13 目覚めのスープ
ぽかぽかと身体が温かい。心地よい微睡みにそのまま抱かれていたが、ゆっくりと注ぎ込まれる魔力に気付き、エリサは目を見開く。いつもの自分の部屋の寝台の上である。
ぼーっとしばらく微睡んでいたが、温かな魔力の出どころに目をやると、部屋を囲むように幾つもの精巧な魔導具が置かれていた。魔法石を使い、高い技術力と錬成された魔力で作り込まれた魔導具は、自動的に魔力を生成し供給できる仕様となっているようだ。
エリサはようやく眠りにつく前の出来事を思い出した。百年ほどは眠らなければならないかと思っていたが、この魔導具たちのおかげで早くに目が覚めたようだ。だが、この魔導具の製作者はとっくにこの家から居なくなっているだろう。それだけの年月は過ぎたはずだと思うと、鈍く胸の奥に痛みを感じた。
リュプスも目覚めたようで、いつもの呼び声が聞こえる。珍しくどこか切迫したような気配を感じ、エリサは魔法で身支度を整えると、一瞬で時の精霊リュプスのいる洞窟へと転移する。
「エリサ。世界の危機を予知した」
銀色の髭を震わせ、人間であれば強張った表情をしているのだろう、硬い声でリュプスは告げる。
「魔王が誕生した」
エリサは意外に思う。魔物や魔獣はいても知性のある魔の生物はそれほど多くない。魔王という存在は、伝説となるほど昔にいたと言われているような存在である。
「……その者を倒せばいいのかな?」
「エリサ。魔王はルークだ」
聞こえてきた言葉が頭の中で意味を成さない。マオウハルークダ?
「ここにいた小僧が魔王になった」
ルークって、一緒に暮らしていたあの子のことだろうか。木の洞の中で震えていた小さなあの子。星を眺めながら声を押し殺して泣いていたあの子。いつも温かいスープを作ってくれていたあの子。
「なぜ?」
「分からない。我々が眠りにつき七年が経っている。あの者は祖国を滅ぼし、魔王となり魔の国を建国したようだ」
「ルークが世界の危機となる者なのか? 私にルークを殺せと言っているのか?」
「いや……未来がよく読めない。枝分かれするいくつもの未来があるようだ。魔王を契機として世界の危機に繋がる何かが起きる。それを止める必要がある。エリサ……お前は、正体を隠す必要があると予知では出ている」
「どういうことだ?」
「時の魔法使いとして魔王と関わった場合、世界は終わる可能性が高いという予知が出ている」
「何故なんだ? ……それは、ルークが私を殺したいと思っているということか?」
「分からない」
エリサは、ぼんやりとまだ夢の中にいるような心地がした。次に目覚めたらルークはこの世にいないだろうという覚悟はしていた。だが、予想外の事態に心が軋む。場合によっては、世界の危機としてルークを始末する必要があるなど。
エリサは、頭を整理する時間が欲しいと家に戻った。居間に入ると、人の気配を察知したのだろう、魔導具が動き出し、組み込まれていた魔法が発動する。暖炉に火がつきゆっくりと部屋が暖かくなっていく。入口の扉が開き、野菜や卵が飛び込んでくる。包丁や鍋が空を舞い、自動的に料理が作られていく。この魔導具もルークが作ったものだろう。一流の魔導具の職人であっても、これらの魔導具を作り出すことは出来ない。それほどに精巧に作られた魔導具と練り込まれた魔力であった。
庭へ出て行くと、いくつもの魔道具が稼働しており、畑や鳥小屋を整備しているようだった。庭の裏手にはもくもくと湯気を上げる温泉が未だに荒廃した様もなくそこにあった。
エリサが居間に戻ると、食卓には器に入ったスープが置かれていた。匙をとり、ゆっくりと口に運ぶ。温かく懐かしい味がする。
「……うっ……ふっくっ……」
スープを塩辛く感じた。
エリサが初めてこの時の魔法使いの家に来たのは、先代の時の魔法使いに連れ去られてきた時だった。エリサは幼い頃から精霊の気配を感じ、精霊に力を借りながら軽々と魔法を使うことが出来た。両親も魔法使いで、将来を嘱望されながらも大切に育てられ、前途洋々、光り輝くような日々であった。……あの日までは。
17歳になったある日、目の前に一人の黒いローブを着た男が現れ、有無を言わさず魔法を封じられ転移魔法で連れ去られた。
男は、先代の時の魔法使いだった。家に転移すると、何の説明もなくエリサの腕を掴み大量の魔力を流し込んだ。そして、力尽きたようにその場に倒れ込むと塵となって消え去ったのだった。
エリサは、わけが分からず怯えるも、どうしようもないほどの眠気がおとずれその場に昏倒した。
そして、次にエリサが目を覚ますと100年ほどの歳月が経っていたのだった。両親や友人、知人はみんな居なくなってしまっていた。国の名前さえ違う名になっており、誰も己を知る者はいない……。
エリサは歴代の時の魔法使いたちの残した日記から、先代の時の魔法使いがエリサを次代に選んだことを知った。選ばれる理由は、その時に最も力のある魔法使いであることだった。そして、時の魔法使いが世界を護るために存在していること、長い長い時を生きていくことを知ったのだった。
エリサは、鏡の前で正体を隠すため、自分自身の姿を魔法で変わって見えるようにする。銀色の髪と目は茶色に、平凡な顔立ちは逆に目立たなくも少し可愛らしく見えるように目を大きく鼻を高く見えるようにする。
「うん。全く別人だな! エリサではなく、サリーにしよう!」
面倒なので元の名前を残しつつ適当に名前を付ける。この姿と名前であれば誰にあっても気付かれることはないだろう。
「リュプス」
リュプスはエリサの呼び掛けに剣となって手の内に現れる。魔法で銀色の装飾をなくし、安っぽいそのへんの市場に売っている二束三文の剣に変化させる。
『おい。ずいぶんじゃないか』
「あまりに良い物だと思われたら盗まれてしまうかもしれない。これから魔王軍に潜入するんだし、目立たないに越したことはないよ」