16 追われる者
人間や獣人の魔力量は生まれつきである程度決まっている。訓練次第で増えない訳ではないが、二倍三倍と元々の容量をはるかに超えることは難しい。
だが、エリサはクウヤの魔力量に違和感を覚えていた。まだ、器が育っていないような……本来の魔力量ではないような。黒い邪狼がクウヤの胸に置いた脚に力を込めていく。
「人間よ。命乞いをしろ。惨めに泣き喚け。気が向いて一思いに楽に殺してやる気になるやもしれんぞ」
牙をむき出し嗜虐的に言い放つその姿は、獣でありながら人間のように悪意に満ちていた。
「俺は諦めないと誓ったんだ。両親のように最期の瞬間まで!」
「くっくっ……馬鹿な人間だ。いや、犬っころか? お前の親も愚かだ。弱き者は媚びへつらえ。お前たちには惨めに泣き喚く敗北しかない」
「勝とうと拳を握るならそれは惨めな敗北なんかじゃない。次に繋がる不屈の意志の勝利だ!」
「次などはない!」
踏みつけられる力が強まりクウヤはくっと呻く。エリサは急ぎ注意深く魔力を流し込む。クウヤの内在する魔力の器が活性化するように。クウヤの茶色の瞳の色が黄金色に染まっていく。己の胸を踏みつけている邪狼の脚を掴むと徐々に持ち上げていく。
「な……なんだ!? この力は!?」
「力尽きても後に続く者がいる限り俺たちは負けない! うおおおーっ」
もう片方の手で拳を握りしめたクウヤは、黒い邪狼の鼻先に向かって殴りつけた。黄金色の魔力が辺りに満ち、閃光が迸った。ようやく目をみらいた人々が見たのは塵となり霧散した邪狼だった。
エリサはクウヤに駆け寄っていく。虚脱したように呆然としていたクウヤはエリサを見ると驚いたように口を開こうとした。エリサはクウヤの耳元で囁く。
「これは君の持っていた力を引き出しただけだよ。私はあまり目立ちたくないんだ。黙っていてくれ」
驚いたように目を見開いたクウヤはそれでもこくりと小さく頷いてくれた。結界は解けたようで、魔人の少女が現れ、シラユキやシロタマ、他の毛玉たちがわらわらと集まっていき我先に報告している。
「皆さま。異常事態が発生したようで、申し訳ないことをしました。異例の事態ですので今回の入隊試験は以上とし皆さまを合格とします。この後は魔都へお連れいたします」
魔人に連れられて魔都に向かう中で、合格者たちを確認したが、あの強い視線でこちらを見ていた甲冑姿の女性はいなくなってしまっていた。
転移魔法で移動した先は魔界の中心の魔都であった。人間の住まう都市と変わりなく煉瓦で作られた家や商店が立ち並ぶ。そして都の中心には漆黒の黒い石で作られた城が威圧を放つかのような存在感を持ってそこにあった。
(あそこに魔王……ルークがいるのか)
合格者たちは、魔王軍の所有する魔都の中心部に近い寮に案内され、一部屋ずつ割り当てられた。明日、魔王城へ集められ、そこで魔王軍へ正式に配属されることになるらしい。
寮の寝台に横たわりながら、深夜となり辺りが静かになるのを待ち、そっと起き上がった。窓から魔法で浮かび上がって石畳の通りへ降り立つ。
街の様子を確認し、魔王城の中も可能であれば潜入してみようと考えていた。ふと、背中に感じる強い気配に振り返る。通りを一本隔てた向こう側の暗闇の中、大きな黒い人影が見える。目を凝らすとそれは甲冑であった。それは唐突に物凄い速さで走り出し、エリサに向かって突進してくる。迫力のある絵面に驚いたエリサは思わず逃げ出してしまった。
(なんだろう……あれは……よく分からないけど何だが絶対に捕まっては駄目な気がする)
エリサは魔法を使い、石畳を蹴り走り出すと、家の壁や屋根の上を縦横無尽に駆け巡る。その後ろを甲冑の重さも感じさせずに、引き離せず追い掛けてくる。
『何だ!? あれは魔物か!? 怖すぎるだろ!』
『多分、今日の魔王軍の入隊試験にいた受験者だと思う。思わず逃げてしまったが』
思わず後ろを振り返ると、その甲冑の者は音もなく一定の距離を保ってエリサの動いた軌跡の上をピタリとなぞって付いてきている。
(うっ……やっぱり何か怖い。けれど、人間かと思うと魔法で吹き飛ばす訳にもいかない)
動揺のあまり思わず屋根の端を踏み損なって空中にエリサは飛び出してしまった。すると甲冑の者は、くるりと一回転するとそのままエリサを抱きとめて地面にそっと着地した。ぐっと強く抱き締められ、甲冑に圧迫されたエリサはぐぅっと呻いた。
(……内臓が出る。この甲冑は凄く硬い。魔法石を錬成して作っているじゃないか……。ものすごく高いはず。うう……これは攻撃なのかな? 反撃しても許されるかな?)
「す、すまない! 思わず後を追ってしまって。傷付けるつもりはない!」
呻くエリサに驚いたように、甲冑の者は腕の力を緩めた。それでも決してエリサを腕の中から離そうとはしなかったが。
「君の名前を教えてくれないか? 君は私の大事な方に気配がとても似ている。それに匂いも」
くんくんと嗅ぐようにエリサの頭に甲冑の頭がくっつく。ぞくっとするような……ぎくっとするような、訳の分からない感覚になりながらもエリサは掠れた小さな声で答えた。
「サリー」
「そうか……とても良い名だな。ところで……」
「主。魔人が近付いてきます。この場所から離れてください」
複数の黒ずくめの者達が甲冑の者の影から突然現れた。何かの魔法の類だろう。
「そうか。サリー。共に行かないか? 君を気に入った。魔王軍に入るより良い待遇を約束するよ」
「イイエ……私は魔王軍にハイリマス」
「そうか……また会おう。サリー」
何が何だか衝撃のあまり思わず片言になってしまったエリサであった。その甲冑の者は、甲冑姿であっても深く落ち込んでいるのが一目瞭然に、しょんぼり肩を落としてふっと消えてしまった。
「何だったんだ?」
「あなたは何故こんなところにいるのです?」
呆然と立ちすくむエリサに対して、屋根の上から問いかけて来たのは、試験官だった魔人の少女である。雲の間から射す月明かりに蒼い髪が幻想的に煌めいていた。




