1 時の魔法使い
エリサは、心地の良い微睡みから浮かび上がろうしていて、まだ眠っていたいと抵抗する。だが、やはり再び眠りに抱かれようとすると邪魔する何かを感じる。意識の端でちらちらと引っ掛かるものがあるのだ。
(何なんだ……一体)
ようやく、身体を起こし未練がましくふかふかの布団を眺める。意識を集中させ、何が引っ掛かったのかを探る。
ここは時忘れの森の中にある魔法使いの家。時の魔法使いしか入る事の出来ない聖域である。エリサは17歳の時からこの家に住んでいた。ほとんどの時間を寝て過ごしているが……。時忘れの森の中に複数の人間が入り込んでいる。防具を付け、武器を持っている姿は騎士だろうか……。誰か人を捜し追いかけているようである。
エリサは、一人の男の子が木の洞に潜り込み、がたがたと震えているのを探り当てる。
(かくれんぼをしている訳ではなさそうだ)
異様な怯えようから、見つかるということは命の危険もありそうだと推測する。エリサは、魔法でぼさぼさになっていた髪等の身だしなみを整える。寝室に置かれた鏡をちらりと見ると、銀髪に銀の瞳の神秘的な色を纏った平凡な顔立ちの少女の姿が写っている。17歳でこの家に来てから、茶色の目と髪は銀色に変わったが、時は止まってしまったように成長や老化をしない。髪や爪が伸びることもなかった。
森の中の男の子の側に向かうため転移魔法を使い、洞のある大きな木の前に現れる。
(そういえば、30年ぶり位の起床かもしれない)
殆どを眠って過ごしているので、森の中の僅かに差してくる木漏れ日すら眩しい。大きな木の洞からは張り詰めたような緊張感と微かな戸惑いが伝わってくる。こちらを伺っているのだろう。エリサは、彼を引きずり出して、色々と話をすることを考え……面倒になって、大きな木ごと魔法使いの家の前に転移させた。
木は根元ごと移植したので枯れることは無いだろう。転移に何か違和感を覚えたのか恐る恐る木の洞の中から男の子が顔を出した。7、8歳だろうか……金髪に黄金色の瞳の光の精霊のような色彩を纏っている。幼いながらも目鼻立ちは整っているのが分かる。着ている服も簡易な上下でありながらも質の良い生地と誂えに身分のある者かと推測する。
「……何者だ? わた……俺をどうするつもりだ?」
微かに震える高い子供の声が問いかけてくる。
「私は時の魔法使い。名はエリサ。追われているようなので助けた。不要であれば元の場所に戻すよ……どうする?」
怯えた子供に出来るだけ優しい口調を心掛ける。何十年ぶりの人との会話だろうか……夢の中は別にして。
「戻さないで!……俺は命を狙われている。迷惑かとは思うがしばらく匿ってもらえないだろうか?」
「分かった」
「え!?」
「分かったと言った。君が頼んだんだろう? 何を驚いている」
「そんなにあっさり了承されるとは……貴方にも危険が及ぶかも知れないのに……良いのか?」
「……私は時の魔法使い。簡単に私を害せる者もいない」
エリサはほとんどの時を寝て過ごしているが、かなり強大な力を持つ魔法使いなのだ。眠ってしまっていた間に魔法使いがかなり強くなってしまったということや……武器などの技術が飛躍的に進歩したということ等が無ければ大丈夫だろう……たぶん。
「……あっ! 時の魔法使い!? 伝説で聞いたことがあります。俺の名前はルークと言います」
急に礼儀正しくなった……エリサは己が伝説になっていることに小っ恥ずかしいような、誇らしいような……威厳のあるように見える表情を作り頷いた。
「うん、ルーク。気を遣わなくて良い。何も構えはしないが、いくらでもここに隠れていて良いよ」
「……ありがとう」
そう言ったルークは心底安心したように、微かに涙を浮かべるとそれでもそれを落とすことはなく堪え、礼を言った。子供らしくない仕草にエリサは心が痛くなる。だが、根掘り葉掘り事情を聞くことはしなかった。エリサは時の魔法使い。人間たちは泡沫の存在。誰かに肩入れすることは、大きな歪みを生み出すだろう。子供を見殺しにすることは出来なかったが、これ以上は干渉するつもりはなかった。幸い、賢そうな子供だ。放っておいても勝手に生活するだろう……。
(私はまた寝直そう)
自分の日常は変わらないだろう……そう思っていた時もありました……。
「師匠!! 起きてください」
身体がゆらゆらと揺れている。イヤイヤ目を見開くとルークが両手でエリサの肩を掴んで揺らしている。
「……うぅ……。寝かせて」
「師匠は放っておくと俺の一生を寝ているでしょう? 師匠の好きなふわふわのパンケーキを作りました。甘い特製のクリームと蜂蜜、ジャムもありますよ」
「……くぅ」
エリサは食事が必要ではない。そうでなければ何年も眠っていられない。時の魔法使いになりそのような身体になった。だが、食べられない訳ではなく、面倒なので食べてなかっただけだった。美味しいものが用意されると食べたくなり、実際に食べると満足感は得られるのだ。
のそのそと布団から這い出ると、ルークは髪を整え、熱く温めたタオルで顔を拭いてくれる。
(そんなことしなくても、魔法でできる)
そう思うが、寝起きは暫くぼーっとしているので、されるがままである。あれから8年の時が経った。ルークは弟子となりエリサから魔法や剣術を習い、かなりの腕前となった。そして、家事の腕前もかなりのものだ……。
助けた当初、人間が食物を必要とすることをうっかり忘れ、寝こけていた時、がりがりになったルークに揺り起こされ焦るということがあった。
どうやら森の中で採れる木の実等で食いつないでいたようだが限界が来たようだった。慌てて、人間の街に転移し食料を大量に購入し戻ってくると、ルークは涙を浮かべそれらを食べた。
それ以来、定期的に食材を購入し備蓄しており、またルークも魔法使いの家の周囲に菜園を作り、狩りも覚え、料理の腕前もめきめき上達させたのだった。
(それにしても本当に大きくなったな)
ようやく、目が開くようになりぼんやりとルークを見つめる。背は高くなりとっくに抜かされ、顔立ちも端正で凛々しくなり大人になりつつある。
エリサは、ルークが来たばかりの頃のことをふと思い出した。