赤月下の元にて鬼出
気づけば住宅街を離れ、街灯がまばらになっていることに今更になって気づく、どれくらい走っただろうか?自分の荒い呼吸音が静まり返った夜道に響く、逃げても逃げても追ってくるソレは、金属を引きずるような鈍い音を夜道に響かせてゆっくりとこちらに向かってくる。
バクバクと耳元で脈が響く、自分の上がり切った心拍数に、心臓が破けてしまうのではないかと言う恐怖を覚える。狩る側から狩られる側に代わってしまった自分、これからどうなるかなんて容易に想像できる。
辺りを見回せばおあつらえ向きに廃工場、ボロボロのフェンスは侵入者を拒むために上部に鉄柵が巻き付けてある。どのみち、登れる体力は残っていない。けれど、潔く死ぬこともできない。
とめどなく流れ続ける汗を黒い長袖のシャツで拭う。
申し訳程度に立っている街灯が、チカチカと不穏な点滅をする。
「来やがった…」
荒い呼吸の中、ぼそりと呟くと同時に不気味な歌が聞こえ始める。
「一つ積んでは父の為、二つ積んでは母の為、三重積んでは兄弟わが身と………」
賽の河原を即座に思い起こさせるその詩と、何処か楽し気な声色に鳥肌が立ち始める。街灯の下にゆらりと現れたのは、素足に黒い肌襦袢のような着物を身に纏い真っ赤な帯をした女の姿、一つに束ねた女の髪が馬のしっぽのように風になびいてゆらりと流される。
女が手に持っているのは、その女の等身と同じくらいはあろうかと言う細く長い刀、あの鈍い音はこれを引きずっていた音なのだろう。着物から延びる陶磁器のような白く細い腕の何処にそんな腕力があるのか?
ブルリと体が震え、思わず一歩後ろに下がるがカシャリとフェンスに背中がぶつかる。これ以上後ろに下がろうにも鉄線の撒いてあるフェンス、ギリっと己の奥歯をかみしめる。
すると、ピタリと不気味な歌とその歩みを止めた女、そしてゆっくりと、その顔がこちらを見据える。人間ではない。テールランプのように赤く光る瞳、気味悪くニヤリと笑う唇も真っ赤で、人でも食って来たのか?と言いたくなる不気味さに悪寒が走る。
右手に引きずっていた大刀を、まるで細い棒きれでも扱うように、ゆっくりとこちらに真っ直ぐ向けてきた。
のど元に突き付けられたわけでもないのに、思わず顔がのけ反る。
「しきみほどなる手を合わせ あらいたわしや幼子は 泣く泣く石を運ぶなり」
再び口ずさみ始めた言葉が途切れた瞬間、自身の隠し持っていた背部の短刀を取り出し構えたと同時に自分の首を何かが撫でた気がした。
「はっ?」
そして、ふわりと線香のような香の匂いがした気がして、匂いの方を見ればいつの間にか女が自分と並び立つように立っている。
何が…?
そう思うと同時に世界が逆さまになり、ごんと頭がアスファルトに打ち付けられコロコロと回る自分の視界、あぁ…首を切り落とされたのか…と、どこか他人事のように思っている自分がいた。
「かくては功徳になり難し 成仏願えと叱りつつ 鉄のしもとを振り上げて 塔を残らずうち散らす」
さしずめ自分が獄卒とでも言いたいのかこの化け物、首だけでもしばらくは死なないと言うがどうやら本当らしい。さっさと意識が落ちればいいのに、赤い爪の素足の女がこちらへ一歩、また一歩と歩み寄ってくるのが見える。
「あらいたわしや幼子は また打ち伏して泣き叫び 啊責にひまぞなかりける。」
そう詩いながら歩み寄ってきた女が目の前でしゃがみ込む、すると自分の視界が一気に高くなる。髪を掴まれ頭部を持ち上げられたのだと、ようやくボンヤリとしてきた視界と思考で思い当たる。
同じ目線の高さになった女の赤い目が、虚ろな自分の目を見つめ、真っ赤な唇が三日月のように功を描く、鳥肌が立つような美しき化け物に、クタバレと言ってやりたかったが唇も動かない。
閉じかけた瞼、最後に見たのは死を楽しげに見つめる人の形をした化け物の姿だった。
黒い着物の女は、男が死んだのを見届けると真顔に戻り、ごみでも捨てるようにポイっと首を地面へと投げ捨てる。
埃っぽい臭いと血の匂いが、夜の生暖かい空気と共に混ざり合う。
その匂いを肺いっぱいに吸い込みながら、すべてを見下ろしていた綺麗な三日月を見上げる。
殺しても殺しても終わらない。
登りきった山の頂から見えるのは、次の越えなければならない山に過ぎない。終わらない。終われない。終わりたくない。そう思いながらニタリと笑う。
「雑魚相手に時間をかけすぎだ。」
女の背後から黒いスーツを着た30代くらいの男が現れる。
その声に振り返りながら、死んだ男に見せたような笑みを見せれば
「キチガイ女がっ…」
そう吐き捨てると男が振り返りスマホで何処かへと電話をかける。
この失礼な男の首も切り飛ばしてしまいたい……。と、冷めた目で男の背中を見つめれば、バッと勢いよく男が振り返り距離を取るように背後へ飛ぶ
どうしたの?気のせいだよ?と言うように、にっこりと笑って小首をかしげれば、男の額から汗が流れ落ちる。
「チッ」と男の舌打ちの音がやけに大きく響いた。
警戒を解かない男のために、仕方なく手に持っていた刀を霞のごとく消し去り両手をあげて降参のポーズをとってやれば、ようやく男は警戒を緩める。
ほどなくして、霊柩車が到着すると中から3人の喪服姿の男が現れるとテキパキと男の遺体を回収し、アスファルトの血を洗い流していく、手慣れている男たちの作業を横目に霊柩車へと乗り込む、明日は誰の石を崩すのだろう?
積み上げてきた誰かの人生を一瞬で壊すのはとても悲しい。
けれど、それが嫌いじゃないから困ってしまう。鼻歌を歌いながら、閉まる扉から見えた三日月がやけに赤く見えた。
突発的に思いついた短編でした。
賽の河原和讃を引用しております。
お読みいただきありがとうございました。