24 魔王の側付き
ゆっくりと空が白み始め、長かった夜が終わったことに気付く。夜露に濡れた白い小さな花々は朝日を受けてきらきらと煌めいていた。あまりにも美しい光景に一人と一匹は虚脱したように暫く言葉もなく眺めていた。
エリサはそっと指先で首元を撫でられる感触に始めは緊張していたがやがて気持ちよくなりごろごろと喉を鳴らし気が付いたら眠ってしまっていた。
「……また会えて良かった」
夢現の微睡みの中でそんな言葉を聞いたような気がするも、目が覚めたら机の上で目の前に写し身のサリーが眠っていた。
(無意識に転移したのだろうか!?)
『あの女騎士が連れてきたぞ』
『ばれてるじゃないか!? あー! どこまで何がばれてるんだ!?』
『獣じみた女のことはひとまず置いておけ。予知では時の魔法使いとして魔王と関わると世界の危機に繋がる可能性があるということだけしか分かっていない』
『ルークの前では時の魔法使いとして現れてはいけないということだね』
『ああ……。全くお前というやつはへっぽこだからな……。心臓に悪い』
『何だって!? リュプスこそ予知だか何だか知らないけどもっとはっきり言ってくれないかな? 寝惚けてただけなんて止めてくれよ』
言い争いが始まろうとしていると扉の前に誰かが立つ気配がした。エリサは写し身を消し、黒猫からサリーに変身する。かちゃりと音がした後、扉がゆっくりと開き魔王ルークが入ってきた。
「待たせて悪かった」
「いいえ、トンデモナイ。大丈夫デス」
『なんで、片言になるんだ』
『丁寧に話すのは慣れてないんだ』
リュプスが突っ込みを入れてくる。誰かと話している時に念話で話しかけるのは止めてほしい。
「気を使わず言葉遣いも気にしないでくれ。待たせてしまったのは色々と大変なことが起こったんだ」
「そう。大丈夫だったのかな?」
「ああ。死者の大軍が西方に現れ大きな被害が出たんだ。幸い、全て討伐されたが」
「……大きな被害とはどれくらいだろう」
「西方は火葬ではなく土葬で湿地帯も多く屍蝋化した昔の亡骸も出てきたようだから、現れた死者たち全てが犠牲者という訳では無い。船で逃げた者や強い力の持つ魔法使いの転移魔法で集団で逃げることの出来た者もいる」
質問にたいして躱すように明言を避ける様子はむしろ被害の大きさを表すようで胸が痛んだ。
「……もう少し早く分かっていれば」
「仕方がなかった。君には何の責任もない。そんな顔をしないでくれ」
ルークは仮面を外し真剣な目をして言う。現れた黄金色の瞳は鮮烈な印象を与え、エリサは瞬きをした。
「……サリー。たとえ、君に神のような力があったとしても何の責任もない。それをよく覚えておいてくれ」
「そうだろうか……。そんなふうには思えないな。強大な力を持つ者にはそれに応じた責任が伴う。そんなふうに思わず生きていける者もいるだろうが私には思えないよ……」
「それではとても生きづらい」
「そんなことはないよ」
「……まるで、君は神の如き力があるかのように話すのだね」
試すようにこちらを見るルークにエリサは言葉につまった。
(しまった……。ルークと話しをしているとつい昔の調子で話してしまう)
「……そんなことはないよ」
「西遊国への援助は行う。一時的に東漣国に避難した王族や国民は帰国を希望しているようだ」
「そうか……逃げることが出来た人がいて良かった」
(だめだ……哀しくて何だか眠くなってきた……)
『エリサ。精神的負荷が掛かりすぎている。今眠ると数年は目覚めることは出来ないぞ。過ぎたことは切り替えろ。もう、思い出すな』
思い出さずにすむように、今は他の事を考えようとルークを見つめる。仮面をとったルークは微笑みを浮かべておりまじまじと改めて顔をよく見るとその美貌に驚く。昔から美しい子だなとは思っていたがすっかり大人の男性になったルークは神々しいまでの端正な顔立ちに凛々しさも合わせ持っている。
「どうかしたのか?」
「ううん、とても綺麗な瞳だと魅入ってしまったんだ」
ぱちぱちとルークは驚いたように瞬きしエリサを見つめ返した。
「俺の目が? 綺麗だと?」
「うん」
「……ありがとう。だが、俺には全く似合わない言葉だ。……俺は魔王で君の言う強大な力を持つ者だ。だが、世界にも他の者にも何の責任も感じていない。ただ一人の人以外には僅かな力すら使いたくない」
「えっ!? そうなんだ」
どうやらルークには大切な人が出来たようだ。そういえばルークに王妃か魔王妃がいるのかも知らない。
「君の考え方に私が非難したりできる立場じゃない。それにそれほどに大切な人がいるというのも素敵だと思うよ」
「そうかな?」
「うん」
「……それは、良かった。……ところで、俺の側付きになるのだからこれからずっと君が住むことになる部屋に案内しよう」
案内された部屋は最上階の最も奥の角にあった。部屋自体とても広く内装も品があってとても豪華だ。魔王様の側付きとはいえ、使用人の部屋とは思えないと目を白黒していると、今日は休んでくれと言いおいてルークは出ていった。
とりあえず部屋を調べてみようと幾つかある扉の一つを押し開けると寝室かと思うほど大きな衣装部屋があり、ドレスや平服や軍服、部屋着など数多くの衣装が揃えられている。一瞬、ルークの衣装を側付きの部屋に置いているのかと思ったが、大きさ等から女物だ。
他の扉を開くと広い中庭に繋がっている。窓のない壁に囲まれており頭上は空が見えている。壁に囲まれていても広さがあるため閉塞感はなく誰にも見られることのない秘密の花園のような特別感を感じる。最上階のはずの部屋なのに壁に囲まれて居るのは魔法で空間を歪めているのか、魔王城が複雑な構造になっているのか。中庭に咲き乱れるのはエリサも好きな薔薇の花々だ。赤や青白黄色の色とりどりの薔薇が植えられている。中央に見たことのない銀色の薔薇があった。庭師が精魂込めて作ったのだろうと思っていると、魔導具が庭の隅で稼働している。とても精巧に作られて強い魔力が織り込まれているそれには覚えがあった。
(ルークは魔導具製作が今でも得意なんだなぁ……)
部屋に戻り別の扉を開けると脱衣所らしき場所があり更に奥の硝子の扉を横に滑らせると、湯気の湧く掛け流しの広い温泉があった。思わず時の魔法使いの家を思い出したエリサであった。
(魔界にも温泉が湧いているのか……効能は何なんだろう)
どうやらここはエリサの部屋というよりは魔王様の浴室なのでは?と思い当たる。側付きとして支度を手伝うためにそこで寝起きもするのかもしれない。何せエリサは今まで働いたことがなく世間知らずだ。粗相のないようにし、疑われないようにしなくては……と決意を新たにしたのだった。




