12 危機と別離
エリサは、結界を張ろうするカレンを抱え、カライトから跳躍して遠ざかる。
「あの魔力に触れては駄目だ。とても嫌な感じがする」
『ああ、問答無用で虚無に引きずり込まれるぞ!』
リュプスの警戒の声を聞き、距離を取ってカライトの様子を伺い、エリサは戦慄が走る。カライトの魔力が触れた周囲の木々はまるでそこに元から何も無かったように消え失せていた。
『触れてはいけない魔力なんてどう防げばいいんだ!?』
『遠距離で攻撃を続けろ!』
エリサは、言われる前から魔力を練り上げ、強力な魔法を続けざまに放つ。隣に降ろしたカレンも火魔法を使い、紅蓮の業火がカライトに火の龍のように駆けていく。だが、カライトに触れるかという距離に近づくと、爆撃音が鳴り響くことも辺りが燃え盛ることもなく何事も無かったかのように魔法自体がかき消えた。
「……ああ、私の力は大分強くなってきているようですね」
「貴方のその力は人間が制御出来るものではない!虚無に呑まれるよ」
「それも仕方がないことでしょう。いつの頃からか私自身の自我が曖昧になってきているような気がするのです。だが、今日は、珍しくはっきりとしています。時の魔法使いと紅蓮の少女よ。貴方達とまた出会うことができてとても嬉しいのですよ」
「カライト先生。共に国に対し反旗を翻しましょう。首環の効力もエリサが無効化してくれました。今ならばこの拠点の者達を逃がせる。全てを滅ぼす必要などない」
「……虚無の欠片の力は人間が制御できるものではないと先ほど言いましたね。おそらくその通りなのでしょう。私の本来のここの子供たちを助けたいという想いを超えて、今は全てを虚無に還したいという願いの方が強くなっているのです」
そういうと、カライトは透明な魔力を集め出し大きな範囲に広げていく。
(これは、時の魔法を使うしかないか……)
「……時よ。ゆらゆらとふるえ。つかの間の泡沫の夢の中に揺蕩え」
カレンは、通常は無詠唱で魔法を発動するが、先代から受け継いだいくつかの魔法は詠唱が必要であった。呪文を唱え時の魔法を発動した。
時が止まる。エリサの息が止まっている僅かな間のみ世界の時が止まる魔法だ。エリサは一息にカライトとの間を詰めると、リュプスを変化させた剣で刺し貫こうとした。剣がカライトに触れた瞬間、空間が歪み割れるような音が響きわたる。
「リュプス!」
剣の先が欠けている。これまで無かったことにエリサは動揺する。思わず息を吐いてしまい、時が動き出した。
『大丈夫だ。修復可能な範囲の損傷だ。……だが、これは最後の手段を取らねばならないかもしれない』
『リュプス!?』
「時の魔法使いよ。人の軛から解き放たれた者よ。私は貴方を神のように崇めていたこともあったのですよ。だが、やがて分かったのです。祈りとは叶わぬものだと。神とは何も叶えぬものなのだと」
「勝手なことを!」
カレンは怒りに顔を歪め、紅蓮の不死鳥のような炎をカライトに叩きつける。
「この方は我々が勝手に期待をかけ失望していいような存在ではない!」
カレンはそう言い放つと、一面を這う炎が辺りを煌々と照らした。
「紅蓮の少女よ。貴方は幸せだ。無私となれる己を賭けるものを見つけられたのだから。私は駄目でした。理不尽な大きな力に立ち向かうには己がかわいく、大いなる存在に身を捧げるには自我が邪魔をする。私は中途半端な何者にもなれない人間でした」
「そんなことは先生がこれからしようとすることの免罪符にはならない!」
カレンの叫びに対し、カライトは微かに笑みを浮かべると片手を振って炎をかき消した。
「ええ、そうでしょうとも。ですが、悍ましいことに私は己がこの世界に大きな災いを齎すことの出来る存在になれたことが身震いするほどに嬉しいのです。何者にもなれず、子供たちを死へと見送ってきた小さな私という存在が……」
カレンは嫌悪に顔を歪めた。
「先生が私たちの未来を憂いてくれたことに救われたこともあった。全てを捨てて裏切る気ですか?」
「ええ。もう、賽は投げられた。後戻りはできない。この世界を虚無へと還すことが……ヨノコトワリナノデス」
カライトの声がひび割れ地の底から響くように聞こえ、目が虚のように真っ黒になった。
『エリサ! 虚無の魔法を使え!』
『仕方がない』
(禁忌の魔法と呼ばれるものだ。代償は計り知れない。私の代で使うことがないようにと願っていたが……もう、ルークに会うことは出来ないかもしれない)
「虚ろよりも空なる者よ。時の流れよりも永遠の存在よ。全てを無に還せ」
座標をカライトに設定すると、カライトの周辺の空間が大きく歪み、深淵が現れる。凄まじい吸い込む力に引き寄せられそうになるも、何とか魔法で己とカレンの周囲を空間に縫い止める。
……カハッ!
「エリサッ!」
肺の奥から溢れた血が咳で口元を濡らす。虚無の魔法が恐ろしいほどの魔力を使い、身体を蝕んでいる。自動的に修復される再生が追い付かない。
(こんなところで死ぬ訳にはいかない。眠りにつきながら時間稼ぎしていた意味がない。こんな役割を誰かに押し付ける訳には……)
「……ふふふ……あっはははははは!」
カライトが深淵に呑み込まれていきながらも、大きな笑い声を響かせる。
「ああ! 何ということだ! これが世界の真理か! 何と我々という存在は愚かしいのだ! ……ソウオロカデオモシロイ」
唐突に抑揚のなくなったひび割れた嗄れた声を発し、カライトはエリサたちをその伽藍洞の目で見つめる。
「……コチラヘコイ……ウタカタノモノヨ……」
エリサは震える手で、虚無の魔法を収束させようと力を込める。だが、カライトが抵抗しているのか、深淵は閉じず、徐々に侵食していくように広がっていく。焦るエリサを見て、カレンもエリサの背を支え、魔力を送り込んでくる。
パリンっと微かな音が響き、エリサの右腕が結晶化しヒビが入る。限界が近付いているようだ。
「エリサッ!」
悲鳴のような泣き声のようなカレンの呼び声が響く。辺りに光が満ちた。現れたのは光の精霊のような美しい青年。ルークが突如この場に顕現すると、状況を直ぐ様理解したように、驚くカレンの横に並びエリサの肩に触れ、魔力を送り込んでくる。
「なんで来たの? 危険じゃないか」
「今の貴方に言われたくない」
ルークの魔力が温かく身体に満ち、やがて大きな奔流となり虚無の魔法を収束させていく。深淵は徐々に縮んでいき、カライトの姿も闇の中に吸い込まれていく。
「オモシロイ……コレガキモチトイウモノカ……キットキットマタアウコトニナル」
最後に黒ぐろとした虚のような目がこちらを見つめ、声が響くと空間が切り離されたように闇が消えた。
「終わった」
エリサは息を大きく吐くとそのまま倒れかけ、カレンとルークに支えられ、その場に寝かされた。
とてつもない眠気で意識を保っていられない。これは何十年もかけて修復の眠りが必要だろう。エリサは意思の力を振り絞り目を開けた。
「カレン。君は自由だ。今回のことに君の責任は全くない。この拠点の人たちのことも君の負うところではない。今後、どう生きるかは君次第だ。自由になれ」
「エリサ」
カレンは震える手で結晶化したエリサの手を握りしめる。想いが溢れ言葉にならないというように涙を落とす。
「ルーク。私はしばらく眠りが必要なようだ。君の力になれなくて悪いがいつでも自由に出ていくといい。君はもう幼い子供ではない。困難を切り拓く力も持っている。君の幸せをいつも願っている」
そう言いエリサは最後の力で魔法使いの家にルークとともに転移すると、とうとう力尽き深い眠りの中に落ちていった。ルークがどのような表情をしていたか知らぬままに。
 




