸し出している。昨夜は黒猫になってルークと同じ寝床で眠りについたはずだった。
エリサは己の手が人間の手になっていることに気付いて驚く。慌てて自分の髪の毛を掴むと、茶色でほっと息を吐く。サリーの姿に戻っているようだ。首輪もいつの間にか外されている。背中に回されているルークの腕のせいで抜け出すことができない。一縷の望みをかけて、そっと腕を外そうと持ち上げようとすると目の前の目がぱっちりと開いた。
「おはよう」
寝惚けとは無縁なのか今まで眠っていたのが不思議に感じるほど非常に爽やかな笑顔である。
「……おはよう」
ルークが時の魔法使いの家に来たばかりの頃はよく魘されており、落ち着かせるために背中を撫でてやりそのまま一緒に眠ってしまったことも稀にあった。だが、今では全く別人のように大きくなり、エリサを抱え込む腕も力強く逞しい。落ち着かなくなり離れようと身動きするとルークがそっとエリサの髪に触れる。
「昨夜は何処に行こうとしていた?」
(ああ……やはり黒猫がサリーだとばれていたのか……)
そうすると昨日のサリーに戻れないようにしたのは意地悪だということになる……と少し恨みがましい目でルークを見やりながらエリサは口を開く。
「行かなければならない場所があるんだ。必ず戻ってくると約束するから行かせてくれ」
「分かった」
あっさりとそう言うルークに拍子抜けする。こんなにあっさりと許可が出るなら昨日の晩に行ってくるよと言えば良かった、と。
「そうと決まれば支度をしよう。もちろん俺も行く」
「えっ!?」
予想外の事態に慌ててしまうエリサは急いでリュプスに念話を送る。
『リュプス。ルークが一緒に行くと行っているが、良いのか?』
『仕方ない。まあ、邪魔にはならんだろう……』
『というか……何をしに行くのかまだ詳しく聴いてないんだけど』
『うむ……時の階という場所の扉が今晩開かれる。そこは天空に繋がる唯一の道だ。天空にいる黄金龍に今起きている世界の異変についての話を訊きに行く』
『何だって!? そこは危険じゃないのか……』
「ルーク。もしかしたら今から行く場所は危険かもしれない……」
「だから? 俺は魔王だ。誰が俺を傷付けることが出来ると思う? 世界最強の魔法使いですら俺を倒すことができるだろうか? サリー。俺は小さな子供ではない」
エリサはじっと強い眼差しでこちらを見つめてくるルークに言葉を失った。
(そうだ……ルークは魔王で……私が守らないといけない存在ではもうない。……むしろ、世界の危機となるかもしれない存在なんだ)
さっさと身支度を整えたルークは櫛を持ってこちらに近付いてくるので、慌ててエリサは魔法で身なりを整えた。やはり何故か残念そうな気配が漂うルークである。
「それで何処に向かうんだ?」
ルークからの問い掛けにエリサは念話でリュプスに尋ねる。
『北の最果ての大地グラスアースだ』
『そこって……』
『ああ……過去にお前が狂った白龍を討伐した地だ』
向かう場所を伝えると、まず朝食を作り出し、しっかりと食べさせられる。それからルークは防寒のために厚手の外套を用意しだした。魔法で防寒は出来るが何が起きるか分からないので、着込んでおくほうが良いだろう。そう思いされるがままになっていると手袋や耳当て襟巻きも付けられる。
「もこもこだよ」
「入念に準備するに越したことはないだろ」
そう言うルークはいつも通りの黒い装束に黒の外套を羽織ったのみである。
「ルークはもこもこじゃないじゃないか」
「俺はいいんだ。君が寒そうに見えると俺が辛いので着てくれ」
リュプスが座標を指示するので、転移魔法にその座標を目標地点として設定し移動する。転移し目の前に現れたのは、雪が積もる北の大地だった。転移魔法のために掴んでいたルークの腕を放す。
以前来た時は、狂う白龍の影響もあり吹き荒ぶ雪で辺りが見えなかった。だが、今は一面の雪景色がどこまでも続いている。誰もいない大地に冷たい空気がはりつめている。美しくも茫漠とした雄大な大地は孤独を感じさせる。エリサはあの白い龍を思った。
夕方までには時間があるはずだが、既に日が陰りつつある。
「あちらの方角みたいだ」
リュプスが示す方向を指差すと、ルークはエリサの腰に手を回すと上空へ飛び上がった。
「うわっ……自分で飛ぶよ」
「魔力は節約した方が良いだろう?」
しばらく空を行くと、雪原の大地に突然裂け目が現れたかのように大きな滝が見えてくる。
「この場所のようだ。時が来るのを待つ必要がある」
地面に降ろされ、エリサは滝が大地の裂け目に轟音を立て流れ込んでいく様子を眺める。その様は圧巻でエリサは息を呑んだ。
「寒くないように結界を張った。触るよ」
「……ああ」
景色に呆然と見惚れていると後ろからルークが抱き寄せて腕を回してくる。
(たしかに寒くない……寒くはないがそれほどに密着しないといけない結界だなんて魔力を節約しすぎじゃないか……)
やがて雪の大地が暗闇に包まれた時に、空に光の帯が現れた。




