34 魔王と黒猫
「とても甘そう……」
思わず口に出してしまい、うん?とルークは首を傾げる。
「何が甘そうなんだ?」
「……君の瞳が蜂蜜のように甘そうだよ」
エリサはふーっと熱い息を吐きだす。触れ合う身体が震え、目に涙がたまっていく。ドキドキしていっぱいいっぱいになっているが、温かさは心地よくもっと触れたいと願ってしまう。恥ずかしく思っていた心がこの心地よさを優先したいという誘惑に傾いていく。ルークの胸を押し返していた手を離し、そっと頬に触れる。
「蜂蜜を舐めたくなるよ」
ルークは吸い寄せられるように同じようにエリサの頬に触れ、軽く回していた腕を背中に回し強く抱き寄せる。エリサもルークの身体に手を回した。抱き締められる圧迫感が少し苦しく心地が良い。ルークからくらくらするようないい匂いがして頭がぼうっとしてくる。
「……もっと触ってほしい」
うっ……とか……ぐっ……と言った言葉を呻いたルークは顔を伏せた。俯いても見える耳の端がみるみると赤くなっていく。そっと身体も寄せて額を首元にくっつけてみる。ルークの身体は大きく温かく気持ちいい。ルークは動揺したように大きく震え、硬直した。
顔を上げたルークは少し苦しそうな顔をしており、その黄金色の瞳の色は濃くぎらぎらとどこか獰猛に輝くも、直ぐに固く瞼を瞑って閉ざされた。
「……とんでもない攻撃がきた」
呻くようにそう言うと、ルークは一瞬で転移魔法を使い扉のすぐ前に現れた。顔を伏せながら早口で言う。
「その魔法薬の効果は1時間位だったね。危ないからその間はこの部屋でゆっくりしているんだ。結界を張っておくから。良いね……誰が来ても……例え俺が開けてくれと言っても決して扉を開けてはいけない」
「……えっ……ルークは側に居てくれないの?」
ぐっ……とルークはまた呻いた。
「いまの君は普通じゃない。このままだと危険だ。あとで後悔することになる」
「危険って?」
「俺の理性が弱くて君がとても罪深いから」
ルークは悔しそうにエリサを見つめると、諦めたように微かに笑う。
「君は愛を知っているけど、恋は知らなかったんだね」
そして部屋を出ていってしまった。エリサはどうしようもないので、一人で夕食を完食し、薬の効果が切れた瞬間に頭を抱えることになった。
『どうしよう……リュプス……もうルークに合わせる顔がないよ』
『ああ? あの小僧ならお前の仕出かす色々なことには慣れているだろう。気にするな』
『気にするよ〜。あ~~』
一人、寝台で呻きのたうち回るエリサであったが、リュプスが突然、真剣な声を出す。
『もう少し時間があるかと思っていたが、どうやらそろそろ頃合いのようだ』
『なんだい?』
『前に調べに行きたい所があると言ったことがあっただろう? そこへ行ける時が来たのだ』
そのリュプスの言葉でエリサは唐突に頭が痛み出し、両手で頭を抱える。突然に眠らせていた記憶たちが蘇っていく。死者の事件や虚無、クウヤの特殊な力を。
『……ああ、そうだった。眠らなくて良いようにリュプスが記憶を眠らせてくれていたのか』
『ああ……。精神的な負荷が大きい一連の記憶のみを眠らせ、たった今目覚めさせた。支障はないか?』
『うん。大丈夫。しばらくは眠らなくても平気そうだよ』
エリサは寝台からおり、ゆっくりと立ち上がる。
『転移魔法で行ける場所なのか?』
『いや、そこへ行くための鍵となる場所へまず向かわなければならない。だが、戻って来るまでにどれだけかかるか分からない。あの小僧には言っておけ』
『えっ……!? ルークに? さっきの今だよ! それに間者の疑いで側付きになっているのに行かせてくれるものなのか?』
『だが、抜け出しても朝までに戻らないと必ずばれるだろう? 世界の危機が無くなるまでは魔王の側にいなければ……。必ず戻ってくると説得しろ』
『えっ……』
エリサは頭を抱えた。少し前のことを思い出す。普通でない状態になってしまったことは恥ずかし過ぎるし、あれから一晩も経っていないのだ。どのような顔をして説得しろと?
「……うん。もう、何も言わずに行ってしまって戻ってから言い訳しよう。そうしよう」
『…………』
リュプスから呆れたような溜息が聞こえたような気がしたが知らぬふりで抜け出すことにする。以前は黒猫になりクウヤの所まで抜け出せたのだ。転移魔法は結界に反応するかもしれないので、そっと抜け出すことにする。
エリサは念の為に黒猫に変身し、扉から顔を出す。そろそろと辺りを伺っても長い廊下に誰もいない。一歩ずつ足音を立てずにふかふかの絨毯を歩き出すと、かちゃりと音がしてエリサの隣の部屋の扉が開いた。ぎくりと身体を硬直させそろりと顔をそちらに向けると、ルークがじっと黒猫のエリサを見つめている。
「! んにゃっ!」
脱兎のごとく走り出すが、瞬く間に追いつかれ抱え上げられてしまう。カチリと首元に何かをはめられた。魔法を使ってサリーの姿に戻ろうとするが戻れない。なんらかの魔導具のようである。時の魔法使いの力を使って壊してしまうことは出来そうだが……。
「どこから迷い込んだのかな?」
白々しくルークはそう言うと、開いたままの扉の向こうに連れ込まれてしまう。部屋は暗く既に眠る準備をしていたようだ。
(ルークの寝室が隣の部屋だとは知らなかったよ……。いつものように穏やかな優しい顔をしているのに、何だかルークが怒っているような気がする)
「にゃう、にゃうニャー」
念話で話し掛けようとしたが、首輪の魔導具によって念話も出来ないようだ。もう眠ろうとしていたのだろう夜着を身に着けたルークは黒猫を胸元に抱え込んだまま寝台に横たわる。
「どうして君はいつもそうなんだ……」
そっと黒猫の耳を塞ぎルークは何かを話し掛けているようだ。
「何も話さず、何も話させてくれない。誰にも何の期待もしていないのは知っている。けれど……俺はそれでも君の助けになりたい」
そして優しく擽るように触られてぐるぐると喉が無意識に鳴ってしまう。
「……にー」
身を捩ってルークの手の中から抜け出そうとするが、巧みに阻止され優しく撫でられると力が抜けてしまう。眠りの魔法を掛けられたようで突然強い眠気が押し寄せる。
「……君を閉じ込めてしまいたい。けれど、本当は君は自由に生きて欲しくてその隣に共に在りたいとも思っている」
指先で柔らかに身体を撫でられ、ルークが何を言っているかも分からぬままうとうとと微睡む。
「……今は眠れ。また話をしよう」
そうして、エリサはゆっくりと眠りに落ちていったのだった。
ルークは気配を感じ、顔を上げ視線を向けた。そこには天井に頭がつくかというほどの大きな銀狼。暗闇の中、銀色の瞳の光が浮かび上がっている。
「久しぶりだな。ボウズ」
「お前は変わらないな」
「お前は驚くほど変わったか……魔王だとは……」
「何の用だ?」
「その者を自由にしろ。時間がない。明日の夜には時の階に行かなければ」
「何処だそれは? 何をしに行く?」
「黄金龍に会うためだ。お前も気付いているだろう。世界の異変に。世界の叡智の象徴である黄金龍に会い、教えを請わなけれはならない」
「……みゃ~」
むにゃむにゃと黒猫が寝言を言うと、ふっと銀狼はその場から消え失せた。ルークはじっと暗闇の奥を見通すように鋭い視線を投げかけ、それから黒猫に目を戻すと寝台に横たわりそっと大事なものを守るように懐へ抱え込んだのだった。




