幕間 ルーク
エリサの部屋の隅に作りためた魔道具を並べていく。これらの魔導具は魔力の回復を助ける効果のあるものだ。時の精霊リュプスへと続く洞窟にある魔法石は、並々ならぬ良質な魔力が内包されている。ルークは、エリサに許可を貰い魔法石から魔導具を作り始め、その効果の高さに驚いたものだった。……そして、エリサのその高価で希少な魔法石に対する無頓着さにも。
ルークは、あれから眠り続けるエリサを眺めた。腕や脚の先等の末端にいくほど硝子のように硬化し薄っすらと亀裂が入っている。呼吸も微かでまるで死人のようで己の心臓が凍り付くような心地がする。リュプスも眠ることで回復が可能だと言い置き、同じように眠りについた。ここで待つ必要はないのだと、エリサと同じようにルークに伝えもした。
エリサの寝顔を見つめルークは無意識に伸ばした手を止め、息をゆっくりと吐く。眠るエリサには決して触れてはならない。いつの頃からか己自身に課した戒めだ。それでも、二度と会えない可能性があると思うと、その髪の一房にだけでも触れたいと願ってしまった。だが、そのまま振り返らずに部屋を出ていく。
初めてエリサを見た時は、その膨大な魔力を身に宿しながらも華奢な稚さを残した少女の姿に驚いた。
ルークは大国ロアール帝国の第六王子として権謀術数渦巻く宮中で幼い頃より生き抜いてきた事もあり、人を見る目は優れている方だ。だが、それでも始めのうちはエリサがどのような人間なのか掴み辛く戸惑う日々が続いた。
エリサは何事にも無頓着で執着が無く、助けたルークについても関心がないようだった。なぜ、ルークを助けたのか。同情しているのか、何か損得に関わることがあるのか、それすら分からなかった。己の感情のみが一方的に傾いていくようで、ルークは幼い頃から苦しみを感じていた。守られている。気にもかけてくれている。だが、そこに情はあるのだろうか……と。
後に、歴代の時の魔法使いたちの残した日記のような記録を見て、ルークは悟った。エリサは何事にも関心や執着を持たないようにしているのだと。
時の魔法使いは、皆、死に逝く前に次代を指名している。ほぼ、不老不死である不死身の存在が後継を必要とするのは何故なのか。日記を読んで腑に落ちた。肉体的には不老不死で人間を超越した存在となっても、精神は人間に過ぎないのだ、と。皆、終わりのない時に耐え切れずに、狂っていくのだ。
エリサが眠りを必要としているのは、精神の摩耗を避けるためなのだろう。そして、通り過ぎていくだけの人々に心を移さないようにしているのだ。
多くのものを、返しきれぬものをエリサからもらった。ルークは、己が只の震え逃げ惑うだけの子供から、多くの者を支配することさえできる強大な力を持った存在になったことに気付いている。
ルークの生まれたロアール帝国では闇の精霊は忌み嫌われていた。かつて、王族の中から闇の精霊の使い手が現れ、魔王となり国を滅ぼしかけたことが原因と言われているが、定かではない。ルークが闇の精霊の愛し子であったことで、生まれた時に処分されるところであったが、母が正室であったことや同じ母を持つ王太子が庇ってくれたことにより生き延びることが出来た。だが、ある日、父王が毒殺され、その疑いが王太子にかけられた。第二王子が挙兵し、王太子やその他の王位継承者を殺したことで、全ては彼とその一派の企みだということが明らかであった。ルークにも追手がかかったが、忠義厚い僅かな騎士たちと命からがら逃げ延びたのであった。一人またひとりと騎士たちが命を落としていく中、とうとうルークは唯一人となった。
エリサと出会わなければ、己も直ぐに命を落としていただろう。かつては、憎しみや恨みの中で復讐を誓ったが、今は、全くどうでもいいと思っている。
今の己の望みが叶うのであれば、己の憎しみや恨みなど路傍の石に過ぎず、命すら引き換えに出来るだろう。ただ、その望みを叶えるのは一国を滅ぼすより難しく、長い時と幸運が必要となる。だが、ルークは、諦めるつもりは毛頭なかった。どれほどの犠牲を必要としようと、血反吐を吐こうと、屈辱を味わうことになろうと、機を見極め策謀を張り巡らし、必ず己の願う未来を引き寄せるのだ。
身体の中に巡る闇の力を呼応させ、世界に張り巡らせた闇の精霊から情報を受け取る。エリサに精霊の力の使い方を教えられ、独自に闇の精霊の力について研究を重ねた。今では、エリサにすら明らかにしていない強大な力を手にし、悍ましい使い方まで可能としている。
もし、これからしようとすることをエリサが知れば何と言うのだろうか……とルークは考える。
『そんなことはしなくていいよ。美味しいものでも食べてよく寝て忘れるんだ』
そんなことを思うと、どこかからエリサの声が聴こえてくるような気がする。
だが、エリサは今は深い眠りの底にいて、夢すらも見ていないだろう。限りなく死に近い眠りだ。そんな孤独に彼女一人を置き続けることなど決して許すことは出来ない。このままでは、己は彼女にとって通り過ぎるだけの儚きものに過ぎないのだ。
ルークは、結界の狭間に立ち、エリサと暮らした家を振り返った。エリサは、あの家で眠り続けている。目覚めるその時まで側にいたい。時の魔法使いの結界を出れば、招かれぬ限り二度とは入れない。ルークは、後ろ髪を引かれる思いでその結界を飛び出した。
まずは国盗りから始めよう。それすら出来なければ望みを叶えることなど話にならない。世界の理を崩す、神殺しに挑むのだから。