7.勇者さまにサヨナラも言えずに
「…………」
賑やかな会場から抜け出し庭のベンチに座るミュウナ。
頬に感じる冷たい空気が痛い。でもそれ以上に心が痛かった。
遠くから雪を踏みしめる足音が聞こえてきた。段々と近くなってきたその音は目の前で止まった。
「ここにいたんだ。みんな探してたよ」
吐息混じりの声が上から落ちてきた。
「しらない」
ミュウナは地面を睨んだまま返事をした。
呼吸をするたびに、白い息が出てくる。
「ぼくは……ちゃんと祝ったのに……。お祝いしてくれないの?」
そんなあやすような声が、しんとした庭に優しく響く。
そっと顔を上げるミュウナに、透き通った青磁色の瞳を少し細めて悪戯っぽく笑った。
ぴょんぴょん跳ねる毛先で癖のある、深く暗い金赤色の短髪の上には不恰好に雪が積もっていた。
(リンデ…………)
今日はリンデの十歳の誕生日。そして今夜、王国の学園へ向けて出発する。
リンデと会話をした回数よりも会わない日の方が増えていき、いつの間にかこの日を迎えていた。
ミュウナはゆっくりと立ち上がり、ベンチの後ろに立てかけていた子供用の真剣を二本手に取る。
リンデに向き直り、一本を手渡した。
「三本勝負しよ。リンデが勝ったらお祝いしてあげる」
幼いながらもミュウナの真剣な表情にリンデはたじろいだ。
「負けたら……どうなるの?」
「……ずっと…………て……」
「えっ…?」
聞き返すリンデに、ミュウナは一度小さく呟いた本音をすぐに取り消した。
「……ううん。今日の見送りもしないし、手紙も送らない」
涙を滲ませてゆらゆら揺れてるように見える透明感のあるミュウナの茶色の瞳に、リンデは言葉を詰まらせた。
「ほら、リンデ……」
雪が降りしきる中、ミュウナは両手で握りしめた剣をリンデに向ける。
リンデがつられて剣を構えると同時に、駆け足で詰め寄り横振りで容赦なく腹部を狙った。
最初から動きが分かっていたかのように、リンデは刃に当て力を受け流す。
ミュウナが息を吐き体勢を整え直そうとした瞬間、風を切る音と共にリンデの剣先が喉元にあった。
「――っ!」
あと数センチ近ければ喉を切られていた。
「……これで一本。ケガをしたら危ないから真剣は止めよう?」
全く嬉しくなさそうに囁いたリンデの隙をつき、思い切り下から上へと剣を振り上げるとリンデが持っていた剣は遠くに吹っ飛んだ。
すぐさま、今度はミュウナが彼の喉元へと剣先をあてる。
「っ……」
「一本だよ。リンデはケガがこわいの?」
色々な感情が入り混じったミュウナの心臓はバクバクとうるさく音を立てる。
(負けたら見送れる……ううん、勝たなくちゃ……)
ミュウナが入学する一年後までは、リンデとは一切会えなくなる。
それまでは、心配をさせないように。
リンデが、一人で頑張りすぎないように。
(『リンデに勝つ』って約束守るんだもん!)
剣を拾い上げ、再び構えたリンデにミュウナは剣を振るう。
耳が痛くなるような鳴り響く鋭い金属の音がする度に、ミュウナは片目を閉じた。
それに気が付いたリンデは背中に冷や汗が流れたのを感じた。
「まっ、待って、真剣で打ち合うのは初めてじゃないよねっ?」
「初めてっ!!」
押し切ろうにも、リンデにグッと堪えられ、二つの剣が火花を上げた。
「目! 目は開けて!」
「知らないっ……」
「なら! もう終わらせよ!」
勝負をつけようとリンデが剣に体重を乗せた。
その瞬間、ミュウナは一歩退こうと出した足が深い雪に埋まり後ろにバランスを崩した。
「きゃっ……」
「――ミュウ!」
リンデは剣を投げ捨ててミュウナの下へと勢いよく滑り込む。
後ろから抱き抱えられたまま、ふわふわとした深く白い雪に倒れ込んだ。
「ゴホッ、ケホ……ケガはない? だいじょうぶ?」
「……」
軽く咳き込みながら問いかけてくる声。
返事をしないで、その抱き抱えられた腕を強く握りしめた。
「ミュウ……?」
「……ん……ぅ、うぅ……うわぁぁぁ〜ん! リンデのばかぁっ!」
「えっ、えぇ?」
何か喋ろうと口を開いた途端、ずっと我慢していた涙がぼろぼろと溢れ出てきた。
「やだやだぁ! 行っちゃやだ!なんで十歳になっちゃうの!」
「……十歳になってごめん。ごめんね」
「やだあっ……! なんでっ……勇者さまとそんなに似てるの!死んじゃやだあっ!」
「だいじょうぶだよ。ぼくは死なないよ」
耳元から聞こえる優しい声に涙が止まらない。
「……はぁっ……はっ……」
次第にぜぇぜぇと荒れた呼吸とともに、ミュウナの肩が揺れ始めた。
それをおかしく思ったリンデがミュウナの額に手を当てると、この寒さの中でも異常なほど熱かった。
「熱でてる……ちょっとのがまんだよ!」
ミュウナは背負われ運んでもらいながら、遠くから両親のモモコとエシドの驚いた声が聞こえる気がしていた。
「リンデ、ミュウ! どうしたの!?」
「リンデ、あとは大人に任せなさい」
(お母様、お父様……リンデ……)
「だいじょうぶだからね」
小さい背中から伝わっていた体温が離れ、大きな腕の中へと包まれる。少し揺さぶられたかと思うと、気付けば自室のベッドに寝かされていた。
ミュウナは意識が朦朧とするなか、横にいるぼやけたリンデに一生懸命話しかける。
「あのね……、リンデ……」
「うん、聞いてるよ」
「あ……のね…………まってて、ね……」
冷たい布が額に触れた感覚に苦しさが和らぎ、そのままミュウナは意識を手放した。
そして次に目覚めた時、横にいたはずのリンデはもうどこにもいなかった。