幕間 カレン
カレンにとって、己の価値は強さに他ならなかった。生家は貧しい農家だった。辺境の村には魔法を使える者もおらず、人々は魔獣に怯えながら貧しい暮らしを送っていた。カレンも物心ついた頃から働いていた。小さな子供も貧しい農家では労働力であった。来る日も来る日も農作業を手伝っていた。ある時、農作業の作業中に魔獣が出た。冬の早朝、背の高い植物に半ば埋もれながら黙々と実をもぎ取っていたカレンは、前方で作業していた兄のいた方から生臭い臭気と何かが折れるような不吉な音を聞いた。手の中の鎌を握りしめ、ゆっくりと後ろへ後退りすると足元でぱきりと小枝のなる微かな音がした。
それはあっという間に飛び出してきて、カレンを組み敷いた。黒い大きな毛むくじゃらの魔獣は、ぎざぎざに尖った歯をかちかちとカレンの顔の前で鳴らす。カレンの頭など一口で噛み砕いてしまえるだろう。その歯は血に濡れていて、ぽとぽととカレンの顔に落ちてくる。兄の血に違いなかった。カレンは己の喉から獣のような声を発しながら、思い切り魔獣を殴りつけた。すると、その魔獣は赤く燃えあがった。その炎は業火のごとく瞬く間に魔獣を灰にしたが、カレンを傷付けることはなかった。カレンはこうして魔法使いとなった。
ある年、大規模な不作となり、村の多くの子供が口減らしに売られることとなった。魔法を使うことができたおかげで、カレンと引き換えに東漣国から家族が一冬乗り越える金を得ることが出来た。
東漣国は魔法の生まれた地と言われている。遠い遠い昔は魔法もなく違った力を使って人々は暮らしていたという。別々の言語を使いながらも世界の反対側で意思疎通が出来る。魔法ではない魔法のような力。東漣国は弱小の島国で強大な敵国に囲まれ滅ぼされる寸前だったとき、世界の理を書き換えるような何かを起こした。そして、魔法が生まれ、言葉は一つとなったという。
占領した国々や国中から東漣国の訓練施設に集められた魔法の素養のある子どもたちが、過酷な訓練や魔獣や魔物と戦う任務で命を落としていく中で、カレンはその強さにより生き残ることが出来た。家族でさえも己を売り、守ってくれる大人もいない。信じられるのは己の強さのみであった。
カレンには元々の素質と並々ならぬ強さへの渇望があり、魔法はどんどん強く使いこなせるようになっていった。年齢に見合わぬその力に東漣国に警戒心を抱かせるほどに。
ある時、与えられた任務は狂った白龍の討伐であった。先遣隊ということだが、龍などという存在は、魔法使い数百人集めて敵うかどうかという伝説級の存在である。ようは、死にに行けということであった。強くなり過ぎた辺境の奴隷は、国家を揺るがす存在になる前に消すということなのだろう。
それでもカレンは諦めてはいなかった。強く、誰よりも強く。白龍でさえも万に一つ勝つことが出来るのなら、決して諦めないと。
荒れ狂う吹雪の中、咆哮する龍は暴虐の力に満ちていた。どれほど魔法を繰り出しても大した痛手を与えることは出来ない。徐々に押されていく中で絶望が胸に満ちつつあった。どんな時も己の強さだけを信じ生きてきた。その強さが敵わぬ相手に、とうとう殺されるのか。
白龍からの大きな力の波動を受け、防御が間に合わず吹き飛ばされる。氷の壁に叩きつけられるかと身構えたが、柔らかな何かに抱きとめられる。これほど優しく触れられたことはカレンの人生では初めてのことだった。
現れたのは、カレンより年上の美しい少女だった。月光を集めたような銀髪が風雪の中で輝き、華奢な身体を覆う様は雪の精霊のようであった。
「私は時の魔法使い。世界の危機に現れる者」
少女はそういうと圧倒的な力を振るい、結界を張りカレンをまもってくれる。カレンは身体が瘧のように激しく震えていることに気付く。これまで生きてきてこれほどに己の感情が動くことはなかった。少女が白龍にとどめを刺し、爆発に巻き込まれた時は生きた心地がしなかった。
やがて右腕を失い吹雪から現れた少女を見て、生きてくれていた安堵と傷付いた様子に胸が張り裂けそうになった。
彼女は直ぐに消えてしまった。そして、また現れ、もう一度救ってくれた。
遠目に東漣国の首座のいる宮殿をみやり、カレンは過去の反芻を止めた。
振り返り集まった同志たちに告げる。
「我々の敵はあの場所にいる。服従する者は死ぬように生きる者だ。我々は自由を取り戻す。己や家族のために私に続け!」
同意する声が唸りのように、辺りに響き、渦巻く魔力となって宮殿へ押し寄せる。
二度も彼女について行けなかった。二度も彼女を傷付け、ただ守られた。もうこんな思いはしない。これまで以上に強くならなければ。腹の底にいる獣が唸っている。強く強くなり、何者にも決して傷付けさせはしないと。
さあ、まずはこの国を滅ぼそう。