夢の中で
ぱっと思いついたものを勢いで書いた作品なので、優しい目で読んでいただけると、ありがたいです。
よろしくお願いします。
夢の中の女性は美しく、気品溢れる人だった。
自分とは大違いだ、とオルガは判然としない意識の中、そう思った。
オルガ・サトヴェリーは数多くある男爵家の一つ。その中でもぱっとしない家の一つに数えられる。
そんな社交界の評価と同じく、オルガの容姿もぱっとしない。
髪は平凡な栗色で、瞳は黒色。社交界で求められる高い鼻でもなければ、陶器のような肌でもない。平凡で、地味な容姿だ。
それでも、貴族であることは疑いようのない事実なので、適当な歳になると社交界デビューはした。壁の花に甘んじるしかない家格と容姿ではあるが、その社交界で自分と同じくらいの家格の令嬢たちと親交もできた。
そこそこの頻度、夜会や舞踏会に参加して、いつか、父の連れてきた誰かと婚約するのだろうと漠然と考えていた。ーーあの日までは。
突如、オルガに求婚者が現れたあの日は一生忘れられないだろうとオルガは思っている。
その求婚者はギルヴァード・ディアベルと名乗った。
銀髪は耳の長さまで切られ、星屑のように煌めいている。瞳は新緑の色。肌はオルガよりも白く、体格は引き締まっている。家格も侯爵と明らかにオルガと釣り合っていない。
なのに、何故、侯爵側からこの縁談を持ち込んできたのだろうか。
ギルヴァードは既に爵位を継いでいるため、彼の両親の勧めでオルガに求婚したわけではない。
オルガ側にギルヴァードの益となるようなものがあるわけではない。家格も容姿も他の令嬢と比べて、足元にも及ばない。
オルガは何度かギルヴァードの姿を社交の場で見たことがあったが、ギルヴァードにはなかったのではないかと思う。
改めて考えても訳が分からない。
だが、拒否することはできなかった。男爵家からの提案ならともかく、侯爵からの提案だから。
そのまま流れでオルガはギルヴァードの婚約者となった。
当然、婚約者となったからには社交界で披露される。
その時の令嬢の嫉妬や侮蔑を含んだ鋭い視線もオルガは一生忘れることはないだろう。
せっかくできた友人たちもオルガから離れて行った。
ただ離れるならともかく、ギルヴァードと婚約したことについて、何か汚い手を使ったのよ、とオルガの悪口を言う令嬢までいた。それが一番辛かったかもしれない。
祖父の代が友人同士でお互いの子どもを結婚させようなんていう口約束を結んだのかと思ったが、オルガの父に聞いてもそんな話は聞いたことがないということだった。
では、なにかやんごとない事情でオルガと婚約を結んだのだろうか。
例えば、身分の低い平民の女性を愛してしまっただとか、逆に一緒になることのできない男性しか愛せないだとか。そうであれば、オルガを相手にしたのも頷ける。
容姿も家格もぱっとしないオルガであれば、愛人がいても文句を言われることはないし、社交界から厳しい視線を向けられることもない。
だから、オルガはお飾りの妻として選ばれたのだと思ったのだが、どうやらそうでもないようで。
まさか、愛人がいるのですか、と身分が違いすぎる侯爵に直接訊いたことはないが、毎日のようにオルガに会いにくるギルヴァードを見ていればそうでないことは一目瞭然。
ますます、分からない。
ギルヴァードと婚約したせいで、一応親交があった数少ない令嬢たちとの親交も全くなくなってしまったので、オルガは毎日邸にいる。
平民の住む家よりは立派だが、他の貴族の邸に比べれば小さい我が家。
そんな場所に明らかに場違いな見目麗しい侯爵が、オルガと紅茶を飲んでいる、というどんな絵画でも見たことのない図。
オルガと目が合うと、ギルヴァードは嬉しそうに口角を上げ、目を細めた。
ギルヴァードと婚約してから変わったことといえば、不思議な夢を見るようにもなった。
それは見たこともないほど美しい女性だった。
癖のある金の髪に、サファイアの瞳と、まさに、貴族らしい容姿。肌はオルガより肌の白いギルヴァードよりもさらに白い。手や足は折れそうなほど細く、腰回りもそれに負けないほど細い。
その女性の容姿は鏡を見ている時にしか見れないので、どうやらオルガは夢の中でその女性に憑依しているらしい。
出自もオルガよりもかなり高いらしく、着ている服も食べているものもオルガが普段目にしているものより格段にいい。
なのに、女性は幸せそうに見えなかった。
家族はいる。が、どうやら、父親以外とは血が繋がっていないようだった。
彼女の母親は家族が幼い頃に亡くなり、その後、父親は再婚し、その女性との間に跡継ぎの男子をもうけた。
最初の、つまり彼女の母との結婚は典型的な政略結婚であったが、二度目の結婚は愛ある結婚だったこともあり、彼女は家族の中で邪険に扱われている。
何度か夢を見るうちに知れたことだ。
そんな彼女だが、唯一満面の笑みを見せる相手がいる。婚約者だ。
婚約者の男性も彼女に負けず劣らず端麗な容姿をしている。
その当時の流行りだったのか、長い黒髪を一つにまとめて腰に流し、髪と同じ色の瞳は、彼女を見つめる時には愛おしげな色を宿す。
騎士をしているらしく、体躯は適度に引き締まり、彼女をエスコートする時もそつがない。
彼女の家族は彼女が彼と婚約していることが気に食わないらしいが、この婚約は彼女の母と彼の母とが取り決めた婚約。彼の母はまだ存命であるので、この婚約が破棄されることは彼の母が亡くならない限りない。
それ以上に二人は想いあっている。何があっても二人は結婚するだろう。
オルガとは違い、幸せそうな二人。
オルガは恋をしたことは一度たりともない。
恋愛小説を何冊か読んだことがあるので、恋をしたらどうなるのか、文章上の表現では理解している。けれど、文章で表されるような感情を持ったことはない。だから、オルガはまだ恋をしたことがないのだ。
「オルガ?どうしたの?」
物思いに耽っていたオルガは聞こえた声にはっとする。
ギルヴァードは心配そうに眉根を寄せ、こちらを見ていた。
「い、いえ。なんでもありません」
~~~~~~
ギルヴァードに声を掛けられたオルガは二人の前に並べられていたクッキーを一つ手に取り、口に運んだ。
この空気が気まずいのだろうとギルヴァードは考えた。
ギルヴァードの両親は数年前に相次いで亡くなり、彼は若くして爵位を継ぐことになった。
だから、結婚に関してうるさく言われることはなかったが、それでも代々受け継がれてきた爵位をギルヴァードの代で潰すわけにはいかないので、適当な伴侶を探してはいた。
だが、どの令嬢と話してもどんな結婚生活も思い描くことはできなかった。
貴族なのだから、政略結婚は当たり前なのだが、生前幸せそうな両親を間近で見ていたギルヴァードからすれば、自分も愛し愛される結婚をしたいと思うのは当然のこと。それに、両親も生きていれば、それを望むだろうとも思っていた。
だから、ぎりぎりまでこの想いを大切にしたいと、婚約を結ばずにいた。
いつかはこの人と、と思える女性と出会えると信じて、ギルヴァードは夜会や舞踏会に参加していた。
容姿端麗なギルヴァードに惹かれ、様々な令嬢がギルヴァードの元に集まってくる。そんなギルヴァードに嫉妬して、他の令息が鋭い目線を向けるのも日常茶飯事。
その日も適当に令嬢の相手をしながら、周りを見渡して。ある令嬢と目があった。
サトヴェリー男爵令嬢、オルガだ。
名前と顔は一致していたが、話した覚えはなかった。
そのはずなのに、オルガと目が合った瞬間、ずっと探していた相手を見つけた気がした。
その日、見た夢でギルヴァードは自分の前世のことを知った。
ギルヴァードの前世は騎士だった。伯爵家に生まれたものの、次男であったため、早々に国の騎士団に入団して騎士となった。
そして、その数年後、実家に呼び出された彼は同じ伯爵家の令嬢と婚約を結ぶことが知らされた。
その場で相手とも会った。
その人はとても綺麗な女性だった。
癖のある金髪は腰の中間までかかり、肌は病的なほど白い。体型も倒れそうなほど細く、騎士として身体を鍛えている彼からすれば心配になる程だった。
だが、その心配も彼女と目が合った途端、なくなった。いや、目を奪われたと言った方がいいのかもしれない。
後から考えると、一目惚れだった。
一目惚れではあったものの、逢瀬を重ねていくうちに、彼女の内面も好きになった。
家族からは冷遇されているらしく、家族の話はあまりしたがらなかった。だから、彼も家族の話は極力しないようにした。けれど、彼女は彼の家族の話を聞きたがった。彼と彼女の母は親友同士だった。だからきっと、彼女の母の話が少しでも聞きたかったのだろう。
そのうち、彼女も自分と同じ気持ちを抱いていると知り、嬉しくなった。
彼女を絶対に幸せにする。自分の生家を忘れてしまうくらいに。
そう思っていたのに、彼女は彼と結婚する前に病気で亡くなってしまった。
かなり前から症状があったらしい。けれど、彼女は誰にも相談しなかった。
家族にはともかく、自分には相談してほしかった。だが、優しい彼女のことだ。彼に心配をかけたくなかったのだろう。
その後の彼のことは分からない。そこで記憶は途切れてしまったから。
けれど、昔から感じていた何かを渇望するような感情をどうして抱いていたのかやっと分かった。
すべては彼女を探し求めていたのだ。
オルガは夢で見た彼女とは似ても似つかない。
けれど、確実に彼女だ。
滲み出る雰囲気もそうだが、ギルヴァードの身体全体でそう訴えている。
どうやらオルガは前世を思い出していないらしい。
思い出さないなら、思い出さないままでいいとギルヴァードは思う。
接していくうちに前世と同じように、ギルヴァードはオルガのその内面も好きになったから。
だから、前世など関係ない。